桃槃楼・楊柳
桃槃楼の空居天に住まう看板妓女たちにお目にかかることはまずない。
彼女たちは空居天の自室で馴染みを迎えるか、降りても地居天の特別室で馴染みの連れてきた客を接待するかぐらいなので、まず四大州だけでしか遊べない客はその後ろ髪すら拝めない。
まさに天女か観音様か。噂だけしか拝ませてもらえない幻の存在なのだ。
そんないるのかいないのかわからない雲の上の天女がふたり。
店もそろそろ仕舞いの頃であろう深夜。件の埠頭の件の船に廓の若い衆をふたり連れてちゃっかり忍び込んでいた。
「なるほど。『生きてる人間は50人』ねえ」
一如が貨物庫のコンテナをいくつか開けては見明けては見して舌打ちする。
「最近どっかで戦争とかあったっけ?」
「ないよ。また1個地方都市が乗っ取られただけ」
不二が反対側のコンテナから飛び降りながらおっとりと答えた。
「墓掘り返したのは行き道で使っちゃう分みたいだね。あんまり顔近づけちゃだめだよ。ウィルス使ったみたいだから」
「早く言えよ!」
慌てて全身を振り払う一如にくすくすと不二が笑う。
「大丈夫。『ウィルス』のフリした『毒』だから」
慌てていた一如は舌打ちしながら大きく天を仰ぎ、笑っている不二をどついた。
「売りに行くにしても量が少なくないか?」
「場所も不思議だよね。鉄道に積み替えてまで行くって、あっちまで行けば闇資源に頼る生活してる人たちはいないはずだけど…」
「…国越える?」
「えー。この程度なら自分ちの国で賄えるでしょー。わざわざ密輸する?」
ふたりはしばしコンテナを見上げると、よしと顔を合わせた。
「ま、そっから先は俺たちの仕事じゃないし、姐さんたち見つけて帰ろう」
そして神妙にコンテナに向けて手を合わせ短く経を唱えると、背を向けて走り出した。
「この船に50人て、なーんか妙に人数多いなあとは思ったのよ」
首から血を流し倒れている船員を足先で仰向けにひっくり返しながら、阿仰は簪の血を脇に挟んでぬぐい取った。
「出発前から何サカってんのよエロ親父が。まず仕事しろ」
狭い船室の隅には、裂かれた服をかき合わせガタガタと震えてしゃがみ込んでいる美女がいた。
「どこから連れて来られた?無理やり?自分から?」
答えられそうにないほど震えてはいるが、阿仰の目を真っすぐに見つめ逸らそうとしない。恐怖ではない目の光に、阿仰は答えを待つべく首を傾げた。
「阿仰。下に10人ぐらい詰め込まれて」
しゃべりながら白衣が船室に入って来た。身体に沿った黒装束だが彼女の柔らかく豊満な肉体を隠しきれてはいない。黒い衣装が余計に白い肌とふちどりの濃ゆい目を映えさせて、果たしてこれで上手に闇に紛れているのか怪しいものだった。
「…口説いてるの?」
「説得してるの」
振り返りもせず答えると、にっこり笑って阿仰は震える美女の手を掬いあげた。
「泳げる?泳げるならお願いがあるんだけど」
美女はコクコクとせわしなく頷いた。
「川に飛び込んで、助けを呼びに行って」
大きく目を見開く美女に阿仰は言った。
「大丈夫。そんなにすぐ追っては来ないから。あなたはただ通りすがりの人に助けを求めるだけでいい」
なにか言いかけた美女を遮り、その髪に簪を挿した。
「濡れ衣被せようとしてる~」
「この娘がやったことにすれば正当防衛だから怒られない」
「ま、どうせ濡れるしね」
白衣があきれるのと同時に窓の外に逆さまにぶら下がった一如の顔があった。
『姐さん、あった』
聞こえはしないが口が動く。
「わかった。あっちから撤収」
阿仰は頷き、人差し指を立てて窓と反対方向を指す。
『うっそ!また登んの!?』
顔をしかめながら一如は勢いよく身体を揺らして身体を反転した。
「がんばれ」
阿仰は窓の外で愚痴る一如に目もくれず、美女に片目をつむった。
「そりゃあ襲われたらねー、若いお嬢さんならねー、抵抗すると思うんだよ」
「ねえ」
肘をつく警察署長の机の前で、椅子に座って聞いていた女将は神妙に頷いた。
「思い余ってね、刺したりなんかってこともね、無きにしも非ずだよ」
「ですわねえ」
「ただね」
署長は女将の方に身を乗り出した。
「刺したところが」
興味津々女将も乗り出す。
署長は女将の首の後ろを目で示す。
「急所なんだよ」
「まああ」
女将は大げさにのけぞった。
「寸分違わず急所を一突きしてて、それはもうプロの仕事かって感じで」
「まあああああ、怖い」
女将は持っていたハンカチで顔を覆った。
「そんな若いお嬢さんがプロの殺し屋だったなんて…」
「それがね、違うって言うんだよ。自分がやったんじゃないって」
「ま。じゃ誰が」
「わからないんだよ~。お嬢さんは襲ってきた男を突き飛ばして逃げて来たっていうだけだし~」
「まあああ、誰かしら~、仲間割れかしら~、恨み買ってたのかしら~」
女将は恐怖を払うように顔とハンカチを逆方向に振る。
「でね。殺された男の刺し傷がさ、細いなんか尖った棒状のものでさ」
「何かしら何かしら。竹串かしら千枚通しかしら」
「これなんだけど」
署長は引き出しから簪を取り出した。
「やだ署長、突然~。ありがとうございます~」
にこにこと女将は受け取ろうとしたが、すっと署長は簪を引いた。
「これから血痕反応出たんだよ」
「まっ」
女将は慌てて手を引いた。
「やだもうそんな、仏様に刺さってたものこんなとこ持ってきていいんですか~。しかも素手で~、袋にも入ってないし~」
女将は眉を寄せ、ハンカチで鼻と口を覆う。
「その通報してくれた女性のなんだけどね」
「じゃもうその娘がやったんじゃないですか」
「貰ったものだって言うんだよー」
「まああ」
「どこで貰った?って聞いても言えないって言うんだよー」
「まああ」
「誰に貰った?って聞いてもわかんないって言うんだよー」
「まああ」
「このままだときみが刺しちゃったことになっちゃうよ?って言うと、自分じゃないって言うんだよー」
「迷宮入りですね…」
神妙に目をつむる女将に、署長はぽいと簪を放った。
「阿仰に言っといて。お前がやったの船長って」
「あらやだ本当に迷宮入りかしら」
女将はそそくさと簪をバッグにしまう。
「他のが生きてるからまだいいけど、あんまりカッとなるなと伝えとけ。それから」
さっさと署長室を出ようとする女将に署長は言った。
「お土産連れて帰れ」
「お土産?」
ドアを開ける寸前に女将は振り返る。
「通報してくれたお嬢さん」
「なんでうちに」
いぶかしむ女将に署長は答える。
「煮るなり焼くなり好きにしろ」
「警察社長が女衒の真似事ですか?」
片眉を上げる女将に両方の眉を上げて署長は笑った。
「今の世の中、行き場のない奴が身を寄せるには女将のところが一番安全だろう」
女将はふんと顎を上げて、署長室を出て行った。