1.グローリアの三人 ひとり目
『見世物騎士の日常と一目惚れについて』の公爵令嬢のお話。
九歳のある日を迎えるまで、グローリアにとってこの世で最も美しいのは自分だった。
降り注ぐ春の日差しを絹糸に紡いだような、ゆるく波打ち光り輝く白金の髪。王家の血筋を思わせる紫に汚れの無い雪を混ぜて淡くしたようなライラックの瞳。その瞳を内包するアーモンドの形の大きな目も、紅など塗らずとも赤く艶のある小さな唇も、すっと通った小ぶりな鼻も。全てが滑らかで透き通ってしまいそうなほどに白い小さな顔に完璧に配置されている。
まさに至宝。まさに芸術品。世界一の人形師が生涯を掛けて作った完璧な人形のような非の打ちどころのない造形は、ただ黙って座っているだけで周囲の目を奪い、微笑みをひとつ浮かべれば途端に生命に溢れその存在感で他を圧倒する。
他の何とも比べるべくも無く嫉妬すら抱かせない。それがイーグルトン公爵家の至宝、グローリア・イーグルトンであった。
グローリアにとって幸運だったのは、そんなグローリアの少し諦めにも似た世界への認識を大きく変えてくれた三人の人間と出会えたことだ。
母に連れられて九歳で初めて参加した王室主催の春のお茶会。グローリアの白金よりもほんの少し深い亜麻色の髪を柔らかく結い上げ、明るい若草の瞳を煌めかせ、良く晴れた麗らかな午後の庭園でグローリアたち参加者を温かな微笑みと共に迎えてくれた、当時はまだ王太子妃であった現王妃セシリアこそが記念すべきグローリアのひとり目であった。
当時の王妃殿下はふたり目の御子であるクリスティーナ王女を妊娠中であり産み月まであと少しという大きなお腹を抱え、質素にも思えるほどシンプルなゆとりのあるドレスを纏っていた。
それにも関わらず、頬にかかる亜麻色の後れ毛が穏やかな春の風にふわりと揺れ、それをそっと耳に掛けて隣で控えていた赤毛の侍女に何かを耳打ちして笑い合う王妃殿下は、周囲を囲む他の者たちが誰ひとりとしてグローリアの目に入らぬほどの輝きを放っているように見えた。
――――何て美しいの。
幸せそうに大きなお腹を撫で、挨拶に赴く子供たちとその保護者に微笑み頷く王妃殿下は、顔の造作こそグローリアには及ばないが春の日差しを受けて本当にきらきらと、グローリアには光り輝いて見えたのだ。
「ティンバーレイク公爵家が第三子、グローリアが王太子妃殿下にご挨拶申し上げます」
遅れてきた父に連れられてグローリアも王妃殿下の元へ挨拶に向かった。まだ九歳とはいえグローリアは公爵家の公女。幼い頃から完璧な淑女たれと厳しく叩きこまれてきたグローリアのカーテシーは、すっと片足を引き、ふわりと優雅に膝を折った瞬間方々から感嘆のため息が漏れたほどに美しかった。
「まぁ…ようこそ、イーグルトン公女。噂には聞いていたけれど、あなたは指の先まで本当に美しいカーテシーをするのね………素晴らしいわ」
許されて顔を上げると、王妃殿下は本当に嬉しそうに若草の瞳を細めてグローリアを見つめていた。ほぅ、とため息を吐き「ぜひこの子のお手本になってやってね」と片手を頬に当て、もう片方の手で大きなお腹をさすり微笑むその姿にグローリアは思わず見とれ、そして密かに歓喜した。
誰もが皆、まずグローリアの容姿を褒め称える。整った顔立ちを、肌の白さを、波打つ髪の豊かさを、瞳の色の美しさを。誰もが同じように褒め、同じように感嘆する。
けれど王妃殿下はまず何よりも先にグローリアの立ち居振る舞いを褒めた。ただの器の造作では無く、グローリアの日々の努力をこそ褒めてくれたのだ。
「お褒めに預かり光栄にございます、王太子妃殿下。不肖の身ではございますがこれからもイーグルトン公爵家の一女として恥じぬ振る舞いを心がけたいと存じます」
淡く微笑み再度膝を折ったグローリアに、王妃殿下は「あらまぁ」と若草の目を丸くし、そうしてにっこりと微笑んだ。
「王国の良心イーグルトン公爵家の公女として………いいえ、違うわね。グローリアさん、私はいつでも、あなたがあなたらしくあってくれれば嬉しいわ」
グローリアを見つめ優しく微笑む王妃殿下を見て、グローリアはなぜだかふと、『勝てないな』と思った。何がなのかは分からないけれど、自分はきっとこの方にはずっと敵わない、及ばないと、幼心に思った。
それはグローリアが生まれて初めて抱く感情…劣等感だったが、グローリアにとっては決して嫌なものでは無く、どこか退屈で味気なかったグローリアの毎日が王妃殿下とのこの邂逅で突然色づいたようにグローリアには思えたのだ。
それからも公爵令嬢であるグローリアは折に触れてご一緒する機会があったが、その温かさは王妃となった今でも全く変わらない。グローリアに向けられる慈愛に満ちた笑みは今も会うたびにグローリアの毎日に色彩を与えてくれる。
グローリアもまた変わらず、お手本にと言ってくれた王妃殿下に応えるべく十六歳になった今も―――クリスティーナ王女殿下の前では特に―――誰よりも美しく優雅で素晴らしいカーテシーをと、心がけている。
ふたり目に出会ったのは十三歳の時。初めて父から許可が下り、三年に一度行われる国王主催の剣術大会初日の観覧に母と行った時のことだった。
グローリアたちの席は王族席の近く、一般観覧席からは少し離れた場所にあったが会場中の異様な熱気は十分に伝わってきており、初めてその様を見たグローリアは恐怖……を覚えることも無く、ただただ大会が行われる会場の見事な装飾に目を奪われていた。
楕円形の闘技場を中心としてぐるりと囲むように観覧席が配置されている。楕円の長い面の中心部、最も高い位置に王族席があり、王族席から見て左右に一段下がって特別観覧席がありグローリアたちは左側に控えている。さらに段が下がり貴族観覧席と一般観覧席が場所ごとに階段と壁に区切られて配置されていた。
観覧席を支える何本もの大理石の太い柱は全て精緻な彫刻が施されており、階段ひとつ、王族席や特別席を覆う天井ひとつとっても滑らかに削られ美しく装飾されている。これが数百年も前に建てられたのだというのだから、その歴史の重みと壮麗さに良いものを見慣れているはずのグローリアもため息しかでない。
グローリアの生家イーグルトンは私設騎士団を持っている。イーグルトン主催の剣術大会も定期的に行われており、そこには幼いころから公爵家の姫として何度も出席しているためグローリアからすればこのような雰囲気も見慣れている。
ただ、三年に一度のこの国王主催の剣術大会は、優勝者は王国に害をなすようなもの以外ならばどんな願いでも王に叶えてもらえるという褒美が与えられるため、出場者たちの力の入りようは他の剣術大会の非ではないようだった。
「そういえばグローリア。マクラウド伯爵家から書状が届いていてよ。優勝するので見ていて欲しい、とね」
この大会で優勝しグローリアとの婚姻を願い出るつもりなのだろう。グローリアはイーグルトン公爵家唯一の姫であり、伯爵家程度ではグローリアに縁談を申し込むにはだいぶ足りない。国王主催剣術大会の優勝者の願いであれば父も周囲も納得せざるを得ないというところか。
マクラウド伯爵家の長子は現在二十三歳、グローリアの十歳年上だ。現在は第一騎士団に所属しているらしい。マクラウドはイーグルトンと関わりの深い武門の家でありグローリアも幾度か顔を合わせたことがあるはずだが、この次期伯爵は特に記憶に残っていない。
母が扇でグローリアによく似た美しい顔を扇ぎつつちらりとグローリアに視線を送ったが、グローリアは母の方へは視線を向けずに「そうですか」と言うに留めた。
そもそもグローリアは自分の婚姻に一切の夢を持っていない。グローリアは現イーグルトン公爵家では唯一の娘であり、王族の血を引く姫だ。現国王陛下とグローリアの父はいとこにあたる。グローリアの祖母が、先王陛下の妹なのだ。そのため、グローリアも大変低いながらも王位継承権を持っている。否が応でも、グローリアの婚姻は政治色が強いものになってしまうのだ。
とはいえグローリアをここへ連れてきた以上、イーグルトンにとってマクラウド伯爵家との婚姻は何かしら悪くない事情があるのかもしれない。それとももっと別の何かがあるのか………。
どちらにしろ、グローリアがすることはひとつ。国のため、家のため、どのような婚姻でも受け入れる。ただそれだけのことだった。
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