46.メイウェザーの執念
「あらいけない、話が脱線してしまったわね」
ふふふ、と口元に手を当て目元を朱に染めて笑う王妃殿下はすでにふたりの子を産んでいるとは思えぬほどに愛らしい。第二子であるクリスティーナ王女にはたまに呼ばれてお会いすることもあるが、その容姿は陛下の色をした小さな王妃殿下だ。将来は王妃殿下のように美しくも愛らしい女性になるのだろうと、会いに行けばいつも飛びついてくる御年六歳のクリスティーナ王女の小さな手を思い出し、グローリアの頬も自然と緩んだ。
そういえば二か月後にはクリスティーナ王女は七歳になる。何を贈ろうかと、グローリアの心が更に浮き立った。
「そうそう。ベンジャミンの祖母、マイラさんね」
「実はマイラさんはね、ハリエットほどでの赤では無いけれど、ほんの少しだけ茶色を混ぜたような見事な赤の髪だったのよ。だから本当は見落とすはずなんて無かったのよね。港町だったこともあって珍しい髪色から攫われて売られたんじゃないか……って、話だったのよ」
「それは……」
珍しい髪や瞳の色の人を奴隷や愛玩用として売り買いする文化がある国もあると聞く。当然、この国では人身売買など禁止されているし、万が一行われれば関係した者全てが厳罰に処される。
それでもなお、この国でも人身の密売が取り締まり切れていない。潰しても潰してもどこかから湧いて出るのだと、父が苦々しい顔で兄たちと話していたのを小耳に挟んだことがある。
「もちろん王宮もその線でも調査したけれど、何の手がかりも掴めなくてね。さすがに次期当主がずっと領地を離れたままにはできないし、何より学園にも通わなくてはいけなかったから十五の年で一度領地に戻ったのよ」
基本的には王侯貴族は皆、どこかの学園に通う。ほとんどの高位貴族は王都にある学園に通うが、東西南北、各地にも学園がありそれぞれに特色がある。特色に合わせて通う学園を決める家も多いが、メイウェザーは家と言うより個人の主義が通されるので常にバラバラらしいと聞く。
「それから五十数年、先代メイウェザー伯は探し続けたの。現在のメイウェザー伯爵に……つまりハリエットのお父様ね、爵位を譲ってからは更に各地を巡ってまで探し続けたわ。ひとりで馬に乗って、六十を越えた前伯爵がよ」
「壮絶、ですわね」
グローリアは眉を下げた。メイウェザーは放浪とも言える旅をすることがあるとは良く聞くが、まさかこのような旅とは思わない。他のメイウェザーの人たちもまた、同じように何かを探して彷徨っているのだろうか。初めてグローリアはメイウェザーの血を本当に呪いかもしれないと思った。
「ええ、まさしくだわ。でもね、実はとても近くでマイラさんは生きていたのよ」
「近くで、ですか?」
「ええ。実は同じ時期に港町に旅行に行っていた子爵家があるのよ……調べれば分かることだから言ってしまうけれど、現在のスピアーズ男爵家ね」
爵位に相応しい品位を保てなくなった時、何か大きな過ちを犯したとき。王命であれ自己申告であれ、爵位が下がることがある。まさしくスピアーズ家はそれに当たるのだろう。グローリアが貴族名鑑をめくるようになった頃にはすでに男爵家であったと記憶しているが。
「降爵……」
「そうよ。当時のスピアーズ子爵夫人は娘を亡くされたばかりで、おひとりで傷心旅行中だったのよ。たまたまよちよちとひとり歩く小さな女の子に亡くなった娘さんの面影を見て、そのまま連れ帰ってしまったそうなの」
「なんてことを………」
ちらりと母を見ると、母はお茶を飲みつつ静かに目を伏せていた。母もまた、詳しい事情を知る者のひとりなのだろう。
「ひと目でメイウェザーだと分かる髪色でしょう?でもメイウェザーは放浪する一族だから各地にメイウェザーの血筋がいてもおかしくなくてね。だから夫人は普通にマイアさんを連れ帰ったの。あまりに死んだ娘にそっくりだったから貧しい夫婦から引き取りました、って」
無茶苦茶な話だ。だがそれが通ってしまうのもまたメイウェザーの不思議だろう。旅の途中で行方不明になる者も多く、本当に、どこにでもメイウェザーの血筋と思われる者は現れるのだ。
「同じ時期に同じ場所で行方不明になった御令嬢がいるのなら、髪色も含めて周囲にすぐに知れてしまうのではないのですか?」
当然の疑問をグローリアが口にすると、王妃殿下が悲し気に微笑み首を横に振った。
「そこはね、人を使って全く違う場所で出会ったように偽装したのよ。本当に貧しい夫婦を雇って別の街へ移住させて、そこで傷心旅行で各地を巡っている時にばったりとマイアさんに出会ったように演じさせたの。知っていたのはマイアさんを連れ去った時に一緒にいた年若い護衛兼侍女ひとりだけ」
小さくため息を吐き王妃殿下が視線を落とした。連れ帰ってしまったのは突発的な衝動だったのかもしれない。けれどその後が悪質すぎる。降爵で済んだのがむしろ不思議なくらいだ。
グローリアもまた何とも言えない気持ちになりお茶を一気にあおりカップを置くと、すかさずハリエットが新しいものに交換してくれた。
「マイアさんはね、スピアーズ子爵令嬢として先代のフェネリー伯爵、つまりベンジャミンの祖父に嫁いでいたの。ほら、フェネリーって全然権力に興味が無いじゃない?マイアさんは体が弱くて学園にも通っていなかったんだけどね、社交ができなくてもフェネリーで生きられるくらい賢ければそれで良いですよーって先代フェネリー伯爵もあっさり受け入れたらしくて」
本当に体が弱かったのか、それともばれないよう領地から出したくなかったのかは分からない。それでも嫁に出すことを選んだ先が中央に近いフェネリーとは何という皮肉か。メイウェザーは、確かに中央に興味が無い。
「だから結婚してフェネリー伯爵夫人になってからも、昼間のお茶会には出ても夜会にはほとんど出ていなかったのね。スピアーズ家の養子であることは良く知られていたから誰も髪色について不思議に思わなくてね」
昼の茶会にしか出ないのであれば先代メイウェザー伯爵とマイアに接点ができることは無かっただろう。もしかしたらメイウェザー夫人は茶会に出ていたかもしれないが、ただ髪色がメイウェザーと似ているだけではまさか行方不明の義妹だとは思うまい。
話し疲れたのか王妃殿下がカップをゆっくりと傾けている。グローリアもハリエットが新しく用意してくれた茶に口を付けた。今度は蜂蜜入りの紅茶だった。ベンジャミンが淹れるものよりも少し蜂蜜が少なめだ。どちらももちろん美味しいが。
「それがどうして分かったのでしょう?」
ふぅ、とひと息つくとグローリアはカップを置き顔を上げた。王妃殿下も蜂蜜の甘さで落ち着いたのかほぅ、とため息を吐き困ったように笑った。
「ばったり会ったのよ」
「ばったり会った?」
「そう。離れ離れになったはずの港町で、ね」
「何てこと……」
巡り巡って全ての始まりの地でまた巡り出会う。運命の悪戯と言うべきか、悪魔の所業と言うべきか。
「それはそれは大切に育てられたみたいでね……マイアさんは何も知らなかったわ。でも先代メイウェザー伯はひと目見てマイアさんだと分かった。もうマイアさんも六十代……離れ離れになってちょうど六十年だったわ」
六十年。まだ十六歳のグローリアには途方もない時間だ。グローリアの愛する祖父と祖母ですら、六十年前はまだ赤子か幼児だったはず。それほどの長きを生きているかすら分からないたったひとりを探し続けることのできる思いの強さ。もはやそれは執念だろう。
あまりの時間の長さと重さに、グローリアはただ「ろくじゅうねん……」と子供のように呟くことしかできない。そう、六十年よ、と王妃殿下も首を横に振った。




