19.四人娘のお茶会 2
ぴたりと、紅茶を飲もうとしていたドロシアの手が止まった。サリーも目を見開き、ちょうど口に入れてしまったマカロンを咀嚼して良いものか分からないというように口の動きすら止まっている。
王都から隣国の首都までは、王族の一団ともなれば馬車で片道約一ヶ月半ほどかかる。今回も様々な交渉が調ってすぐにベルトルトはこちらへ馬車を走らせたが、到着したのがようやく先月だったのだ。早馬で片道十日、無茶な話だが軍馬を乗り継ぎ騎手も変え昼夜休みなく走らせても片道三日の距離なので、ベルトルトがこの留学のためにどれほどの無理を押したのかがよく分かるというものだ。
後から聞いたことだが、何とベルトルトはやり取りが滞りなく行われるようにと父王に頼み込み、この件の全権を託された現王太子であるベルトルトの兄、第一王子に金鉱山にも近い国境沿いの街で待機してもらっていたらしい。国境沿いの街なら早馬で片道三日余りだ。
話しに聞く早馬のやり取りが随分と早いと思っていたのだが、そういう事情であったと聞いてベルトルトの本気度を知りグローリアは少々遠い目になった。どれほどの数の名馬が疲労困憊になったことだろう。一頭も潰れていないと良いのだが。
そんなベルトルトに、モニカは好きな人がいると伝えたということだ。
「それは………その、ベルトルト様は何と?」
「そうね、心配されたわ」
「心配?」
ふふふと、モニカは何かを思い出したのか笑い、そうして優しい瞳で紅茶のカップを静かに撫でた。
「そう、とても心配されたわ。『あなたにそんなにも長く思われるなんて王弟殿下はとても素敵な人なんだろうね。離れるのは、辛くはない?』って」
サリーの喉がごくりと鳴った。どうにかマカロンは飲み込めたようだがきちんと咀嚼できたのかグローリアは心配になった。グローリアが視線をモニカから逸らさず頷きながらサリーの紅茶のソーサーにすっと触れると、サリーが気づいて紅茶をひと口飲んだ。これで大丈夫だろう。
「辛くないと言えば嘘になるけれど、とうに振られていますから、と言ったらね、『そっか……泣きたいときは、俺が側に居るよ』って、ベルト様が泣きそうな顔をなさっていたわ」
おかしな方よねぇ、とモニカがくすくすと笑った。おかしいと言いながらもその目がとても優しいことに、モニカ自身は気づいているのだろうか。
「わたくしが寂しいから行きたくないと言ったらどうするおつもりですか?って言ったらね、『連れて行かないよ。代わりに俺が口説きに来る。モニカ嬢が俺のところに来ても良いって言ってくれるまで、何回でも』ですって」
なるほど、この二年の留学期間はモニカを口説くための時間だったかとグローリアは納得した。
「ベルトルト様は少々、人間が出来過ぎていらっしゃいませんか?」
「そうでしょう?わたくし思わず聞いてしまったわ。隣国で虐げられていらっしゃるの?って」
「またそんな直接的な………」
仲良くなるにつれて分かったことだが、おっとりしているように見えてモニカはかなりはっきりしている。表面上は穏やかに微笑んでいるがしっかりとお腹の中では毒を吐いているし、いざとなれば口論も辞さないし当然負けない。
間違いなく規律と公平を重んじる『王国の天秤』の一族であり、あの王妃殿下と同じ血を引いている。そんなモニカの一面を知り、グローリアはますますモニカが好きになったのだが。
「笑ってくださったわよ。モニカ嬢は見かけによらないなって」
紅茶をひと口すすると、モニカは少し口ごもり、そうして頬を薄っすらと染めるとぽそぽそと続けた。
「……公女として澄ましているよりもそうやって真っ直ぐものを言っている時の方があなたらしくて可愛いよ、ですって」
「それはそれは………」
グローリアは少々心配になった。もしやベルトルトはあの年にしてかなりの手練れなのだろうか。そんな風には見えなかったのだが。とはいえ、人は見かけによらないことはグローリア自身が良く知っている。
女性慣れだけで国同士が決めたことを一王子が覆しにかかることはしないだろうが、それすら織り込み済みであったならばどうしたものか。全く太刀打ちできる気がしない。
「わたくしね、こんなに熱烈に口説いていただける理由が全く思いつかないのよ」
「思いつかなくて逆に不安、と?」
少し瞳を陰らせたモニカにグローリアは言った。確かに、今まで全く関りが無かったのに婚約が決まったとたんにこれでは何かあるのではないかと不安になるのも致し方ないだろう。聞いているだけのグローリアですらたった今、女性慣れを疑ったくらいだ。
「そうね、そうなのかもしれない。いっそただの政略だ、慣れ合うつもりはないと言われた方がよほど心安らかに居られた気がしてならないわ」
頬に手を当てて悩まし気に首をかしげるモニカに、グローリアはむっつりとした顔で言った。
「そんな男の元へモニカをお嫁に差し上げるつもりはございませんわよ」
きゅっと眉根にしわを寄せたグローリアに、「あらまぁ」とモニカが嬉しそうに微笑み、そうしてゆるゆると諦めたように首を振った。
「わたくしはグローリアのように美しくも無いし、王妃殿下のように賢くも無いわ。公女という地位はあるけれどそれだけ。モニカというひとりの人間に、それほどの価値と魅力があるとはどうしても思えないのよ……」
「モニカ、怒りますわよ」
グローリアは更に眉間の皴を増やして半目になった。
「わたくしがどうしてあれほどの侮辱にあって尚もあなたを信じたとお思いです?なぜサリーが怪我を負ってもあなたを責めなかったと?なぜドロシアが家に被害が出てもあなたと友であることを望んだと?それは全て、モニカが公女だからではなくモニカだからですわ」
グローリアはあの茶会の日、モニカがしてくれたのと同じように頬を膨らませ唇を尖らせた。
「モニカだからわたくしたちはここに居るのです。わたくしたちの大切な友人を貶めるなど、たとえモニカでも許せませんわ」
ドロシアが静かに頷き、サリーが「その通りです!」とにっこりと微笑んだ。
「私は根っからの商人ですのでこれでも人を見る目は厳しいつもりですよ、モニカ様。損得を省いてでも共にあろうと思える人たちに出会えるのはとても貴重で、何物にも代えがたいものでございます」
「私、モニカ様のお優しい笑顔が大好きです!おっとりしていらっしゃるのに少し…はっきりしていらっしゃるところも、とっても!!」
口々に言うドロシアとサリーに微笑み、そうしてモニカに向き直るとグローリアはきゅっと目を細め、挑むようににやりと笑った。
「良いではありませんか裏に何があろうとも。全て真に変えてしまえば噓などどこにもなくなりますわ」
「全て、真に?」
「ええ。今のベルトルト様のお言葉に打算や裏があったとしても、これからそのお言葉通りモニカに夢中になっていただけばよろしいのです。―――わたくしが保証しますわ、モニカ。モニカには、その魅力が十二分にありますもの」
ぱちくりと、モニカが若草の瞳を瞬かせた。ドロシアが「モニカ様の魅力のご説明はご入用ですか?」とぱんっと胸の前で両手を合わせて商人らしくにっこりと笑い、「私も!モニカ様の素敵なところ、沢山、沢山言えますよ!!」と、サリーもにこにこと両頬にえくぼを浮かべて笑った。
「あらまぁ…ふふふ、わたくしにはこんなにも強力な味方がいたのね」
「今更ですわ」
微笑むモニカの目元が朱に染まった。すっと人差し指でその目元を拭うと、モニカはにっこりと、グローリアの大好きな花のほころぶような笑顔を見せてくれた。
「そうね、わたくし、この二年でベルトルト様を虜にして見せますわ!!」
ぐっとこぶしを握ったモニカに、「その意気ですモニカ様!!」とサリーも両のこぶしをぐっと握った。「作戦を考えませんと」と頷くドロシアに、「まずは敵を知らなくてはね」とグローリアも笑った。
ひとしきりわいわいと騒いでいたが、ホールクロックの鐘が時を告げたことで皆の会話がぴたりと止まった。名残惜しいがそろそろ解散の時間だろう。
誰もが口を開かず互いの顔を見合わせていると、モニカが困ったように微笑み息をひとつ吐くと、静かに、けれどはっきりと言った。
「この二年で、わたくし、きっとベルト様を好きになりますわ。―――――お兄様より、きっと」
まるで誓うようなモニカの囁きに、頬を流れたひと粒の雫に、この日の茶会は急遽延長され初のお泊り会になることが決まったのだ。




