51.そうなっちゃうんだね
「そう、ですわね。嫌いでは無いのです。これだけは間違いないのですわ」
まず最初に出てきたのは嫌いではない、ということだ。王妃殿下にも言われたのだ。最近そこまで悪く思っていないわよね、と。
「進歩ね、去年は嫌ってたもの」
「否定できませんわ、ごめんなさい」
去年の春の茶会まで、グローリアは間違いなく王弟殿下を苦手としていた。嫌っていたかどうかは正直分からない。けれど関わりたくなかったし、婚約者候補として名が挙がることをはっきりと厭うていた。
「良いのよ、続けて?」
微笑み頷くモニカに、グローリアも頷いて微笑み返した。
「好きかと聞かれれば、今は好きですわ。今は、その…少々お知らせできない内容も含めて知ったことで…そうですわね、尊敬、しているのだと思います」
グローリアは言葉を選んだ。なぜこのたった一年で心境が変わったのかを説明するにはどうしても口にせねばならない事情がある。けれど、それを口にすることは大切な友人たちを巻き込むことになるのでグローリアはしたくない。
「うん、少々お知らせできないところは気になるけど知らない方が幸せそうだから聞かないでおくね」
「もうベルト!」
グローリアの気持ちを汲んだように、ベルトルトが少しおどけて肩を竦めた。うまく進める自信が無かったので、ベルトルトの助け舟にグローリアは心の中で感謝した。
「ふふ、言いませんわよ。わたくしも皆様を巻き込みたくありませんもの」
「ごめんね、グローリア嬢」
ベルトルトが眉を下げた。それは何に対する謝罪なのだろう。聞かぬことに対する謝罪か、共に分かち合えないことに対する謝罪か。どれも誰も悪くないのに。
「言いませんけども、言わせていただくなら…あの方の生き方が、痛いのです」
上手い言葉が見つからない。けれど何度も思った感情がある。王弟殿下の生き方をグローリアは何度も痛いと、心が痛むと思ったのだ。
「あー、痛いのかぁ……」
「そうね、ちょっと分かるわ。色々分からなくても」
ベルトルトが目を細め、モニカも眉を下げて頷いた。黙っている三人をゆっくりと見回すと、皆一様に真剣な顔でグローリアをじっと見つめている。
グローリアは視線を落としまた少し考えると、眉根を寄せて確かめるように言った。
「痛くて、だからこう…放っておけないと申しますか……」
何だろう。王弟殿下を見ているとグローリアは森で怪我をした小動物を見つけたような、今にも萎れそうな花を見つけたような、何とも言えない気持ちになるのだ。何とか手を差し伸べて元気にしてあげたいような。守る、というのとはどこか違うのだが。
「なので正直、婚姻で無くとも良い気がするのです」
グローリアが考えるように首をかしげて言うと、ベルトルトが金の目をぱちくりと瞬かせた。
「え、そうなの?」
「はい。婚姻で無くともわたくしがあの方の味方でいられるのであれば何でも良いと思えるのです。あの方が別の女性をお選びになるのなら、わたくしはそれを祝福できます。あの方が無理をなさらずに済むお相手なら」
うんうん、とグローリアが首を縦に振っていると、ベルトルトの表情が段々と困惑へと変わっていく。
「あー、あれ?何か……」
「ベルト黙って」
モニカも何とも言えない顔をしながらベルトルトを制止した。なぜか少し目を泳がせているのが気になった。
「婚姻なら婚姻でも構わないのです。それならそれでわたくしのできることをいたしますわ。その…形はどのようでもよいのです。あの方の痛みを少しでも和らげられるのなら…何でも…。あの方が何をお望みになるのか、わたくしには分からないのですけれど……」
「そう………」
グローリアの中にある何かをひとつひとつ言葉にしていく。やはり恋や愛はまだグローリアには分からない。けれど、初めてあちら側へと入った日の認めさせたい、並び立ち支えたいと思ったあの気持ちは今でも全く変わっていない。
「ねえ、グローリア」
「はい?」
「お兄様はお見合いをなさったのよね?」
「はい、ウィルミントン令嬢ですわね?」
「そうよ。あの不幸の手紙の妹ね」
モニカの表情が一気に曇った。ウィルミントン令息を思い出したのだろう。モニカは茶会に出ていないのであの場での残念過ぎる姿は見ていないが、聞く話と例の手紙だけで十分に嫌悪に値する。
けれど、ウィルミントン令嬢についてだけは訂正しなければと、グローリアは思った。
「あの、モニカ」
「なあに?」
「ウィルミントン令嬢、とても素敵な方でしたわ」
グローリアが少し力を込めて言うと、モニカが若草の瞳を少しだけ見開いてぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「あら、そうなの?」
「ええ、あの…令息はやはりと言うかとても残念な方でしたけれど………。令嬢はとても凛々しくて、礼儀正しい、強い瞳の美しい方でしたわ」
国王陛下の前で凛と立ちはっきりと堂々と受け答えをしていたウィルミントン令嬢を思い出す。あの力強い青の瞳の美しさを、グローリアは今もはっきりと覚えている。
「アレの妹なのに?」
「ええ、アレの妹君ですのに」
ウィルミントン令嬢とよく似た色彩でありながらアレことウィルミントン令息は本当に残念な人だった。詳しいことを王弟殿下から聞けていないため、あの後彼らがどうなってしまったのか、グローリアはまだ知らない。
「そう…じゃぁグローリア。もしもその令嬢とのお見合いが成功していてお兄様がウィルミントン令嬢をお茶会にエスコートしてきたら、どう思った?」
うーん、と頬に手を当てて考えていたモニカがぱっと顔を向けグローリアに言った。
「エスコートですの?」
「そう。グローリアの手じゃなくて、ウィルミントン令嬢の手を取って茶会に参加したら、よ」
あの日、王弟殿下がグローリアの元へやって来た時、王弟殿下はベンジャミンだけを連れて会場へとやって来た。もしもあの時ウィルミントン令嬢の手を取り共に会場へ来たのなら……グローリアはじっと宙を見つめてその様子を想像してみた。
「………良くお似合いだったと思いますわ。お顔立ちだけでしたらわたくし、国一番と言われておりますのでわたくしが勝るのかもしれませんが、あの佇まいと凛としたお心持は王弟殿下のお隣にあっても決して見劣りなさらなかったと思いますわ」
グローリアが答えると、四方ならぬ五方から「はぁぁぁぁ」と大きなため息が聞こえた。
「あー、そうなっちゃうんだね…」
「駄目ね、まだ先が長そうだわ」
じっとグローリアをうかがっていたベルトルトががっくりと肩を落とした。モニカもベルトルトと繋いでいない方の手を額に当てて俯いている。
「あの、どういうことですの?」
「悪くないところまでは行けそうかと思いましたが」
「進歩はしていますよ」
フォルカーも目を閉じ、少しだけ眉根を寄せて上を向いている。首がほんの少し斜めに傾いているのは気のせいか。ドロシアは静かに金色のお茶をすすっている。
「あの………?」
「良いのよ、グローリア。それもまたあなたの魅力よ」
「はぁ…ありがとうございます?」
以前にもモニカに同じようなことを言われた気がする。あれは言葉をうまく崩すことができず黙り込んでしまったグローリアを慰めてくれた時だったはずだ。今グローリアはいったい何を慰められているのだろう。
「グローリア様らしいですね」
「グローリア様ですからね」
「ええ………?」
にこにこと、サリーが微笑ましそうに笑っている。両頬のえくぼが今日もくっきりと、サリーの温かな眼差しを引き立てている。ドロシアまで口角を上げているのに誰も理由を教えてくれずグローリアはただただ困惑するばかりだ。
「さてグローリア。お茶会での詳しい話を教えてちょうだい。やっぱり周りの見物人の噂より当事者の話が一番だと思うのよ!」
洗いざらい吐きなさい、と良い笑顔で更ににじり寄って来たモニカに、グローリアは質問攻めにされ十を数えても王妃殿下に面白がられて助けてもらえなかったことまで含めてしっかりと言える範囲は吐かされた。




