33.色の変わる石
話題の視察は『王妃付き侍女と国王付き侍従の恋文とその顛末について』の視察です。
「あのな、グローリア。守る者があれば人は強くも弱くもなる。お前がいるからこそ、強くなれるやつらもいる。お前を守りたい大人連中の我が侭も、頼むから汲んでやってくれよな」
「……善処は致しますわ。保証は致しませんけど」
「ったく、相変わらずの減らず口だなぁ」
苦笑いの王弟殿下の長い腕がテーブル越しに伸びてきてグローリアの頭をぐしゃりと乱暴に撫でた。またもあっさりと触られたことに目を丸くし、グローリアはきっ、と王弟殿下を睨みつけた。
「淑女に気軽に触り過ぎなのです、殿下は!」
頭を後ろに下げてその手を避けると、グローリアは乱された髪を手櫛で軽く整えた。毛先をゆるく巻いて髪留めでハーフアップにしただけだったのでそこまで乱れてはいないはずだ。
「おうおう、大した淑女だな。婚約も秒読みと噂される男の執務室に堂々とひとりで訪れて髪が乱れて出てくるわけだ。俺は十四も年下の未成年に手を出した鬼畜な変態の名を欲しいままだな」
「なっ!乱したのは殿下でございましょう!!」
とんでもない言い草にグローリアの顔が熱くなった。不調法で不埒者。どこまでが本物なのかグローリアにはさっぱりと分からない。唇を噛みしめて手櫛で荒く髪を撫でつけていると、ベンジャミンがすっとグローリアの足元に跪いた。
「少々、御髪を失礼してもよろしいですか?」
櫛を手ににこりと笑うベンジャミンに、身内でもない男性に触れられることに抵抗が無いわけでは無いが背に腹は代えられないとグローリアは、しぶしぶ「許すわ」と頷いた。
ぱちりと髪留めが外される感触がして数度櫛が通される。そうしてあっという間にまたぱちりと髪留めが留められ、いかがでしょう?とベンジャミンから手鏡を渡された。何事も無かったように………いや、むしろここへ来た時よりも美しく髪が整っている気がする。グローリアは手鏡を返しつつ何とも言えない気持ちで頷いた。
「ありがとう……器用なのね?」
「いえ、慣れておりますので」
「そう、慣れて………」
にこりと笑うベンジャミンにグローリアもにこりと、作った笑顔を張り付けた。王弟殿下の従者が女性の髪を整えることに慣れるとはいったいどういう状況なのだろう。考えても良いことにはなりそうにないため、グローリアは小さく頭を振り、軽く咳ばらいをすると王弟殿下に向き直った。
「ところで、オブライエン様はどのようにして陛下から王命を賜ったのでしょう?」
王弟殿下が苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。
「お前、そこは誤魔化されて忘れとけよ……」
ちっと舌打ちを打ちそうな顔で視線を逸らすと王弟殿下がため息を吐いた。グローリアの髪を乱して怒らせたのはどうもわざとだったらしい。
「あのな、それ以上踏み込むと本当に戻れなくなるぞ?」
「今後はこちら側だと仰ったのは殿下ではございませんか」
「それはそうだがな?程度ってもんがあるんだよ……」
あーもう、と王弟殿下が背もたれにもたれて脱力している。首を傾け弱り切ったように首筋を撫でる姿が妙に艶めかしい。見目麗しいものというのは何をしても破壊力が高いのだろう。最近、自分は容も含めた美しいものに弱いとやっと気づいたグローリアには少々目のやり場に困る。
「………聞くか?」
そのままの姿勢で視線だけをグローリアに流すと、王弟殿下が不機嫌そうに呟いた。そういえば、グローリアの専属侍女ユーニスもグローリア以上に美人が好きだ。この様を見たら喜んだだろうなとグローリアは明後日のことを考えた。
「お聞かせ願えるのなら」
内心など微塵も見せず、グローリアは静かに微笑み頷いた。その様子にまたため息を吐くと、王弟殿下はグローリアから視線を外しソファの背もたれに頭を乗せて天井を見つめた。
「オブライエン侯爵家の領地で色の変わる宝石が見つかったのは知っているか?」
「いえ、存じませんが………」
ちらりと脳裏にベルトルトが贈ってくれたアレキサンドライトが浮かぶ。隣国の特産品であるあれが、まさか国内でも見つかったのだろうか。
「だろうな。しばらくかん口令が敷かれていた」
「過去形でございますか」
「ああ。隣国のものとは全く違う新種であることが確認されたからな。まだ名もついていないが鉱山の存在は公になる。セシリアが戻り次第、な」
「視察中でいらっしゃいましたね」
現在、王妃殿下は毎年恒例の視察旅行中だ。何事も無ければ四日後には帰還の予定となっていると官報には載っていた。ふと、長年疑問だったことが頭をよぎりグローリアは聞いてみることにした。
「なぜ王妃殿下も王妹殿下もこの社交シーズン始めの大切な時期に毎年視察に行かれるのでしょう?」
うん?と首をかしげると王弟殿下は「ああ」と頷いた。
「わざとだよ。領主や当主がいると何かあっても下の者は訴え出にくいだろう。あえて社交シーズン開始の重要なところで訪問することで要らない奴らを王都に追いやって無駄な誤魔化しが利かないようにしてるんだよ」
実情を訴え出るチャンス、ということだ。言われてみれば訪問先は毎年ギリギリにならないと発表されない。色々隠すにも時間が足りず、脛に疵持つ者たちは毎年戦々恐々としていることだろう。その隠ぺい工作の荒さを突くのが目的ということか。領地に残ればそれこそ『隠し事があります』と公表しているようなものだろう。
「なるほど、よく分かりましたわ。ではその鉱山が何か?」
グローリアが頷き話を戻すと、また王弟殿下は嫌そうな顔で「忘れねえのな」とため息を吐いた。
「どうにも面白い鉱山でな。はっきりと色が変わるものは少ないが採掘されるいろんな色の石がいろんな色に変わる。ふたつと同じものが無いと言えるくらい様々らしい」
「それは……とても貴重なのでは?」
「いや、かなりの量が産出できるらしくてな。色の合わせによってはまぁ付加価値がつきそうなものはあるが、量も大きさも申し分なく流通できそうらしい。硬度も適度に低いから加工も容易らしくてな。ガーネットの一種だそうだ」
「ガーネットでございますか?」
ガーネットは世界的にも産出量が多く、特に深い赤のものは安価で手に入りやすい。しかも産出する色も多種多様で産地によりほぼ全ての色が産出すると言っても過言ではない。色や品質によっては高価なものもあるがそもそもの産出量が多いため、ルビーやサファイア、エメラルドのような高価な貴石を手にできない者たちにも手が出しやすい。手は出しやすいが、決して大きく見劣りのする石でもないことから『女神の慈愛』などと重宝がられている。
「ああ、でだ。あー……その鉱山で少し前に出た石がな、また厄介なんだよ。自然光の下だと緑……ペリドットのようなんだがな、蝋燭の灯りで見ると薄く赤を帯びた紫になる」
「まぁ……それはそれは……」
王妃殿下の瞳の色はモニカと同じみずみずしい若草。対して国王陛下の瞳は王弟殿下よりも少し赤味を感じる濃紫だ。
「いくつか産出したその石の中から一番質と大きさの良いものをセシリアのためにと、アニーが兄上のところへ持ち込んだらしい」
「………何だか、聞きたくなくなってまいりましたわ」
頭痛を感じたグローリアが目を閉じ眉を寄せ俯いた。片手で目元を押さえていると「だから言っただろうが」と王弟殿下も頭痛を堪えるようにこめかみを手で押さえた。




