30.そういう役割
未成年であるグローリアは当然だが夜会や大人の社交には参加できない。それでも話題が大きければ大きいほど、早い段階で子供たちの耳にも噂は入ってくる。その噂を聞いて遠い目になったのは、やはりというかグローリアだけでは無かった。
「よりによって『俺が兄上に頼んだ』は無いと思うのよ」
放課後。すぐに家路につかず学園の中庭でテーブルを囲み、モニカが遠い目をしてぽつりと呟いた。今年初めの王宮夜会があったのはつい先週のこと。その夜会の場で、あろうことか王弟殿下は今回の王命結婚は自分が秘書官のために国王に頼み込み国王が折れたのだ、と宣ったらしい。
「無いでしょう。まず、無いわね」
目をうつろにして唇の片側を上げ令嬢らしからぬ表情で笑うモニカに、ベルトルトが目を瞬かせている。
「断言できるんだね?」
不思議そうに首をかしげるベルトルトに、サリーもまた不思議そうに目を瞬かせている。フォルカーとドロシアは安定して感情が読めない。笑顔と無表情の違いはあるが。
「わたくしも無いと思いますわ」
グローリアも静かに頷いた。グローリアは父から事前にこの件について少しだけ聞いている。確かに秘書官のために多少の無理は押したようだが、常識を大幅に逸脱するようなものでは無かった。各所は迷惑ではあっただろうが。
「さすがグローリア。分かってるわね」
我が意を得たりとばかりにモニカが身を乗り出しグローリアの手を握った。そんなモニカに微笑み頷きを返すと、グローリアは周囲を見回し誰もいないことを確認したうえで声を潜めた。
「少しだけ、父に聞きましたのよ。噂に聞く嫌がらせのほとんどは殿下の手によるものでは無いとか。恐らく、文武問わずかなりの人数が処罰されると思いますわ」
さすが騎士団長の家、とモニカが笑顔で頷いている。
「では、なぜ王弟殿下はそのようなことをおっしゃったのでしょう?」
サリーが困惑した顔で小首を傾げている。グローリアがちらりとモニカを見ると、モニカは困ったように微笑み、小さく首を縦に振った。
「そういう役割、なのだと思いますわ」
「あー……そういうことか……」
同じ王族であるベルトルトはぴんと来たらしい。ドロシアも今の会話からそれとなく察したものがあるようだ。自分は何を聞いてもそれ以上踏み込まない、と静かに目を伏せ俯くことで意思表示をした。サリーもまた、ぱっと両手で口を押えた。口外しません、ということだろう。
「どこまでが知ってる話なの?」
ベルトルトが言う。グローリアも直接聞いたわけでは無く今までの王弟殿下や父たちの発言、母たちの態度から察しているだけだ。どこまで、というのは中々に難しい。
「恐らくですが、わたくしの両親と、それからティンバーレイク公爵ご夫妻もご存知ですわ。王家や国の中枢にいる方たちはご存知かと。わたくしは周囲の様子から察しているだけですが……」
ちらりとモニカを見るとモニカも静かに首を横に振った。グローリアと同じようにモニカも察したのだろう。きっとグローリアの両親もモニカの両親も、どのような形でかいずれ中枢に関わることになるだろうグローリアたちに、それとなく伝わるように接してきたはずだ。もしかしたら長兄は既に詳しいことを知っているかもしれない。
「かなり上の方だけ、か。じゃあ俺はこれ以上首を突っ込まない方が良いね。他国の王族が詳しいことを知るべきじゃない」
「お気遣い痛み入りますわ。お話しできる範囲は恐らく、王宮の方から直接お話があるかと」
「うん、分かってる。………モニカ、大丈夫?」
グローリアに笑顔で頷いて見せると、ベルトルトは気づかわし気にモニカを振り向いた。モニカの思い人である王弟殿下の悪評だ。モニカに思うところがあってもおかしくは無いだろう。
「ええ、大丈夫よ。お兄様の『これ』は今始まったことでは無いものね」
モニカは困ったように笑い、肩を竦めた。いつから王弟殿下がこのようなことを繰り返していたのかをグローリアは知らない。けれど、このようなことを続ける理由を考えた時思いつく答えは多くない。穏やかで物静かな国王と心優しく聡明な王妃という国内外ともに大変良い国王夫妻の評判を思えば、ずいぶんと昔……もしかしたら、グローリアたちが物心つく前から王弟殿下はそうして生きてきたのかもしれない。もし、そうならば。
――――痛いわ、とても。
息をするように自分を犠牲にして何かを守る王弟殿下を、いったい誰が守っているのだろう。ベンジャミンはきっとギリギリの線は越えさせないようにしているだろうがその生き方を否定することは無いだろう。むしろ、共に歩んでいるように思える。他の側近たちもまた同じだろう。何と痛々しい生き方なのだろうか。
「誰もが信じて、これで幕引きかしらね」
ぽつりと、モニカが言った。
あの王弟殿下ならやりかねない。多くの者たちは何も知らず何も気づかずそう信じるだろう。王宮が、国がそう仕向けているのだから善良な彼らに罪はない。それでも気づいてしまった者からすればやるせない気持ちにはなるものだ。
「気づく者は、気づきますわ」
決して多くは無いだろう。それでも知らされずとも気づく者はきっといる。気づく者がいるからこそ、王弟殿下は今も王弟殿下なのだ。
「俺も、あの人は噂とは違う人だと思うよ。あの人はとても頭が良いと思うし、俺が接してきた王弟殿下は………とても………」
言葉を止めるとベルトルトはきゅっと唇を引き結び俯いた。少し考えるように瞬くと顔を上げ、そうしてぎゅっとモニカの手を握った。
「彼は、とても優しい人だ」
ベルトルトはモニカを見つめ「モニカの思い人は、素敵な人だね」と、金の目を優しく細めて笑った。
「あなたも素敵な人よ」
モニカは少し怒ったように握られた手をぎゅっと握り返した。真剣な目でじっと自分を見つめるモニカに、ベルトルトは困ったように、けれど照れくさそうに「ありがとう」と笑った。
きっとそう遠くない未来、モニカの心の一番柔らかな部分にはベルトルトが住むのだろう。その未来は、きっと優しい。グローリアははにかみ見つめ合う大切な友人ふたりを眺めつつ、いつか来る自分の未来もまた優しいものであれば良いと、こっそりと心の中で女神に祈った。




