26.サリーのハンカチ
「あああ、あの!!せ、セオドア卿!!」
「ははは、はい!?」
唇をきゅっと引き結びサリーらしからぬ険しい視線で呼びかけられ、驚いたセオドアがつぶらな目をまん丸にしてサリーを見下ろした。
「あの……こ、こちらを……!」
何事かと思ってグローリアたちも皆騒ぐのをやめてサリーを振り返ると、顔を真っ赤にしたサリーがセオドアへ、何かを差し出していた。
「は……い……えと……あの?」
差し出されたその白い四角い何かを凝視しながらセオドアがぱちくりと目を瞬いている。顔が見られないとばかりに俯き、サリーが早口にまくしたてた。
「こ、こちら!皆様への贈り物を作るときに一緒にご用意したんです!!よろしければ!!!」
グローリアたちが受け取ったサシェよりも一回り大きい、折りたたまれた白い布。それが何かに気が付いたグローリアは思わずにんまりと笑いそうになり、すっと、閉じた扇を口元に当てた。
「セオドア卿、受け取りなさい」
「え、あの、でも……えっと?」
それでもまだどうしていいか分からないとばかりにおろおろと体を揺らすセオドアに、ついにサリーが腕を下げてしょんぼりと肩を落としてしまった。後ろからでは表情は見えないが、声に涙が混じっている気がする。
「あ……の……すいません、ご迷惑でしたでしょうか…?」
「ちちち、違います違います!!あの、俺…じゃないわた、私はハンカチなんて、いただくのが、初めてで、でで、ですので!!」
サリーの悲しそうな様子にわたわたと、更に慌てたセオドアがぶんぶんと首を大きく横に振っている。そうしてそっと、サリーを脅かさないようにそーっとゆっくりと、その豆だらけの硬く大きな両手をサリーに差し出した。
「あの、あの……ありがとう、ございます、クロフト様…」
サリーがその手を見てぱっと顔を上げると、セオドアがへにゃりと、困ったように笑った。黒のつぶらな瞳がきゅっと糸になる。
「あ……!ありがとうございます、セオドア卿……!」
サリーがはにかみ、おずおずと両手で渡したハンカチがちんまりとセオドアの大きな手に収まった。感動したようにつぶらな黒の瞳を瞬かせ、セオドアがそっと、宝物に触れるようにハンカチを撫でている。刺繍されているのはなんと、灰がかった茶色の体に黒いつぶらな瞳のテディ・ベア―――セオドアの色だ。
「す、すごいです、可愛いですね熊!く、クロフト様が、刺繍を?」
「あ、はい!!皆様にも刺繍をお渡ししたんです!!数少ない特技と言いますか!!」
サリーを直視することができないようで視線を泳がせつつもセオドアが大きな声で褒めると、サリーも釣られて大きな身振りで慌てたように返事をした。ふたりで一緒にわたわたとする姿は見ている者には何とも微笑ましい。
「あらまぁ……そういうことなの?」
モニカが口元を扇で隠してちらりとグローリアに視線をやった。グローリアも扇を開き口元に当てると、モニカに視線を向けて扇の下でにやりと笑った。
「直接聞いてはおりませんけれど……それとなく、それとなくですわね」
「あらまぁ、ふふふ、何だか可愛らしいわね」
お互いをちらりちらりと伺いつつもしっかりと目を合わせられないサリーとセオドアはそれでもお互いの前から動こうとはしない。セオドアの場合はただ動けないだけの可能性も大いにあるが。
「グローリアの意見は?」
「お勧めですわ、どちらも」
「あら素敵。助けが必要な時は言ってちょうだい」
「ええ、その際はぜひに」
「いや、勝手に進めて大丈夫なの…?」
本人たちを無視して扇の下で進んでいく会話に「似合いだとは思うけどね?身長差が物凄いけど」とベルトルトが苦笑した。後ろではフォルカーが「いつもこんな感じで?」と首を傾げ、「そうですね、最近は特に」と、ドロシアが小さく頷き口角を上げた。
「セオドア卿、今日はどこに行く予定でしたの?」
そのままでは話が進みそうにないため、グローリアは助け舟を出すことにした。まだまだふたりきりでの会話は難しそうだがそれもまたそうそう遠くないことだろう。
「あ、はい、えっと、今日は夜勤なので、先ほど鍛錬場に顔を出して、今から駐屯所です」
「夜勤ですの?」
「はい、昨日は祝祭日で、わ、私は夜勤だったので、あの、本当は今日、休みなんですが、先輩が婚約者と過ごしたいって……明日の休みと、か、変わりました」
ぐっと、グローリアの眉間にしわがよった。
「セオドア卿……押し付けられましたの?」
「ちちち、違います違います!!む、むしろ先輩が、本当は昨日お休みだったのに、他の人の勤務をあの、昨日変わってあげてたんです!!第三は、あの、街の警備なので、祝祭日でも出勤の騎士がお、多くて……」
グローリアの様子に焦り、セオドアは大きな手をぱたぱたと振り首を横にふるふると小さく振った。昨日誰かの代わりに出勤した先輩の代わりに、今日セオドアが出勤するということか。押し付けられたわけでは無いようだが、グローリアは初めて知った事実に扇の下で唇をきゅっと引き結んだ。
「まぁ……知らなかったわ。わたくしてっきり多くがお休みかと思っていたのに……。でもそうよね、よく考えれば王都はずっと動いているのですもの。王宮が休みになっても王都の警備はどうしても絶えず必要になるわよね……」
考えたことも無かったわ、とモニカが若草の瞳をほんの少し陰らせた。これだけ騎士棟に通っているグローリアでも知らなかったのだ。どれだけの貴族が第三騎士団の国への献身に気づいているのだろう。
「そうだな、見えないところで誰かが動いていてくれるからこそ国は守られる……セオドア卿、ご苦労だな」
ベルトルトが真剣な顔でセオドアを見ると頷き、そして労った。
「ひ!?いえ!はい!ありがとうございます!!」
雲の上の存在に声を掛けられたことに驚いたのか、それとも労われたことに驚いたのか、セオドアの声が裏返った。
「セオドア卿、これを」
「え、あ、はい?」
グローリアはフォルカーが持っている籠からいくつかの焼き菓子を出すとセオドアに差し出した。グローリアが両手ですくうほどの焼き菓子も、セオドアには片手におさまる程度だ。
「あ、焼き菓子………?」
セオドアが不思議そうに眺め、そしてぱっと表情を明るくした。甘いものが嫌いではなさそうでグローリアはほっとした。
「ええ、わたくしの家の焼き菓子よ。夜食にお持ちなさい。………いえ、待って。今日あなたと一緒に夜勤なのは何人かしら?」
「あ、えっと、東区第二は今日は五人です!未明に五人と交代予定です!!」
この小さな籠に入っている焼き菓子では全てを持たせても十人の騎士では小腹を満たすこともできそうにない。グローリアは少し眉根を寄せると、頷いた。
「そう……この籠の中身では足りないわね。いいわ、後で他の皆様の分は届けます。それはあなたの分として持ってお行きなさい」
「え?え?あの、い、良いのですか?」
「当然よ。これは騎士団への差し入れですもの。騎士であるあなたは食べる権利があってよ」
グローリアが頷くと、セオドアは焼き菓子を宝物を掲げるように見つめきらきらとつぶらな黒の瞳をか輝かせた。
「うわぁ……公爵家の焼き菓子………」
ふと気づく。今までもずっと騎士団へと差し入れを持って来てはいたが、はたして第三の騎士たちの手に渡ったことはあったのだろうか。今更気づいたその可能性に、ぐっと、グローリアの眉間に更に力が入った。
「味は保証するわ、セオドア卿。良かったらまた感想を聞かせてちょうだい」
「はい!はい!!ありがとうございます!!」
ぶんぶんと頭を縦に振り、セオドアがとても嬉しそうに笑った。その顔を見てグローリアも嬉しくなり、そして少しだけ悲しくなった。
「セオドア卿」
「はい!」
「励みなさい」
グローリアとセオドアがいつも通りの挨拶をかわす。その様子を見ていたモニカが優しく微笑み、ベルトルトとフォルカーはセオドアへと頷いた。
「頑張ってくださいね!!」
「お気をつけて」
サリーが両のこぶしをぐっと握り、ドロシアもいつものように口角を上げ軽く頷いた。
「はい!ありがとうございます!!」
セオドアは大切そうに焼き菓子を腰のポーチにしまうと、ぶん!っと勢いよく一礼をして王都を守るために去って行った。




