長崎
長崎空港に降り立つと、直樹はふいに既視感に襲われた。
いや、違う。思い出が甦ったのだ。
荷物を受け取り、直樹はタクシー乗り場に向かって歩き出した。
高校二年の時に修学旅行で来た長崎。六年ぶりだった。
外に出ると、すでに九州は春の風が吹いていた。あの寒い東京が嘘のようだ。
誰も並んでいないタクシー乗り場に向かった。六年前の自分たちが幻覚のように浮かび上がる。
写真を撮る高校生の自分たち。大輔もいる。もちろん、亜美も。
直樹が歩く道の周りを、スローモーションで彼らがはしゃいでいる。
今までこんな情景は思い出しもしなかったのに。懐かしい土地が思い出させる。
「どちらまで?」
運転手に言われて、昔の自分たちを消した。
「長崎駅まで」
ホテルは駅前にとっていた。取引先には一時に行く予定だったので、早めにホテルに行ってチェックインしておこうと思っていた。
明日は朝一で東京へ帰らなければ行けないが、日帰りのような出で立ちとはいえ荷物をずっと持っているのはきつい。
「お客さん、東京からですか?」
「はい」
「東京の人はやっぱりかっこいいねえ。芸能人みたいだね。ほら、でも福山雅治はこっちの人だからさ」
年配のタクシーの運転手は、ほがらかに話始めた。こういう地方にくると、必ずと言っていいほどタクシーの運転手はみんな話しかけてくる。やはり人柄がいいからだろうかと直樹は思った。
「長崎は初めて?」
「いえ、昔修学旅行で…」
「ああ、どこ行ったの?」
「ハウステンボスと中華街と…そうだ昔、船のホテルに泊まったんですよ。ご存知ですか?」
いつの間にか直樹も運転手との会話を楽しんでいた。懐かしい記憶を呼び覚ます。修学旅行で泊まった、あのホテル。
「あー…。連絡船だった船を改装したホテルね。あそこね。潰れちゃったんですよ」
ショックだった。
「ホテルの親会社が倒産しましてね。ホテルっていってもなんせ船なんでね、メンテナンスやなんかにも金がかかるってんで、結局船を売却しちゃったみたいですよ」
運転手の声は直樹の思考から遠のいていた。
六年前の思い出のホテルは、六年間の月日で消えて無くなってしまっていたのだ。
彼女と初めてキスをしたあのホテルは、もうなくなってしまった。
取引先での食事を含める仕事が終わって、直樹はホテルのベッドに倒れ込んだ。
フラッシュバックのように甦る思い出を押し殺しての仕事に、もう体は限界だった。
重い体を起こして窓の外を見ると稲佐山が見えた。以前来たときには見なかった風景。彼女と見たあのホテルからの眺めとは違う、長崎の夜景だった。
しかし、今思い返してみると、よく告白なんてできたものだと思う。勇気というよりも、自分の無謀さにあきれてしまう。
あの時の自分は、ただただ彼女を手に入れようとしていた。
断られていたらどうするつもりだったのか。いや、断られる事など想定もしていなかった。と、いうよりも、自分の気持ちをとにかく伝えることしか考えていなかったのだ。
まるで小学生だ。告白の先に何かあるなんて考えていない。
初恋だったのだ。
手に入れて、心は躍った。長崎の街で、中華街で。片時も離したくなかった。みんなで行動していたものの、常に彼女のそばにいた。自分のものだと誇示するように。
心は小学生だが、体は高校生だ。彼女の体も自分のものにしたくなるのに時間はかからなかった。
そしてキスをした。あの船上ホテルで。
あのホテルはどのへんにあったのだろうか。
直樹は再びベッドに横たわり、スマートフォンで検索を始めた。
あのホテルの名前は覚えている。きっと一生忘れる事はない。
検索にホテル名をいれると、思っていたよりも情報が出てきた。どうしてホテルになったのか、どうして廃業になったのか、そのあとあの船はどこにいったのか。
元のホテルのあった住所を探しあてるのは容易かった。
長崎駅から、その住所をナビにかけると車でたったの五分の距離だった。
行ってみようか…。
いや、行ってどうなる。
ただ、また、痛みに襲われるだけだ。
直樹は目を閉じて、携帯を置いた。時折聞こえてくる船の汽笛があの思い出を蘇らせる。
二人で船のデッキに立って、長崎の夜景を眺めた。
十一月の少し肌寒い長崎の風と、隣に立っている彼女の温もり。キスをするとき、触れた頬のやわらかさ。抱きしめた体の細さ。
彼女は覚えているだろうか。自分との思い出を。
恵美のことを考えようとすると、頭は思考を停止する。二年前から、ずっとそうだった。
仕事で酒を飲んだため、その日は薬が飲めなかった。
しかし体はどろどろに疲れていたから、大丈夫だと思っていた。
きっと夢など見るひまもないと。
そして直樹はいつの間にか眠っていた。




