29.ポーリーンの結婚
『先駆け騎士と王弟付き秘書官の婚約解消について』と『王弟従者の思い出とバタースコッチについて』のちょっとした裏側のお話。
年明け。一月には王妃殿下の誕生祝賀パーティーが行われ、そして二月になると各地から続々と遠方の貴族家の主たちも集まりその年の議会が始まる。そうして三月には、その年最初の王宮主催の夜会が開催されるのが毎年の決まった流れだ。
昨年の三月の王宮夜会で起きた事件がきっかけのポーリーンと王弟秘書官の婚約は凛々しいポーリーンと愛らしい秘書官の容姿も相まって王宮ロマンス譚としていまだに人々の話題に上がるわけだが、今年の王宮夜会をちょうど来週に控えたその日、とんでもない話がグローリアの耳にも入って来た。
「え………、王命、ですの?」
父の執務室。大きな体を丸め疲れたようにため息を吐く父がグローリアに話してくれたのは、ポーリーンと王弟秘書官が『王命で』婚姻を結んだという、頭に疑問符がいくつも湧いて出てしまうような話だった。
「あの、おふたりは普通にご婚約なさっていたのでは?」
目頭を指でもみほぐすように摘まむ父の目の下には薄っすらと隈が見える。体力お化けのような父をここまで疲れさせるとはいったい何があったのか。
「お前はポール卿を気に入っているからな……おかしなところからねじ曲がった情報を聞くよりは、先に話しておこうと思ってな」
そう言い、父が湯気の立つ紅茶を一気に飲み干しソーサーへ戻すと、すかさず祖父の代から仕えてくれている老執事が父のカップへ紅茶を注ぎ足した。
「ねじ曲がった、ですか?」
グローリアが小首を傾げると、父は「ああ」とため息混じりに頷いた。
「ジジも、ポール卿と第二騎士団が少々……嫌がらせめいたことをされていたのは知っているな?」
人気のある騎士とはいえ子爵令嬢のポーリーンが望まれて王弟の秘書官であり侯爵令息であるアンソニー・オブライエンの婚約者におさまったことが面白くない面々が、ポーリーンへの嫌がらせのために第二騎士団や第三隊に嫌がらせをしておりその筆頭が王弟殿下である……という、どこまで本当か分からない噂話はずっとグローリアの耳にも入って来ていた。
「聞き及んでおります。嫌がらせがどの程度で、どこまでが真実かまでは存じませんが」
「お前は賢いな……噂は鵜呑みにするものでは無い」
眉を下げ嬉しそうに悲しそうに笑う父に、父の疲れの一端は鵜呑みにして踊らされている者たちの対処も含まれているのだろうことをグローリアもそれとなく察した。
「そうだな………私も第一騎士団の団長として、国を守る騎士たちへの暴挙は見逃せない。証拠がないとはいえそれとなく釘を刺したりフォローをしたりはしていた、のだがな」
そこで言葉を切ると、ばふりとソファーの背もたれに寄りかかり天を仰いでため息を吐いた。
「ついに、第二騎士団の遠征食料にまで手を出したやつが出た」
「………は?」
何だそれは。第二騎士団の遠征とはそれすなわち、国や民に仇なす者たちの討伐や危険な害獣などの討伐だ。そんな彼らの大切な遠征での食料に手を出すということはすでに国家反逆罪の域だろう。到底嫌がらせで済ませて良い話ではない。
「え……は……え……?」
何を言えば良いのか分からずグローリアが目を見開いたまま珍しく言葉に詰まっていると、父が困ったように笑った。
「一応先に言っておくが、王弟殿下は関わっていない。むしろあの方のやったことなど嫌がらせにすらならん。ポール卿の休みの日を急遽無理やり変えて秘書官殿と合わせたり、遠征日程をずらしたり、遠征先に秘書官殿が視察の名目で突然現れたり、その程度だ。しかも日程が変わればその分遠征食が豪華になったり、秘書官殿が現れれば一日日程が追加されてしまうがその日は全員休暇で手当が支払われたり、な」
もちろん殿下の私費からだぞ、調整が必要だったりするから多少は困るのだがな、と父が苦笑いしながら首を横に振っている。なるほど、各所との調整は必要だろうがそれにしてもむしろ嫌がらせと言うよりは……いや、各個人の捉え方や立場次第でものの見方は変わるものだ。
「ずいぶんと……お可愛らしいですわね……?」
グローリアの耳に入ってくるのはもっとこう、底意地の悪いものが多かったのだが、ただただ尾ひれがついただけだったということか。
「ああ。度が過ぎそうなものは全てベンジャミン殿が潰していたからな。まぁ、あの方のことだから全てが実行されたところで第二騎士団長のため息が増える程度の嫌がらせだろうがな」
うんうん、と腕を組み頷く父に、ひょろりと背の高い王弟殿下の従者を思い出す。昨年の茶会の後も怒られたと王弟殿下は言っていた。なるほど、ベンジャミンは間違いなく王弟殿下のお目付け役のようだ。
「ではあの……何とも言えない噂はどこから来ていたのでしょう?」
グローリアが疑問符を浮かべて眉を下げると、父がまた表情を曇らせてため息を吐いた。
「王弟殿下を隠れ蓑と言い訳に使った別の連中の悪事が丸ごと王弟殿下がやったことになっただけだな」
「ああ……なるほど……」
グローリアは納得した。普段の表向きの素行が悪いばかりに疑うことなく信じたものが多かったということだ。
「それで、それがどうして王命での婚姻に繋がったのでしょう?」
グローリアもようやくグローリアの飲みやすい温度まで下がった紅茶をひと口含むと、カップを音もなくソーサーに戻した。グローリアは少々、熱いものが苦手なのだ。
「ああ。ついにポール卿の堪忍袋の緒が切れてな、騎士団の退団と婚約の解消を願い出たんだよ」
「解消を願い出て婚姻ですか」
さらに疑問符が湧いて出る。解消ではなくさらに進んで婚姻。何がどうしてそうなったのだろう。
「その辺りの詳しいことは公表されていない。だがまぁ、何かがあって陛下が押し切った、ということだろうな」
「押し切った………」
ずいぶんと強引な話だと思う。ポーリーンがどういう心境で退団と婚約の解消に踏み切ったのかは分からないが、もしもポーリーンが婚約自体に嫌気がさして婚約の解消を望んだのであればずいぶんな横暴だ。イーグルトンとしては決して許してはいけない行為のはずだろう。
「お父様。それは当家として、許して良い状況でしょうか?」
グローリアが居住まいを正すと、父がまた疲れたように苦く笑った。
「そうだな、実はそこの辺りが分からない。王命での婚姻は実は昨日の話でな、そもそも知っている人間の方が少ない」
「き、昨日でございますか」
何と、実に直近の話だった。むしろそれはグローリアに伝えても良いものだったのだろうか。
「ああ。婚姻自体は公になっているから口にしても問題ないのだがことの顛末や様々な方面への処罰や対応はまだ未定のものも多くてな。特に兵糧や騎士団内でのことはことがことだけに一応、かん口令が敷かれている」
やはり聞いてはいけない内容だった。グローリアは内心冷や汗をかくとともに父からの信頼に少しこそばゆい気持ちになった。
「承知いたしました。今しばらくは静観いたします」
「ああ、そうしてくれ。ポール卿や関係者には明日以降聞き取り調査を行う。その結果いかんでは王命とはいえイーグルトン公爵家として動くこともあり得る。特にお前はポール卿とは既知であるし、騎士団にとってお前が動くことは意味がある。心しておいてくれ」
グローリアが動くことに意味がある。その真意は分からないが、ポーリーンの為ならばグローリアはいかようにも動くだろう。グローリアが「はい」と頷くと、父も「うん」と肩の荷が下りたように笑った。




