44.やり過ぎのお茶会
静かに、とても静かに国王陛下が言った。じわりとグローリアの手に汗がにじむ。思わず視線を下に落とすと大きな手が背をそっと撫でてくれたのを感じ、グローリアはほっと静かに息を吐いた。
「あっ……う、ウィルミントン海洋伯家が長子、ジャーヴィスが国王陛下にご挨拶申し上げますっ」
優しく微笑んでいるはずなのに、まとう空気があまりにも冷たく重い。ちらりと母と王妃殿下を見ると、ふたりとも慣れているのかなんでも無いように扇の下で何事かを囁き合っている。
「ああ、君がウィルミントン令息か。ウィルミントンと言えば快活で義を重んじる好青年が多い印象だったのだが………君はずいぶんと奔放であるらしいな」
「は……あの………いえ、それは………」
先ほどまでの不敬な態度はどこへ行ったのか。しどろもどろになり顔を青ざめさせるウィルミントン令息は息の仕方すら忘れたようにおかしな呼吸を繰り返している。
ふと、草を踏む音がして振り向くと、赤を感じる金の髪の凛々しい顔立ちの令嬢が静かに深くカーテシーをしていた。
「ご令嬢、君は誰かな?」
国王陛下が微笑んだ。先ほどまでの怖気立つような響きを一切感じない、正真正銘に優しい声に固まっていた空気が緩む。
「ウィルミントン海洋伯家が次子、コーデリアが陛下にご挨拶申し上げます」
深く頭を下げたまま令嬢が女性としては少し低めの心地の良い声で静かに名乗った。
「ああ、君が。ライオネルと話はできたかな?」
顔を上げて良いよ、と声を掛けられたコーデリアが礼を言い、ゆっくりと顔を上げた。瞳の色はウィルミントン令息よりも濃い青、きっとこういう色を海の青というのだろう。グローリアはまだ海を見たことが無いが。
「はい、陛下のご恩情により無事、ご了承いただくことができました」
「そうか。ウィルミントン伯も喜ぶことだろう」
「どういうことですか!?」
国王陛下の空気が緩んだことで気まで緩んだのか、またもウィルミントン令息が国王陛下と他者の会話を遮るというとんだ不敬に出た。場の空気が固まるが、ウィルミントン令息は意に介する気配すらない。
「………何かな?」
「了承したというのならなぜ王弟殿下がグローリア嬢の手を取っているのです!?」
国王陛下は視線を向けることなく淡々と答えた。ウィルミントン令息はまだも言い募っている。
「殿下、ご結婚なさいますの?」
「いや?しねえよ?」
こそりと小さく囁いて王弟殿下を見上げると、王弟殿下もグローリアを見下ろし小さく首を横に振った。見合いは破談で良いらしい。やはり例の『まだ言えない』ことか。
「公女、名前呼びを許したのかい?」
国王陛下に視線を向けられ、グローリアは王弟殿下の腕を逃れ一歩前に出ると深く、そして優雅に膝を折った。
「イーグルトン公爵家が一女、グローリアが国王陛下にご挨拶申し上げます。わたくしはわたくしの名を誓ってウィルミントン令息に許した覚えはございません」
「!!!!」
ほう、とまた周囲からため息が漏れる。頭を下げたままきっぱりと言い切ったグローリアに、ウィルミントン令息がぐっと目を瞠った。
「そうか。許されもしないのに淑女の名を軽々しく口にする、か」
顔を上げなさいと言われ、「ありがとうございます」と微笑み起き上がると後ろからまた腰をさらわれた。王弟殿下の腕の中に逆戻りだ。これは必要だろうか?と思ったが色々と面倒なのでグローリアは黙ってされるがままにした。もう今更だという諦めも大いにある。
「なるほど、海洋伯の懸念も令嬢や民の嘆願もよく分かるというものだな」
「は………嘆願………?」
「君の除籍願いだ」
さもつまらないことを言ったとばかりに国王陛下が目を閉じ肩を竦めた。心底どうでも良いと思っているのをひしひしと感じる。
「はあああ!?どういうことです!!なぜ僕が除籍など!!!」
「ジャーヴィス・ウィルミントン、控えろ」
「ひっ」
今にも詰め寄りそうなウィルミントン令息を、王弟殿下が地を這うような声で止めた。ウィルミントン令息はひどく怯えているが、ここは怯えるのではなく感謝するところだ。あと一歩前に出ていたら、すで剣の柄に手を掛けていた国王陛下の護衛騎士たちに間違いなく取り押さえられていただろう。そのまま切られることは無かったと信じたい。
「三度目か、余に対するだけで。ライオネルや公女に対するものも含めれば何度目になるのだろうな」
ふぅ、と国王陛下がため息を吐いた。国王陛下はどこからやり取りを見ていたのだろう。もしやこの茶番はグローリアが知らされていないだけで全て織り込み済みということだろうか。
「は………あの………?」
ウィルミントン令息がおどおどと周囲を伺っている。やっと自分に向けられる視線に気が付いたのだろう。殺気立つ騎士たちに、何かとんでもないことを仕出かしたようだということだけは気づいたらしい。
「ウィルミントン令嬢」
「はい」
呼ばれてコーデリアが一歩前に出た。
「今日は海洋伯は登城しているのだったかな?」
「はい。現在は応接室をひとつお借りしそちらで手続きの準備を進めております」
「君の件はもう伝えたんだね」
「はい、父もこれ以上は無理と判断したようでございます」
ひるむことなく真っ直ぐに前を向き微笑を浮かべて淡々と答えるウィルミントン令嬢はとても凛々しい。兄の暴挙に心を痛めているだろうに、決して動揺を見せることのない青の瞳をグローリアはとても美しいと思う。
「そうか………ライオネル」
「こちらに」
王弟殿下が頷いた。グローリアを手放してくれればいいのに腰に手を添えたままのため離れられず、グローリアは礼を失さぬよう国王陛下と目が合わないようにそっと視線を下に落とした。
「聞いたか?」
「はい、確かに」
「別件は?」
「そちらは断りました」
「うん、そうだろうね」
「?」
視線が合わないよう下を向くグローリアにははっきりとは分からないが、国王陛下がグローリアを見て笑ったような気がした。断った別件とは見合いのことだろう。嫌な予感がひしひしとグローリアを襲う。
「良い、余の目論見は半分は達成されている」
ふふ、と更に国王陛下が声を上げて笑った気がした。「はい」と王弟殿下が返事をしているが、さて、何が「はい」なのだろう。
「セシリア」
「はい、陛下」
国王陛下の声がとたんに優しく、甘さを含んだのが分かった。顔を上げると国王陛下が王妃殿下の椅子の背に手を置き穏やかに微笑んでいる。
「すまなかったね、君の茶会をずいぶんと騒がせてしまった」
「いいえ、良い余興でしたわ」
背もたれに置かれた国王陛下の手に自らの手を重ね、王妃殿下もまた柔らかく微笑んだ。色々と世間の評判とは違う両陛下ではあるが、夫婦仲の良さは本物なのだろう。
「そうか、では余は退散するとしよう」
「参加はなさらないの?」
「余がいてはつながる縁も消えてしまうであろう。ここは若人たちのための場だ」
国王陛下は静かに言うと固まるウィルミントン令息をちらりと見やり、すぐに興味が無さそうに目を逸らした。
「ウィルミントン令嬢」
「はい」
「君への祝いとして余については家を咎めることはしない。対応は君たちに任せよう」
「陛下のご恩情に心から感謝申し上げます」
祝い。ウィルミントン海洋伯が応接室で準備に取り掛かっている何かは祝いごとに繋がるらしい。はっきりと答え再度膝を折ったウィルミントン令嬢に、国王陛下は満足そうに微笑み頷いた。
「ライオネルや公女についてはその限りではないと伝えておくよ」
「はい、父にも重々申し伝えます」
「うん、ではな」
周囲の貴族たちにも手を上げると、国王陛下は白い騎士服の護衛騎士たちを引きつれて王宮へと戻って行った。
「殿下」
「おう、なんだ」
「話が見えませんわ」
国王陛下を見送り、まだ離れぬ手に諦めを感じながらグローリアが囁いた。
「ああ、そうだよな。あとで来るか?俺が話さなくても近いうちに公表されると思うが」
執務室へのお誘いだろう。今日は母が一緒のためどうしようかとも思うが、最も大切なことをグローリアはまず確かめることにした。
「とりあえず、わたくしのお見合いは無くなったと、そういうことでよろしいでしょうか?」
「ああ、よろしいよ。そこだけは、な」
『だけ』を強調した王弟殿下に、グローリアは扇を広げて半目になった。
「………自覚がおありですのね」
扇の下で上目遣いに睨みつけると、見下ろす王弟殿下が苦笑した。
「義姉上の悪乗りもあったが………すまん。やり過ぎた、と、思う」
「ベンジャミン様に期待しますわ………」
はぁ、と大きくため息を吐きグローリアはちらりと王妃殿下と母を伺った。楽し気に話すふたりはグローリアの視線に気づくと、王妃殿下は大変良い笑顔で、母は困ったような笑顔でグローリアに頷いた。それを見たグローリアは、再度、先ほどよりも大きなため息を吐き扇に隠れて天を仰いだ。




