2.グローリアの三人 ふたり目
きゃああああああ!!!という先ほどまでとは違う甲高い歓声に、深く思考に沈んでいたグローリアの意識が無理やり引き戻された。驚いて思わず周囲を見回すと、頬を染めた貴婦人や令嬢たちが色めき立っている。一般観覧席でも立ち上がっているのは女性たちが多いように見える。
何事かと思って闘技場を見ると陽の光に輝く漆黒と、グローリアとよく似た淡い金が風になびいていた。
「女性騎士…?」
少し身を乗り出してグローリアが闘技場を覗き込むと、母がすっとオペラグラスを差し出した。
「ええ、昨年正騎士に昇格したばかりのふたりよ。わたくしはこのふたりをあなたに見て欲しくて今日ここにあなたを連れてきたの」
グローリアがはじかれたように母を見ると、母は微笑んで頷いた。目を瞬かせて母とオペラグラスを交互に見ていると、母が「始まってしまうわ」と悪戯っぽく笑った。グローリアがおずおずとオペラグラスを受け取ると母も侍女からオペラグラスを受け取り、すっと流れるように目元に当てた。
「御覧なさい、グローリア。騎士にも………戦い方にも、色々な形があるのです」
グローリアが促されるようにオペラグラスを覗き込むのとほぼ同時に、打楽器が聞きなれぬ拍子を刻み始める。闘技場の中心に距離を取って立っていたふたりがその律動に合わせるように全く同じタイミングですっと長剣を鞘から引き抜いた。ふたりが鞘を空高く放ると側に控えていた騎士たちがそれをぱっと受け止めてすっと後ろへ下がる。ふたりが目の前に長剣を掲げると同時に、待っていたように様々な楽器が初めて聞く旋律を奏で始めた。
きぃぃぃぃん!!
長剣が高く鳴いた。ふわりと、ふたりが動いたと思った次の瞬間、陽光に煌めく白銀の長剣が打ち合わされ、そうしてまたくるりと舞うように距離を取る。くるり、くるりと漆黒と白金が混じわり、離れ、そしてまた混ざり合う。
初めて聞く律動と旋律。優雅で、繊細で、それでいて決して弱々しくはない鋭く軽やかな動き。気が付けば、あれほどまでに熱狂していた会場には奏でられる音楽と長剣の響かせる音しか聞こえない。
永遠にも一瞬にも思える時が過ぎ、全ての演技が終わりふたりが王族席へと最も深い騎士礼を取った瞬間、グローリアはすっと立ち上がり呆然と立ち尽くした。
―――こんな剣は、知らない。
グローリアの知る剣はどれほど優雅であれど硬く、重く、荒々しい。力でねじ伏せ、圧倒することで守り打ち砕く剣だ。けれどこの剣は―――。
力ではない、その美しさと優雅さで圧倒し、魅了し、屈服させる。手を触れずして、他者を跪かせる剣。
グローリアの心が震え、喉が震えた。目を閉じ大きく息を吸い込んで湧き上がる感情をごくりと飲み込むが吐く息と共に唇が震えてしまう。
じっと闘技場を見つめていると、ふと顔を上げた漆黒の髪の女騎士と目が合った。グローリアのオペラグラスはだらりと垂れた腕の先にあるためその表情はうかがい知れないが、女性騎士は右手を左肩に当てるとすっと流れるように一礼した。降り注ぐ夏の太陽に、さらりと肩を流れた黒髪が光る。
グローリアの心が屈した。魅了され、彼女という存在がグローリアの胸にしっかりと刻み込まれた。九歳で王妃殿下と出会ったことで色づいたグローリアの世界が、その女性騎士と出会ったことで光に満ち溢れたのだ。
―――駄目よ、屈するだけでは、駄目。
グローリアは背筋を伸ばし顎を引いた。指の先まで、髪の一筋に至るまで、もっと優雅に、もっと美しく…。グローリアはすっと右足を引き両の手でスカートを持ち上げると流れるように優雅に膝を折った。
闘技場で今、凛と美しく舞いグローリアの心を震わせたふたりへ公女であるグローリアが贈ることを許される最大の敬意をこめて。
イーグルトンの至宝の名に恥じぬよう、ふたりの演舞に負けぬよう、決して見劣りせぬように。誰よりも気高く、誰よりも美しく、誰よりも優雅に―――。
ふたりの剣舞に湧いていた会場の一部がしん、と一瞬静まり返った。そうしてグローリアが顔を上げ静かに闘技場を見下ろした瞬間、会場全体がわっと、更なる熱気に包まれた。
グローリアの視線の先で、白金の髪の女性騎士が漆黒の髪の女性騎士の肩をそっと叩いた。じっとグローリアを見ていた漆黒の女性騎士がはっと白金の女性騎士を振り返り、二言、三言言葉を交わすのが見えた。ふたりは並んでグローリアへ向き直ると先ほどよりも深く腰を折り、そうして共に闘技場を後にした。
グローリアは闘技場の奥へ下がるふたりの背中が見えなくなるまで凛と立ったまま静かに見送った。
その年の剣術大会はかつてないほどの盛り上がりを見せたそうで、常ならば家格や立場で遠慮が見えがちな者たちもその年は大いに発奮し、名試合と何度も語られるような試合がいくつも行われた。
漆黒の女性騎士と白金の女性騎士は残念ながら三日目の二次予選で惜しくも敗退してしまったが、ふたりはまだ騎士団に所属して三年目、二十一歳になったばかりということで、王立騎士団以外の騎士も参加するこの大会でむしろ一次予選で敗退しなかったことがとてもすごいことだそうだった。
本来は初日の開会式のみグローリアは観覧する予定だったのだが、なぜか王家からの要請で五日に及ぶ大会の全てに招かれ、最終日、優勝者と準優勝者へ花冠を渡す役割を暑気あたりで体調不良の王妹殿下に変わりグローリアが仰せつかった。
その年の優勝者はもちろんマクラウドの次期伯爵では無く、平民出身でありながら第二騎士団副団長の座と男爵位を剣の実力と人徳とで得ていた騎士だった。
第二騎士団副団長は王への願いを問われ、自分の出自では考えられないほどの栄誉と地位をすでに頂戴しておりこれ以上を望むことはできないとその権利を準優勝の騎士へ譲った。
同じく第二騎士団所属であった準優勝の騎士はそれを受け、当時の第二騎士団長が引退する際に次期騎士団長の座を優勝者である上司へ与えることを望んだ。その望みは総騎士団長、当時の第二騎士団長の後押しもあり当然のごとく受理され、王国史上初、平民出身の騎士団長が誕生することが決まった。
まるでそれを待っていたかのように大会の三か月後には高齢だった第二騎士団長は引退し、優勝者であった第二騎士団副団長は正式に第二騎士団団長を継ぎ、それと同時に男爵では騎士団長に相応しくないということでそれまでの功績を鑑み、二階級飛びの伯爵へと陞爵された。
平民から一代で伯爵へ。これもまた王国史上初であり、彼は真実の成功者として王国民の希望となった。もちろん反発の声は特に高位貴族からは少なくなかったが、彼の人徳と実力、功績は間違いのないものであり、しぶしぶではあるが受け入れられる形となった。
この剣術大会を境としてグローリアの二つ名が増えた。イーグルトン公爵家の至宝であったグローリアは、そのグローリアの名に込められた古き言葉より、イーグルトン公爵家の『栄光の女神』と呼ばれるようになったのだ。
グローリアにはその理由がさっぱり分からなかったし女神などとは非常に大げさで国教の唯一神たる女神に対して失礼だとも思ったが、騒ぎ立てれば余計に人々の記憶に残ってしまうため、唯一神が寛大な女神であることもありあえて黙認した。
そんな些事よりも、グローリアの心を捉えて離さないものがあったのだ。あのふたり―――漆黒の髪の女性騎士は第一騎士団所属、東の武門ガードナー伯爵家のアレクシアであり、白金の髪の女性騎士は第二騎士団所属、ファーバー子爵家のポーリーンであると後日知った。
グローリアにとってふたりは大変特別な騎士となり、特にアレクシアはグローリアの心を完全に奪ってしまった。容姿だけなら、顔の造作だけならやはりグローリアの方がずっと美しい。けれどもあの輝きは……あの心の震えは。
アレクシアは、グローリアの最も柔らかな部分を根こそぎ持って行ってしまった。グローリアはアレクシアの麗しい容姿だけではない、その才にこそ心奪われ、屈したのだ。
次は明日の朝6時頃に投稿予定です。