28. 届けたい心、受け取った心 2
「……驚いたわ。ポール卿、グローリアには冗談を言うのね?」
「いいえ、わたくしも驚きましたわ。ご婚約されたと聞きましたけれど……良い方へと進んでいらっしゃるのかもしれませんわね」
目を丸くするモニカに、グローリアもふるふると首を横に振った。当然だが、グローリアとて微笑み冗談を言うポーリーンなど初めて見たのだ。
「相手は王弟殿下の秘書官だっけ?」
ベルトルトが階段手前でモニカに手を差し出して言った。ふと前を見ると、フォルカーも微笑みグローリアへ手を差し出していた。エスコートをしてくれるようだ。グローリアは礼を言い、そっとその手に自らの手を添えた。
「ええ、ポール卿と同じお年と伺っておりますわ」
「へええ、意外だね?隣国では女性騎士自体が珍しいけど、女性騎士と婚約する文官はもっと珍しいよ」
すごいね、と面白そうに笑うベルトルトにグローリアは更に続けた。
「王弟殿下の秘書官であるオブライアン侯爵令息たってのご希望だったそうですわ。何でも、危ないところをポール卿に救われたとか」
「それもまた、男女が逆じゃないのがこの国らしいな!」
観覧席に着きそれぞれが思い思いに着座すると、鍛錬場にいた騎士たちががやがやと皆で何かを話し合っている。話し合いが終わると、幾人かが裏へ走っていき、残った者たちの内一部が練習用の刃を潰した長剣を持ちグローリアたちの座る観覧席とは反対側に並び、残りは左右に分かれた。中心に残るのは、長剣を持ったアレクシアとポーリーンだ。
「あら、何か始まるのかしら?」
寒くもあり、また年の瀬も近いということで観覧席に居るのはグローリアたち六人とあとは数組だけだ。他の観覧者も何事かと話しながら鍛錬場に注目している。すぐに、裏へ駆けて行った者たちが戻って来た。手には太鼓と打楽器、横笛、リュートを持っている。
「あ、もしかして!」
サリーが口元を押さえた。グローリアももしやと思いじっと鍛錬場のふたりを見つめると、ふたりはにやりと笑い、グローリアたちのいる辺りへと一礼した。
「あらまぁ、本当に?」
モニカが目を見開くと、どおおおん、と太鼓の音が大きく響き渡った。たん、たたん、と小さな打楽器が独特のリズムを刻み始める。その律動に合わせ左右の騎士たちが足踏みを始め、そうして後ろで控えていた騎士たちがふたり一組でカーン!と長剣を打ち鳴らした。
「剣舞か!」
ベルトルトがぐっと前のめりになった。アレクシアとポーリーンが剣を掲げてとん、っと一歩の距離を広げた。十三の時に見たものとは全く違う動き。あの後も何度か式典などで見ることができたが、そのどれも、ふたりは違う動きをしていた。そして拍子は変わらないのに旋律は変わる。見る度に、聞く度に、剣舞も音楽も変わるのだ。
「先日拝見したものと、動きも曲も違いますね」
フォルカーがひとつ頷き呟いた。今日のふたりは厚手の鍛錬着に髪をひとつに結んだだけの出で立ちだ。長剣も、式典で見る装飾のされた宝剣ではない。音楽も、式典の時のように様々な楽器で奏でられるのではなくたった四種と長剣、足踏みだけ。それなのに、むしろその武骨さと素朴さこそがふたりを見事に引き立てているようにグローリアには思えた。
―――ああ、やはり美しいわ。
式典で舞う剣舞の半分にも満たないほどの時間。けれども、式典の時とは全く違う力強い美しさにグローリアたちは寒さも忘れてじっと見入ってしまった。
剣舞を舞うふたりがゆっくりと、元の位置に戻っていく。そうしてまたすっと剣を掲げると、どおおおん、という太鼓の音と共に後ろに並んでいた騎士たちがまた、カーン!と長剣を打ち鳴らした。そうしてざっと、鍛錬場にいた全ての騎士たちが観覧席へと向き直り、一堂に膝を折った。
グローリアは思わず立ち上がった。そしてその場でふわりとカーテシーをすると、熱くなった目元もそのままに惜しみない拍手を鍛錬場の全ての騎士へと送った。
「素晴らしかったわね……」
グローリアの隣へ来るとモニカもまたふわりと軽く膝を折り、パチパチと大きく手を叩いた。サリーもドロシアも、そしてベルトルトとフォルカーも興奮した面持ちで拍手を送る。
それだけではない、この見事な剣舞に居合わせることができた幸運な今日の観覧者たち全てが立ち上がり惜しみの無い拍手を送ったのだった。
「心を届けに来たはずが、こちらが心を受け取ってしまったね?」
ベルトルトがおどけたように笑ったのを合図に、グローリアたちは鍛錬所の騎士たちに別れを告げ、それぞれの役割を果たすために家路を急いだ。
全ての焼き菓子を包み終わり馬車に積み終わった頃には、すっかりと暗くなった空からはちらりちらりと白いものが舞い始めていた。
「雪ね……」
空を仰ぎ腕を伸ばすと、ひらりと舞い落ちた結晶がグローリアの手のひらに落ち、そうしてじわりと解けていった。手袋の無いグローリアの手にいくつも舞い落ち触れては解けていく冷たい感触に、グローリアはそっと目を閉じ、手を握り締めた。
こんな寒く冷たい雪の中でも、セオドアたちは皆、普段と何も変わらず王都を守り続けているのだろう。
王宮を守る騎士と王都を守る騎士。国や町を守る騎士。人や、家を守る騎士。騎士にも色々あるけれど、いったい何が違うというのだろう。真剣に向き合っているのなら、その志の尊さに違いは無いとグローリアには思えるのだ。
「冷えるわよ、グローリア」
馬車止めでそれぞれの駐屯所へと向かう馬車を見送っていたグローリアに、モニカがそっとショールを掛けた。
「モニカ………雪ですわ」
モニカも空を見上げると、「ええ、そうね」と白い息をほぅと吐いた。王都に降った今年初めての雪。あと数日でその今年も終わる。
「積もるでしょうか………」
呟くグローリアに「そうね」と微笑みモニカはそっとグローリアの冷たくなってしまった手を握った。
二年後の今頃には、もうモニカはこの国にはいない。卒業したベルトルトと共に隣国へと赴いていることだろう。軍馬を操ることもできない一介の令嬢であるグローリアには、隣国はあまりにも遠い。
「………足りませんわ」
何もかもが足りないと、グローリアは思う。時間も、言葉も、何もかも。今が幸せだからこそどうしても欲張りになってしまう。グローリアと、ドロシアと、サリーと。モニカと、ベルトルトと、フォルカーと。出会えたことも、共にある今でさえも、ひとつとして当たり前のことなどない。偶然が重なり合いつながった必然。その先など、いったい誰に分かるというのだろう。
「それでも、心は届くわ」
ぽつりと、モニカが言った。焼き菓子なのか、それとももっと別の何かか。グローリアにはモニカの真意は掴めない。
「ええ……そうですわね」
それでもきっと心は届くと、グローリアも信じている。今この時も、遠く離れてしまっても。
グローリアは握られた温かな手をぎゅっと握り返すと最後の馬車がティンバーレイク公爵邸の門を出たのを確認し、同じく馬車を見つめていたモニカの横顔に微笑んだ。
「戻りましょうか」
振り返れば、玄関の前でドロシアとサリーが立っていた。あのような薄着でいつから待っていたのだろう。グローリアたちが戻ってきたことに気づくとドロシアの口角が上がりサリーの口が「グローリア様」と動くのが分かった。ふたりの吐く息もまた白い。
「ええ、戻るわよ!」
モニカも笑い、そうして「冷えるわ!」とつないだ手もそのままにぐい、とグローリアの手を引いた。小走りに玄関へ戻る。「おかえりなさい!」とサリーがにっこりと笑い差し伸べてくれた手をグローリアも自然に握った。ドロシアが微笑み、扉を開けてくれる。
―――両手眼前に花……わたくしは幸せ者ね。
扉をくぐれば待ち構えていたようにベルトルトとフォルカーが玄関ホールに立っていた。
「おかえり、冷えただろう?」
ベルトルトは「応接室にお茶を用意してもらってるよ」と笑い、行こう、と手を差し出した。その手をグローリアの手を握るのとは反対の手でモニカが握る。
「ああ、そうです。それぞれのお家には使いを出しておきました。雪も降っていますし、今日はもう帰れそうにありませんからね」
勝手知ったるとばかりにドロシアと並んでグローリアたちを先導していたフォルカーが、振り返るとにっこりととても良い笑顔で笑った。
あと少し、あと少しだけだ。いずれグローリアたちの道は分かたれそれぞれの道を行く。反目する未来もあるのかもしれない。
それでも今、この時だけは。差し出された心そのままに、届けたい心そのままに、あるがままに振舞うことを許して欲しいと、グローリアは繋ぐ両手を少しだけぐっと強く握った。




