38.アマリリス
『見世物騎士の日常と一目惚れについて』二話目のグローリアから見たお話です。
「ああ、こんなところで美しいアマリリスお目にかかれるとは」
振り返れば、そこにはアレクシアがいつもよりも更にきらめきを増したような笑顔で立っていた。けれど、その紫光の瞳の奥に焦りがあるのをグローリアは正しく見て取った。
「……アレク卿」
口の中で小さく呟くと、グローリアはあえてアレクシアの思惑に乗せられることにした。ちらりとドロシアとサリーに目配せをすると甘く微笑みを作り柔らかく目元を緩める。少し悪い顔色を誤魔化すようにグローリアは頬に手を添えた。
「まぁアマリリスだなんて…麗しいアレク卿にそのように仰られては、わたくし…」
差し出されたアレクシアの手にグローリアも手を重ねるとアレクシアがいつものようにグローリアの指先に口づける。それと同時に、観覧席からこちらを伺っていた令嬢たちからも黄色い悲鳴が上がる。後ろを振り向かずとも、正しくグローリアの意を汲んだはずのふたりもそれぞれに良い顔をしてくれているはずだ。
先ほどの騒動は間違いなく観覧席からも見えていただろう。あれだけ大きな声を出せば手前にいた令嬢たちには間違いなく内容も聞こえている。グローリアが不問にしようともどこかの令嬢の口から漏れてしまえばシモンの立場が無い。あの女性にも何かはあるだろう。
「何をおっしゃいます。グローリア様がいらしてくださった日の鍛錬場がどれほどの熱を持つのか…お分かりではありませんでしたか?」
顔を上げたアレクシアがにこりと微笑む。グローリアは感極まったように「まぁ」と瞳を細めた。モニカが一緒であれば間違いなくお化けを見るような顔でグローリアを見てくれたことだろう。
いつもの数倍増しで笑顔を振りまくアレクシアと、輪をかけて甘く微笑むグローリア。普段の微笑みひとつで周囲を黙らせることができるのだ、記憶のひとつやふたつくらいなら消すことは無理でも薄れさせることはできるはずだ、きっと。
わざとらしいほどにじっとアレクシアを見つめていると、アレクシアは一歩、いつもの位置より前に出た。
「あなた様がアマリリスであることに誰が疑いを持ちましょう?まさしくあなた様こそが咲き誇る大輪の花ですよ、グローリア様」
アマリリス。それは最近人気の歌劇で、愛する女性を讃えるために歌われる花だ。アマリリスは美しい、けれどそんなアマリリスよりもあなたの方が美しい、と。周囲で悲鳴とため息を繰り返す令嬢たちの脳裏にあるのはそれだろう。けれど、グローリアは明確にその裏に含まれる意味を理解している。
アマリリスは明るい大輪の花が三輪から六輪ほど、ひとつの茎の先から口を開くように咲く。その様子が明るく話す若い少女たちに例えられ、『おしゃべり』転じて『騒がしい令嬢の集まり』と揶揄されるのにも使われる。その意味に気づかぬグローリアではない。
皮肉にも、今日のグローリアの髪留めはアマリリスの細工だった。
――――この期に及んで侮りますの?
いや、令嬢たちだけでなく騎士たちに向けての芝居でもあるのだろう。全て飲みこみグローリアが柔らかく目を細めると、アレクシアが満足したような、ほっとしたような顔をした。あえてアレクシアの狙い通りに動いて見せたグローリアではあるが、心はまるで鉛を飲み込んだように重い。
そんな重さを微塵も気づかせぬほど軽やかにグローリアは微笑むと、アレクシアに別れを告げ後ろで見守る騎士たちへと更に笑顔を作り、そうしてドロシアとサリーと共に観覧席へと上がった。視界の端にこちらへ歩いてくるセオドアを見た気がしたがあえて振り向くことはしなかった。
「グローリア様……」
「大丈夫よ、サリー」
明るさを感じない声で心配そうに呼ぶサリーに、グローリアはちらりと振り返り軽く微笑んで見せた。黙って着いてくるドロシアの表情も硬い。ふたりとも、正しくアレクシアの言葉の裏を読んでしまったのだろう。
これは宥めるのが大変ね、とグローリアはまるで他人事のようなことを考えつついつも座る席を通り過ぎた。
「公女様」
いつもよりも遠い席、鍛錬場から見えづらい場所を選び座ると、すぐに白の騎士服に身を包んだ騎士が近づいてきた。
「カーティス卿、ごきげんよう」
「ごきげんよう公女様。私からも、深くお詫び申し上げます」
白い騎士服の騎士、カーティス・ラトリッジ卿が右手を左肩に置き、グローリアたちへ深々と礼をした。
「なぜあなたが?」
グローリアは立ち上がることをせず扇で口元を隠し、視線だけをカーティスへと向けた。カーティスは眉根を薄っすらと寄せて目を伏せた。そうして更に深く腰を折り、グローリアが観念して「顔を上げてくださらない?」と言うまで頭を下げ続けた。
「同じ王国の騎士として、下の者の過ちの責を負うのもまた上官の役目です」
「誰の過ちかしら?」
「それは」
無礼な態度を取り続けたあの従の女性か、それとも、グローリアを侮りあの場を収めようとしたアレクシアか、はたまた遠巻きにしながらも見て見ぬふりを貫いた者たちか。
にこりともせずに鍛錬場を見つめるグローリアをカーティスはじっと見つめ、唇を引き結び悲し気に眉を下げた。
「冗談よ。怒ってはおりませんわ。わたくし自身が怒られても仕方の無いことをしている自覚はございますもの。………あの従の方、お名前からすると東のご出身でございましょう?東からの新人が問題を起こしたのです。同じ東の守りであるガードナー伯爵家のアレク卿が強い焦りを覚えるのも無理の無いことですわ」
レナーテ、その響きは以前東にあった小国やその周辺の民族で使われていた言語の趣がある。アレクシアの家であるガードナー伯爵家も古くから王国に組み込まれたとはいえ東の亡国の流れを汲んでいる。
近しいルーツを持つものがグローリアに罰せられることを案じたか、グローリアに対する態度を他者に咎められることを恐れたか。どちらにしろ、あの凍り付いたような空気を何とかしようとアレクシアがあのような行動に出たのは明白だった。
「面目次第もございません」
悔やむように俯くカーティスがまたも静かに頭を下げた。自尊心が山よりも高いと言われる第一騎士団の騎士ではあるが、カーティスは常に他者のために頭を下げることを厭わない。決して慣れ合うことはしないが、自らより立場の弱い者たちのために迷わず頭を下げる。そこには第一も第二も第三も無い。カーティスのそういうところを、グローリアは密かに認めている。
「怒っていないと言ったはずですわ」
「はっ」
グローリアがため息交じりに苦笑すると、カーティスがゆっくりと顔を上げた。
「ねえ、カーティス卿」
「はい」
「セオドア卿は騎士に向いていないのかしら?」
「セオドア……ああ、第三の」
グローリアの視線の先。グローリアでは持ち上げることすらままならないはずの長剣がセオドアが持つと短剣にしか見えない。一回り以上小さな騎士と打ち合っているが、体が大きいせいで的になりやすいのか体が重く動きずらいのか、ほぼ防戦一方に見える。
「そうですね、公女様が何を以て騎士とするかによって違うかと存じます」
「ああ、そうね。戦い方にも色々ある、そういうことですわね」
「はい。彼は一般的に騎士らしいとされる長剣での一対一での試合には向かないでしょう。あの体を生かすなら誰も扱えぬほどの大きな両手剣か、さもなくば斧槍が相応しい。あって欲しくは無いことですが、斧槍を持った彼は敵陣の最中においては戦神ともなり得るでしょう」
敵陣の最中。つまりは戦場。戦が起きれば軍が編成される。第三騎士団の騎士は間違いなく最前線に配置されるだろう。セオドアのあの体はその最前線において敵陣に真っ先に切り込むことで真価を発揮するということか。グローリアもまた、あって欲しくないことだと心から思う。




