不眠
眠るのを止めて三日経っていた。
二日目はほとんどナチュラルハイになっていて、眠らないというのはなんて楽なことなんだろうと、感動さえしていた。すでに悪夢を見ていなかった日々を思いだすことができないくらい、悪夢は直樹の体をひどく蝕んでいたのだ。
夜中本を読み、映画を見て、三日目の朝を迎えても、まだハイテンションは続いていた。
眠気はまったく襲ってこなかった。
午前中に外回りを終えて、午後会社で入力をしていると、向かい側に座っている同僚の女子社員達のおしゃべりが聞こえた。
「だからホワイトデーの…」
「チョコのおかえしが…」
聞こえてくるのはたわいもない会話だった。女ってほんとイベント事に関心があるな、と直樹は思った。
更に話声は続く。
「長崎の修学旅行で…」
「大晦日の東京タワーが」
なんだ?
彼女達の話声はいつのまにかスピーカーで流れてくるかのように、頭の中でがんがん響きだした。そして話の内容は、直樹と亜美の思い出の話を延々羅列していた。
「鎌倉に海を見に行ったでしょ?」
「多摩川沿いも歩いたよね」
「クリスマスはテーマパークへ」
どうして彼女達が知っている?知っているはず無いのに。
やめてくれと言おうとしたが、声が出なかった。喉がからからに乾いて、まるではり付いているかのようだ。手がひどく震えている。
頭ががんがんと痛み始める。
「バレンタインデーに手作りチョコをもらった」
「彼は何を返したの?」
やめてくれ…
「返してない」
「なぜ?」
「彼女は死んだから」
幻聴だ。これは幻聴なのだ。
心臓の音が大きく鳴った。息ができない
「彼女はいつ死んだの?」
「三月十四日」
「でもそのあと彼女に会ったでしょ?」
心臓を殴られたような衝撃を受けた。
一瞬で、その情景が頭の中に浮かぶ。
消えろ。消えろと願い続けるが、非情にも声は続く。
「どこで?」
「あの雨の日、彼女の死んだ交差点で」
急激に視界の周りが縁取ったように黒くなり、それがどんどん中央に向かって閉じ始めた。
「山内?」
男の声のする方を見ると、菊池が何か言っているが、音が聞こえない。
菊池の体が大きく傾いた。…ように直樹は思った。しかし倒れていたのは直樹だった。
そのとき、世界は歪んでいた。
直樹はそのまま意識を失った。




