3.グローリアの三人 三人目 1
三人目は…三人目と数えることがグローリアは実に不本意なのだが事実なので仕方がない。グローリアにとっては以前とは違う理由で今もあまり関わりたくない人物、王弟ライオネルだった。
当時も様々な式典や催しなどで目にする機会は何度もあり、その度に美しい人だとは思っていたがそれだけだった。傍若無人な振る舞いは幼い頃からグローリアの耳にも多く入って来ていたし、美しいが近寄りたくはない、巻き込まれるのは御免被りたい相手だった。
十五歳の時。あれも王宮主催の春の茶会のことだった。
毎年恒例のこの茶会にはその年に十歳になる子供から学園入学前の十五歳までの子供とその保護者が招待される茶会と、学園入学後の十五歳から二十歳までの未婚かつ婚約者の居ない令嬢令息が付き添いと共に招待される茶会がある。
子供たちの茶会は複数人の保護者の同伴が可能だが、この集団見合いや人脈作りの意味合いが強い十五歳以上の茶会では保護者では無く付添人としてひとりが共に来ることを許される。こちらの茶会にはこの年が初参加だったグローリアには母が付添人としてついてきていた。
常時であれば主催は王妃殿下だが、その年は毎年行われる視察の後に王妃殿下が長く体調を崩したため代理で王弟殿下が王族として参加した。
普段は随分と着崩した装いで過ごしていることも多い王弟殿下がその日はしっかりと昼の正装で装い、まるで別人かと思うほどに爽やかな微笑みを美しい顔に浮かべて会場に現れると会場中がざわめいた。
二十代も後半の男盛り。軍部の総帥も兼務する王弟殿下はしっかりと体を鍛えており、高い背に広い肩幅と無駄のない体は服の上からでもよく分かるほどに均整がとれている。普段はまるで筋肉の塊かと思うような父しか見えていない母が「まぁ…」と少女のように染まった頬に手を当ててため息を吐いたほどだった。
グローリアがそっと視線だけで周囲の様子を伺うと、母と同じような顔で王弟殿下を見ている女性は少なくなかった。
「やはり王族ね………噂はどうあれ」
ぽつりと母が呟いた。茶会の開催の挨拶と参加への礼を堂々と、そして優雅な微笑みを浮かべて語る良く通る声も低く響くようで心地よい。
「今日はどうか楽しんで行って欲しい」
そう笑みを深くし細められた王弟殿下の濃紫の瞳に、令嬢とその保護者の婦人たちが色めき立った。王弟は来年で三十を迎えるがまだ未婚。婚約者もいない。噂では、王妃殿下の体調不良というのは建前で、王弟殿下はこの茶会で妃の候補者を選ぶのではないかと言われていた。
「呆れたこと」
裏では王弟殿下のことを野蛮だの粗野だのと嘲り眉を顰めている者たちが頬を染め王弟殿下を見つめる様子を見てグローリアは内心で苛立ち、美しい微笑みを浮かべたまま開いた扇の裏で吐き捨てた。
グローリアが受けるのは嘲りではなく称賛がほとんどだが、どちらにしろ外側の器と噂話でしか見られていないという意味では大差がない。どのような人間か、真実が奈辺にあるのかなどどうでも良いのだろう。いささか浅はか過ぎはしないだろうか。
心の中で眉を顰めていると、周囲の様子などものともせずに王弟殿下がゆっくりと動き出した。
今年は王妃殿下の生家ティンバーレイク公爵家から第一子である公女と公爵本人が参加しており、王弟殿下はまずティンバーレイク公爵家のテーブルへと歩み寄った。例年であれば令嬢令息とその同伴者が王妃殿下のテーブルへご挨拶に伺っていたが、王弟殿下は挨拶を受けるのではなく自分から各テーブルへ向かうことを選んだらしい。
ティンバーレイク公爵と公女が気づいて立ち上がろうとすると王弟殿下は手で制して良く通る低い声を周囲に聞こえるよう少し大きくして言った。
「公爵、公女、立つな。ふたりが立てば皆立たねばならなくなる。私が好き好んで回るんだ、皆座って楽しんでいてくれればそれでいい」
公の場で現在のところ王位継承権第三位の王弟殿下に礼をしないなど本来ならばありえないが、本人がそう言う以上、皆従うよりほかはない。「承知しました」と困ったように笑うとティンバーレイク公爵と公女は浮かせていた腰を椅子へと静かに落ち着けた。
「ようこそ、ティンバーレイク公爵。久しいな、モニカ」
「お招きに預かり光栄です、殿下」
「ご無沙汰をしております、ライオネルお兄様」
ティンバーレイク公女の椅子に手を置くと軽く覗き込み王弟殿下が笑った。その笑みの甘さに周囲のテーブルから小さな悲鳴とため息が漏れる。
ティンバーレイク公女も嬉しそうに頬を染めて王弟殿下を見上げ、ティンバーレイク公爵もそんな愛娘を困ったように見つめながらも王弟殿下と二言、三言と言葉を交わしていた。
ティンバーレイク公爵家の長女は今年で十七歳、グローリアのひとつ年上だ。どことなく王妃殿下を思わせる面立ちに、よく似た若草色の瞳の小柄でおっとりとした美少女で、王妃殿下を父公爵と共に尋ねることもあったことから王弟殿下とは幼いころからよく顔を合わせていたらしい。王弟殿下の名を呼ぶことを許されているところを見ると、やはり親しい間柄なのだろう。
グローリアも立場上謁見した回数は少なくないが名で呼ぶことは許されていない。呼びたいとも思わないので構わないのだが。
しばらくの談笑ののち、王弟殿下がまたティンバーレイク公女に笑いかけると顔を上げた。何となくそちらを眺めていたグローリアと目が合うと、王弟殿下はふっと笑って同じテーブルに座っていたグローリアたちの方へと向かってきた。五大公爵家のうち、今回この茶会に参加しているのは二つ。ティンバーレイク公爵家のあとは同じテーブルに座るグローリアたちイーグルトン公爵家を訪うのはとても自然な流れだった。
「ようこそ、イーグルトン公爵夫人、イーグルトン公女」
グローリアではなく母の椅子に手を置き、王弟殿下はまた穏やかに微笑んだ。先ほどのティンバーレイク公女に向けた親しみのある笑顔とは違う、完璧に整った美しい笑顔だ。
「お招きをありがとう存じます、殿下」
「お会いできて光栄でございます、殿下」
グローリアも母と共に挨拶を述べるとにこりと社交用の微笑みを顔に張り付けた。十人いれば八人が美しいと崇め、ふたりはただ見惚れて絶句するグローリアの笑みだ。王弟殿下は見惚れることも顔色を変えることも一切無く、ただ「ああ」と微笑んで小さく頷いた。
「公女は年を経てまた美しくなったな。公爵もふたりの兄たちも気が気では無いだろう」
今日の主役は付添人ではなく令嬢令息だ。王弟殿下は麗しい微笑みを浮かべたまま、母ではなくグローリアをそつなく褒めた。
「お褒めに預かり光栄ですわ。容姿だけだと言われぬよう、今後も公女として精いっぱい学んでいく所存でございます」
「ああ、そういえば今年学園に入学したんだったか。おめでとう、公女。あまり気を張り過ぎるな。公女は少し自分の役割に頑なすぎると公爵が心配していたぞ」
「父が甘すぎるだけですわ」
穏やかに微笑みつつ当たり障りのない会話をしていると、周囲からグローリアにとっては不本意な声が聞こえ始めた。