34.グローリアの覚悟
「あまり聞きたくはございませんが……その石は、今どこに?」
グローリアが気を取り直して顔を上げると王弟殿下が肩を竦めた。
「オブライエン侯爵家だな。侯爵が保管してる」
「侯爵閣下が?」
意外なことを聞いたとグローリアがぱちぱちと目を瞬かせた。てっきり宝石と引き換えに御璽が押されたのかと思ったのだが。
「所有権は一応兄上……というか、義姉上だな。義姉上が戻り次第、鉱山の発表と共に義姉上に献上されることになった。それなりの大きさがあるから加工せずルースのままだ」
「………とても、自然ですわね?」
大変自然な流れだ。新しい鉱山で発見された宝石を王妃殿下へ献上することで公表……自然過ぎて首をかしげたくなるのはすでにグローリアも毒されている証拠だろうか。
「そうだな自然だな。表向き」
「表向き」
やはり裏があるのか。あまり聞きたくはないが聞くと言ったのはグローリアだ。グローリアは表情筋が動かぬようしっかりと固めて頷いた。
「単にあれだ。兄上が御璽付き婚姻届けと引き換えに石を手に入れたその足で義姉上に会いに行ったんだよ。せめて誤魔化せば良いものを義姉上の誘導尋問であっさりと経緯を白状して、それを聞いた義姉上が激怒して突っ返したんだよ。贈ってくれようという気持ちは受け取るがその手法がありえない、返してらっしゃい、とな」
ひねくれ秘書官のことも衝撃ではあったがこれはその比ではない。脳裏に腰に手を当て若草の瞳を怒らせる王妃殿下と肩を丸めて叱られる国王陛下が浮かぶ。嫌だ、知りたくないとグローリアは目を閉じたが、余計に想像が鮮やかなっただけだった。
ぱちりと目を開くと困り顔の王弟殿下が目に入る。その綺麗な微笑にまさか安心感を覚える日が来るとはグローリアも全く思っていなかったのだが。
「そもそもどうやってアニーが厳重に管理されていたはずのその石を侯爵家から持ち出したのかも分らんが、兄上も兄上で侯爵と直接交渉して予約購入するなりなんなりすれば良かったんだがな。見た瞬間に欲しくなって即、陥落したらしい」
ついにグローリアの口から「わぁ……」と淑女らしからぬ声が出た。どんどんと王家の―――特に国王陛下のイメージが崩れていく。王弟殿下を無茶だ何だと言ったのはどこの誰だろう。ここで困ることのできる王弟殿下の方がよほど常識人ではないか。
「まぁ、そんなわけでな。鉱山の件にしろ王命の件にしろ、一切本当のことは公表できないんだよ。結局オブライエン侯爵が息子がやらかした迷惑料にって石は献上してくれることになったんだけどな……気持ちとしては完全な曰くつきだよ」
困ったように眉を下げて笑い王弟殿下が肩を竦める。この仕草を今日だけでいったい何回見たのだろう。
「結果として、全て殿下のせいということで丸く収めたのですね」
「丸いかどうかは別としてそんなところだな」
当然のことのように王弟殿下が頷いた。それで良いのかと問いたいが、それで良いからこそ今の王弟殿下があり、王家があるのだろう。ちらりとベンジャミンを見ると、主と同じ困ったような微笑を浮かべているが感情が読めない。
「フェネリー様も、それでよろしいとお思いですの?」
突然自分に向いた矛先に慌てることも無く、ベンジャミンは静かに笑みを深くした。
「それが覚悟というものでは?」
王弟殿下の後ろからグローリアを見下ろし微笑みを崩すことなく淡々と言い切った背の高い従者に、グローリアはぐっと眉根にしわを寄せた。
覚悟はあるのかと、誰もが何度もグローリアに聞いた。戻れなくなるぞと、まだ知らなくても良いと、何度も何度も誰もが言った。それでもと思い踏み込んだグローリアにベンジャミンは覚悟を説いた。
まだまだ全く足りないですねと言外の声が聞こえる気がする。
「なるほど、それがあなた方の覚悟なのでしょう。ですがわたくしにはわたくしの、イーグルトンとしての覚悟がありますわ」
グローリアは姿勢を正し、見下ろす視線を正面から受け止めた。ベンジャミンの青灰の瞳がすっと細められる。へぇ?と声が聞こえてきそうだ。
常に柔和な笑みを絶やさないこの従者は傍若無人な王弟殿下の側にあって常に王弟殿下を支え王弟殿下を諫めることができる人物として一目を置かれている。だが、覚悟を持って王弟殿下の側に侍っているのだ、一筋縄でいく相手のはずがない。
「殿下」
「おう。なんだ?」
ベンジャミンに向けていた視線をその下、王弟殿下へと向ける。それまで静かに、けれど面白そうににこにことやり取りを見守っていた王弟殿下があざといほどにこてりと、首をかしげた。
「イーグルトンの良心が向かう先には殿下も、側近の皆様もまた含まれることを、どうぞお忘れなきよう」
にっこりと、グローリアは誰もが見惚れる極上の笑みを浮かべて見せた。宣戦布告のつもりだ。誰が良いと言おうとも、グローリアだけは良しとしない。どのような経緯で今があるのかは知らないが、王弟殿下だけが悪評を被り続けるような未来をグローリアだけは否定する。
気づく者は気づくだろう、けれど気づかぬ者の方がずっとずっと多いのだ。たとえ気づかれぬ方が国が良く回るとしても、グローリアの心はそれを仕方がないとは絶対に言わない。
「はっ………そうかよ」
鼻で笑い唇の片側を上げて王弟殿下がにやりと笑った。どこまでも偽悪的な王弟殿下にグローリアもまた目を細め悪い顔で嫣然と笑う。
「覚悟なさいませ殿下。わたくし、絶対に『良い女』になりましてよ?」
王弟殿下の手駒か、協力者か、共犯者か、はたまたもっと近しい存在か。未来のことは分からない。だが絶対に認めさせてみせるとグローリアは心に決めた。良い女にならねば側に置かぬというのなら、誰よりも良い女になって見せようではないか。
「お前はほんとに……馬鹿だなぁ」
言葉とは裏腹に、ため息とともにグローリアが初めて見る優しい瞳で王弟殿下は微笑んだ。少しだけ泣きそうに見えるのはきっと、いつか絶対泣かせてやるというグローリアの願望ゆえだろう。ぎゅっと、グローリアの胸が痛んだ。
「それでは殿下、そろそろお暇致しますわ。お時間をありがとうございました」
窓の外では春の太陽がすでに傾いている。ずいぶん長居をしたようだ。ユーニスが待ちくたびれているかもしれない。
「おうよ」と笑う王弟殿下にグローリアはお手本も青ざめるほど優雅にカーテシーをし、そうして今度はにっこりと、いたずらっ子のような笑顔を浮かべ執務室を後にした。
ドアが閉まる前ちらりと振り向くと、ベンジャミンは胸に手を当てて浅く一礼し、王弟殿下はまた優しい瞳でグローリアを見て小さく手を振った。




