写真
足下に倒れている亜美。雨は流れ続ける。叫んでいるのに。助けを呼びたくて叫んでいるのに、声が出ない。
金縛りの時のように、どれだけふり絞っても吐息しかもれださない。
逃げていく影は、遠のいたと思うと、不意に近づいてくる。
影は振り返らない。
振り返れ。そう思った瞬間、何かに足首をつかまれた。
足下に亜美の姿はない。水たまりの一部が人の手の形になり、直樹の体を雨の池に吸い込もうとしていた。もの凄い力で引っ張られる。
たすけてくれ。たすけてくれ。
「っっっああああ!」
自分の叫び声で直樹は目を覚ました。夢のなかの声の無い叫びが、現実で漏れだした。
吐き気がする。
直樹は汗をかいたTシャツを脱ぎ捨てて、ベッドから起きて水を飲んだ。音の無い部屋に、水を飲む喉の音がうるさく感じる。あんなに熱く感じた汗は、今は冷や汗となって直樹の体を震わせた。つかまれた足首に、まだ感触が残っている気がする。
夢の中で倒れた亜美を助ける事もできず、自分はもがき続ける。きっとこのまま一生もがき続けるだろう。ベッドに再び腰掛け、サイドテーブルに置いてあった亜美の写真を見た。
長崎で撮ったその写真は、直樹と亜美がカメラに向かって笑っている写真だった。
修学旅行の最終日、平和記念公園の大きな銅像の前に連れて行かれ、記念撮影がそこかしこで始まっていた。亜美と付き合って四日目。僕は亜美と写真を撮ろうと思って彼女を捜していた。
そのとき、他のクラスらしい、見た事もない女たちに写真を撮ろうと言われた。
僕は、彼女いるから。と女達を追っ払った。
彼女いるから。なんていい響きなんだ。そんなことに感動していたとき、亜美を見つけた。さっきのを見られていたのだろうか、こっちを見ていた。
僕は「彼女」に向かって走り出した。
「見てた?」
僕が隣に座って言うと、彼女が毒づいた。
「モテモテ」
お。機嫌が悪い。もしかして嫉妬か?僕はニヤニヤしてしまう。
「でも断ったよ」
「撮ればいいじゃん」
さらに彼女が毒づく。
「やだよ。知らない女の写真に残りたくない」
僕はさっきの女達を思い出した。
「そりゃそうだけど」
彼女はまだちょっとむくれている。そんなすべてが可愛い。
「写真撮る?」
僕がカメラを出すと、コロッと笑顔になった。
「撮る」
二人で並んで、僕が手を伸ばして、カメラをこっちにむけた。
何かいいかけ声がないか、一瞬考える。チーズ?笑顔にするには「い行」だよな…。い…。
「いい?いくよー、はい亜美ー」
パシャ
「なにそのかけ声」
彼女は訝しげにこっちを見ていた。
「はいチーズだと普通じゃん。てか。チーズって意味わかんなくね。チーズって」
「いや、そうだけど。いや確かに言われてみればそうだけど。なんで名前?」
「い行だとニーの口になるから。な、あみー」
みーっていいながら僕は笑った。彼女にも笑って欲しくて。
「ほら、お前もみーって。みーって笑って」
みーみー言ってる僕を見て、彼女は思わず笑った。
「じゃあ次、あたしが言う!」
僕がもう一度カメラを構えると、彼女は言った。
「いくよ?ハイ、あみとなおきー」
その時撮った写真は、あの時のまま色あせずにこの部屋にある。
思考を停止させるように、直樹はテレビをつけた。早朝のニュース番組が、天気予報を伝えていた。
「本日2月最後の金曜日です…」
キャスターが伝える日付に反応する。もうすぐ三月が来る。




