52.三回目の王弟執務室
新学期が始まった。九月に学年が変わる学園では、四月から始まる今学期が三学期目、最後の学期となる。モニカにとっては学園で過ごす最後の学期だ。当然、皆で沢山の思い出を作ろうと共に過ごす時間も自然と増える。時には他の令嬢令息も交えながらも、グローリアたちは充実した一週間を過ごしていた。
そして今日。新学期が始まって最初の土曜日に、グローリアはあの春の茶会から実に九日ぶりに王弟殿下の執務室に呼ばれていた。
本当はアマリリスの件以来騎士団に行けていないことが気になり六人で騎士団を訪問する予定だったのだが、王弟殿下を優先しろと満場一致で説得され、五人に焼き菓子を託してグローリアだけが王弟殿下の執務室へと向かうことになった。
「申し訳ありません、公女様。せっかくのご友人方とのお時間でしたのに」
ベンジャミンが今日もグローリアの手を引きエスコートをしながら、高い背を屈め少しグローリアを覗き込みつつ眉を下げた。
「良いのです、わたくしもお茶会の時のことが気になっておりましたもの。呼んでいただけて嬉しいですわ」
「ありがとうございます。せめて明日にしろ、とか言ってもよろしかったのですよ?」
「王弟殿下にそのようなこと申せませんわ。友人たちにも怒られてしまいますもの」
おどけるベンジャミンにくすくすと笑うと、グローリアもきゅっと口角を上げて肩を竦めて見せた。
「それはいけない。公女様のご友人方は色々な意味で怖そうですからね」
「あら、フェネリー様にも怖いものがございますのね?」
「そうですね…王妃殿下とか?」
「まぁ!不敬になってしまいますわ!!」
湧き上がる笑いを堪えきれず、グローリアはふふふと口元に手を当てて声を出して笑った。
「お元気そうで良かったです。先日はかなりお疲れになったでしょうから」
ベンジャミンの青灰の瞳が優しく細められた。
「フェネリー様も会場にいらっしゃいましたのよね?」
「ええ、レオ…っと、殿下の後ろにおりましたよ」
あえて言い直したベンジャミンに、グローリアは小首を傾げた。
「愛称でお話しいただいてもよろしいのよ?」
「一応、周りに人がいるところでは控えているのですよ」
きょろきょろと大げさなくらい周囲を見回したベンジャミンにグローリアはまたも笑った。
「あら、ではわたくしのこともグローリアとは呼んでいただけないの?」
「おや、よろしいのですか?では私もベンジャミンでお願いしたいですね、グローリア様」
「ふふふ、もちろんですわベンジャミン様」
悪戯っぽく笑いグローリアを名で呼んだベンジャミンにグローリアも笑顔で名を呼んだ。ベンジャミンはいつも流れるようにグローリアの言葉を引き出してくれる。ベンジャミンを相手に、グローリアは隠しごとができる気が全くしない。
「ベンジャミン様、おもてになるでしょう?」
背の高いベンジャミンは、あの茶会でも実はしっかりと目立っていた。王弟殿下も独身だが、ベンジャミンもまた独身の貴族男性なのだ。決して目立つ顔立ちでは無いが、静かに立っていただけでもその背の高さと出で立ちだけで充分に目を引いた。
「そうですね。そんなことはありません、とは言わないですね」
前から歩いてくる者に万が一にも触れないようベンジャミンがさりげなくグローリアの位置を誘導する。ただ歩いていては気付かないような自然さに、グローリアはベンジャミンがもてるであろうことを再度確信した。
「あら、正直ですのね?」
「誤魔化す意味もありませんからね。それなりにお声はかかりますがご遠慮させていただいております」
「まぁ、なぜですの?」
「手のかかる大きな獅子の面倒を見ておりますもので」
ベンジャミンの大きな獅子はきっと銀色の毛に濃紫の瞳をしているのだろう。さぞかし手のかかる獅子だろうし、ベンジャミンが独身なのも本当にその辺りが大きいのかもしれない。
「あらまぁ、それではいつまで経ってもお迎えできませんわね?」
「獅子の番が見つかれば私も迎えに行けるかもしれませんね」
ベンジャミンはグローリアを覗き込み、微笑んでいた青灰の瞳を更に細めて笑みを深めた。切れ長な形の目に冷たく見えそうな瞳の色だが、赤味の強い赤褐色の髪と相まってどこか愛嬌を感じる。
「それはそれは、先が長そうですわね?」
「ははは…そう来ましたか」
「え?」
「いえいえ、良いのですよ、グローリア様はそれで」
くくっと面白そうに喉を鳴らしてベンジャミンは正面を向いた。
「あなたまでそう仰るのね、ベンジャミン様」
グローリアが少し拗ねたように言うと、ほんの少しだけベンジャミンの声が低くなった。横顔をうかがうと、正面を向いている目がほんの少しだけ細められた気がする。
「おや、私以外にもそのようなことを言う者が?」
「モニカや皆も言いますのよ。わたくしはこのままで良いと」
ぱちりと視線が合った。ベンジャミンがふっと微笑み、少しだけ細い目が更に優しく細められた。
「ああ、そちらでしたか。なるほど、私もそう思いますよ」
「そちら、ですの?」
「いえ。私の小さな勘違いですから、どうぞお気になさらずに」
にっこりと笑うベンジャミンにそれ以上聞いても答えてくれない気がして、グローリアは「そうですの」とだけ言って再度前を向いた。
すでに三度目。見慣れた通路をベンジャミンとゆっくりと進んでいく。こうしてベンジャミンにエスコートされることにも随分と慣れてしまった。今ならば乱れた髪をしっかりと結われても嫌な気持ちにはならないかもしれない。
そんなことを考えつつ他愛のない話をしていると、今日もあっさりと王弟殿下の執務室前へとたどり着いた。
「ジェシー、レオは?」
扉の前に控えていたジェサイアにベンジャミンが声を掛けた。ジェサイアは今日も無表情のままひと言も発せずただこくりと、首をひとつ縦に振った。
「呼び出しておいて忘れるような獅子では無かったようです。それでは入りましょうか」
とんとんとん、と扉を軽く三回叩くと、ベンジャミンは「お連れしましたよ」とだけ声を掛けて返事を待つことなくがちゃりと王弟執務室の扉を開けた。




