16.熊騎士と友人と
「ひっ」
初めてセオドアを紹介した日、その日一緒に鍛錬を見に来ていたサリーは目を見開いて固まり、顔を青くして小さく悲鳴を上げた。ドロシアも悲鳴を上げることこそ無かったが、見上げたまましばし絶句していた。
「大丈夫よ、セオドア卿は体こそ大きいけれどその辺りの貴族出の騎士よりも余程紳士だわ」
そう言って笑うグローリアと固まるふたりを見比べつつ、セオドアはまるで叱られた大型犬のようにしょんぼりと肩を落とし、ただでさえ五歩ほどあった距離を更に一歩後ろに下がって広げた。
「せ、セオドア・ベイカーと申します。あの……なんだかその、す、すいません……」
眉をハの字にして更に肩を丸めるセオドアは、どれほど小さくなってみせてもやはり大きい。家で騎士団を持ち、普段から父を見慣れていたグローリアでさえ驚いたのだ。騎士を見慣れていないふたりにはさぞかし恐ろしく見えることだろう。
そういえば、先だっての騒動の時に学園へ来ていた第三騎士団の騎士たちは皆、それほど体格の良い者たちでは無かった。生徒たちが怖がらぬよう配慮したからだろうか。
「いえ、あの、私こそ申し訳ございません………」
セオドアが泣きそうな表情でグローリアを見たためそろそろ開放してあげようかと思ったところ、サリーが顔を上げ、一歩前に出てセオドアに話しかけた。胸の前で組んだ手は少し震えているが、それでも真っ直ぐにセオドアの顔を見上げている。
怖がられるのには慣れていますとから、セオドアが困ったように笑った。
ちらりとドロシアを見るとすでに初めの驚きから立ち直ったようで、興味深そうにじっとセオドアを見つめ「大型犬…?いえ、熊かしら…?」と呟いている。
「あの、ベイカー様も騎士様なのですよね…?」
グローリアと大差ない身長のサリーが懸命にセオドアを見上げている。何とか恐怖をほぐそうとしているのか、ぱちぱちと何度も瞬きを繰り返していた。
「あ、はい、えっと。はい、第三騎士団所属です」
「そうですか………」
セオドアもサリーに負けないくらいに何度もぱちぱちと瞬きを繰り返している。黒のつぶらな瞳が今日も気の毒なほどに泳いでいた。
初めて会ったあの日から、グローリアとセオドアは何度か顔を合わせていた。ただ遠い場所から目礼をすることもあれば、またグローリアが絡まれているところにちょうどセオドアが通りがかり、これ幸いとセオドアを使って逃げることもあった。
セオドアを怖がることなく当たり前のように目を合わせ声を掛けるグローリアに初めはたじたじだったセオドアも、今ではだいぶ普通に話してくれるようになった。
どうもセオドアは女性と関わるのが非常に苦手らしい。昔から体が大きいことでどうしても怖がらせてしまうため、どうしたら良いのか分からないのだそうだ。
そもそも平民出の騎士爵の騎士と公女がよく会話をすること自体が周囲からすれば衝撃なのだが、グローリアはこの巨大なテディ・ベアのような騎士を割と気に入っていた。
「セオドア卿、わたくしの大切な友人のドロシアとサリーよ。覚えておいてちょうだい」
グローリアが紹介すると、「ドロシア・ウィンターよ」「サリー・クロフトです」と、ふたりとも軽く頷いて自己紹介した。
「う、ウィンター様と、クロフト様、ですね。よ、よろしくお願いします………」
セオドアは右手を左肩に当てると、ふたりを怖がらせないようにかゆっくりと腰を折り礼をした。その様子に、グローリアは満足したように笑った。
「見ての通りよ。安心してちょうだい」
グローリアが微笑みかけると、ドロシアもサリーもじっとセオドアの様子を伺い、頷いた。
「お話には伺っておりましたが、本当に大きいのですね」
「私、こんなに大きな人、初めて見ました…」
少しでも動けば怖がらせてしまうとばかりにセオドアは息すらも止めているのではないかと思うほどぴしりと固まっていた。観察されるがままになっているセオドアに、グローリアは思わず笑った。
「セオドア卿も、大丈夫よ。このふたりなら安心して良いわ」
ふふふ、とグローリアが笑うと、それを見たセオドアも「はい…」と眉を下げ、困ったように微笑んだ。そのやり取りを見ていたサリーがまたセオドアに話しかけた。
「ベイカー様は、何度もグローリア様を助けて下さったのですよね?」
「いいい、いえ、とんでもないです!!たた、助けたなんて、俺…私はいつもその、そこに居るだけで、なな、何もしていない、ので……」
セオドアはおろおろと視線を彷徨わせ、ぱたぱたと小さく胸の前で両手を振った。グローリアにするようにぶんぶんと振らないのは、やはりサリーに対する力加減がまだ分からないのだろう。そういえば普段のセオドアの一人称は俺なのね、と初めて聞いたグローリアは少し意外に思った。
「あら、謙遜しなくていいのよセオドア卿。あなたが通りがかる度にわたくしはとても助かっているのだから」
ただそこにいるだけでセオドアは大変な威圧感がある。知ってしまえば体の大きい可愛らしい熊なのだが、文官に絡まれようとも騎士に絡まれようとも、セオドアを隣に呼べばそれだけで無理を押し通そうとする者はいない。そこに居てくれるだけで良いのだ。グローリアの心も幾分か癒されてちょうどいい。
「そうなのですね。私たちがご一緒できないときはベイカー様が守ってくださっているのですね。ありがとうございます!」
サリーの表情がぱっと明るくなった。グローリアを守る同志と認めたのだろう。ドロシアも凛とした顔立ちに淡い微笑みを浮かべて「それならば少し安心ですね」と頷いている。
「そうよ。あなたたちも困ったらセオドア卿に声を掛けると良いわ」
グローリアが閉じた扇を口元に当ててにんまりと悪戯っぽく笑うと、ぎょっとしたセオドアが「ぇえ!?」と声を上げた。
「いえ、あの、いつでもお、お役に、立てればあの、私は嬉しいですが………あの、無理だけは、その、しないでくださいね………」
「無理などしておりません!!」
ぎゅっと両のこぶしを握りサリーが思い切り見上げセオドアの目を見て力強く言った。この短い時間で随分と慣れたようだ。セオドアだから当然だと、なぜだかグローリアが誇らしくなった。
「そうだセオドア卿、あなた、もしかしてどこかへ行く途中だったかしら?」
回廊でいつものように呼び止めてしまったが、今日は騎士棟へ行くのではなく騎士棟から出てきたところだったことをふとグローリアは思い出した。
「あ、はい。えっと、今日は午後からの王都の巡回業務があるので、その、駐屯所へ行くところでした」
「あら、ごめんなさいね呼び止めて。時間は大丈夫?」
ずいぶんと長く引き留めてしまった気がする。ちらりとドロシアを見るとすっと懐中時計を確認し、「十五分ほどです」と教えてくれた。
「はい、えっと、今日は中央区の巡回なので、充分間に合うので、大丈夫、です!」
中央区は王城の正門を出てすぐの地域だ。駐屯所は更に南区寄りにあるので少々距離はあるが他の区域の駐屯所よりは間違いなく近い。
「そう、ならば良いのだけど………セオドア卿」
「はい!!」
「励みなさい」
「はい、ありがとうございます!!」
最近ではすでに恒例となった挨拶を交わすと、セオドアはぺこりと一礼し、更にドロシアとサリーにもぺこりぺこりとそれぞれに一礼してのしのしと足早に去って行った。
「ね、可愛らしいでしょう?」
その後ろ姿を見送ると、グローリアはドロシアとサリーを振り返り微笑んだ。
「そうですね、ぱっと見は恐ろし気ですが、ずいぶんとこう……中身との差がすごいと申しますか」
「なんだか、とっても優しそうな方ですね」
「ふふ、そうでしょう?」
グローリアの大切な友人ふたりもセオドアに悪い印象を抱かなかったことが分かり、グローリアは大変満足した。取り繕うことも忘れにこにこと、周囲が思わず見とれてしまうほどの輝かしい笑顔を浮かべてご機嫌でふたりを連れて鍛錬場へと向かって行った。




