大好きな彼女と大嫌いな彼女の小説
ぼくは高校2年生。クラスでも目立たないほうに位置する消極的男子だ。
ぼくには気になっている女の子がいる。
彼女の名前は苺崎にう。へんな名前だが本名だ。
彼女も目立たないほうに位置する地味女子だが、ぼくの世界では目立ちまくり。
なんていうか、文学少女の薫りがするのだ。
ぼくはそういうのが大好きだ。ふつうの人の知らないことをいっぱい知っていて、この世の裏のことさえ熟知しているような理知的で暴力的な風格。きっと中学2年生の魂を持ち続けていて、それを永遠に貫く覚悟すら潔い。
それでいて、顔が、かわいいのだ。まるで小動物のようにチョコチョコとした、怯えるような動きの目つきが特にたまらない。きっと肉食獣はびこる外界から繊細な己を守り通しているのだ。その健気さがかわいい。それでいて襲われたら鋭い齧歯で相手を返り討ちにするような勇ましさも内に秘めている。その目つきは臆病なようで、じつは軽んじることのできないほどの莫大な攻撃力を内に宿しているのだ。
まぁ、彼女のインテリジェンスなら、並みの者には太刀打ちすることすら叶わないだろう。
そんなある日、ぼくは気になることを耳にした。
「へー! 苺崎さんって、『小説家になりお』に投稿してるんだ?」
陽キャグループの女子が彼女を取り囲み、そんな声をあげた。
知ってるぞ。『小説家になりお』。
素人が小説を投稿して、色んな人に読んでもらえるサイトだ。
ラノベなど興味がなく、古今東西の古典文学作品しか読んで来なかったぼくには無縁の場所だと思っていたが、急に興味が湧いた。
「どんなの書いてるのー?」
そう聞かれ、とても謙虚な笑顔を浮かべながら、恥ずかしそうに彼女は答えた。かわいい。
「純文学だよー。だからあまり人気はないの」
やはりそうか!
ぼくの思った通りだった。彼女は世俗的なくだらない通俗的なつまらない、そんな世界からは解脱していたのだ。きっと目も眩むような難解で意味深な、凄い文学作品を書いているに違いない。
「なんてペンネームでやってるの?」
陽キャバカ女の質問に対する彼女の答えに、ぼくは全神経を集中させた。
「本名だよー。苺崎にう」
ぼくはダッ!と駆け出すと、早退し、家に急いだ。スマートフォンは家にあった。
不思議そうにぼくの背中を見送る母親の視線をスルーして、自室へ駆け込んだ。ベッドの枕元にそのスマートフォンはあった。
ドキドキした。不治の病にでも罹ったかな? と思うぐらいドキドキしながら、『小説家になりお』を検索し、ユーザー登録しなくても投稿された小説を読むことは出来るらしいが、せっかくだからユーザー登録した。
『作者検索』に『苺崎にう』と入力し、ロケットでも飛ばす勢いで『検索』をタップした。
出た!
ずらりと689作品。ど……、どれを読んだらいいんだ。
なんだか『代表作』と冠された一作品があったので、それを開いてみた。
☆ 〜 ★ ミ
『ねこのからあげ』 苺崎にう
ねこぴっぴ
ねこぴっぴ
ねことひよこが結婚したよ!
かわいいからあげになっちゃった!
黄色いからあげにはジューシーが詰まってる
もふもふのやわらかい毛が太陽のにおい
さあ
いただきましょう
もぐもぐ
もぐもぐもぐ
もぐもぐもぐもぐもぐもぐも
ぐもぐもぐも
かわいい味!
なんて心癒される味だろう!
あたしの芯までねこひよこが満たして
あたしはこれからも生きてける
ねこのからあげは
あたしが生きていく意味
☆ 〜 ★ ミ
短い小説だった。
いや、これは……詩だろうか?
意味がわからなかった。
さすがだ。ぼくごときに彼女の崇高なる精神性がわかるはずなどないのだ。
しかしモヤモヤした。これでは彼女の文学が素晴らしいのか、たわいもないのか、よくわからない。
しかし689作品もあるのだ。他のも次々と読んで、彼女を知ろうと思った。
しかし、しかし……、しかし!
20作品読んでみたが、どれも同じ感じだった。
なんだかホワホワとしていてかわいいばかりで、中身がちっとも見えて来ない!
もっと意味のわかる、それでいて意味のさらに底まで感じさせてくれるような、尖ったものを書いていると思っていたのに!
これはクレームを入れるしかないと思った。
web上でクレームしてもいいが、ぼくは学校で本人と会うことができる。どうせなら直接本人にクレームを入れてやろうと思った。
次の日、学校で、彼女を屋上に呼び出した。
「何? 話って」
苺崎さんと二人きりになるのはもちろん初めてだ。
風が強くて、彼女の長い髪が風神に犯されるように暴れていた。
メガネの奥の鋭い目がぼくを見つめていた。かわいい。
「苺崎さん」
ぼくは意を決して、口を開いた。
「ごめんなさい」
彼女は何かを勘違いしたらしく、いきなりぺこりと謝った。
「付き合うとかあたし、興味ないんで」
「違う!」
ぼくは語気を荒くした。
「そういう話じゃないんだ」
そういう話にしなくてよかった、とも思った。
「じゃ、何?」
これだ。突き放すようなこの目つきの悪さにもぼくは恋したんだ。
彼女は虫ケラでも見るようにぼくを見、ぼくはその仕打ちに背中がゾクゾクと痺れていた。
でも、あの小説は、この彼女とあまりに違う。この攻撃力絶大な鋭い目の奥の奥には、鮮烈なパトスの迸りがあるはずなんだ。この地味な女王様みたいな苺崎さんが、あんなホワホワしたかわいいだけのものを書くはずがない! ぼくは彼女に打ち明けた。
「『小説家になりお』ってサイトで、君の書いているものを読んだんだ」
「えっ! 本当?」
一瞬で彼女の顔が真っ赤になり、笑顔になった。かわいい。
「ありがとう! でもどうやって知ったの?」
「苺崎さん……」
ぼくは彼女の質問を無視して、言った。
「君は自分を偽ったものを書いているね?」
「は?」
彼女の口が丸く大きく開いた。
ぼくは畳みかけた。
「君はあんなホワホワしたかわいいだけのものを書く人じゃないはずだ。もっとわけがわからないぐらい難解な、風格のある文学を書いてほしい。あんなのは君じゃない! ぼくが知っている君はもっと、高尚で、高い塔の上から愚衆を見下すような、そんな素晴らしいものを書く人なんだ!」
そう言ってぼくは彼女の反応を見た。
『見つかっちゃった……テヘ!』みたいに、ぼくの鑑識眼に感謝するような表情をしているだろうと思ったが、違った。
ホケーと馬鹿でも見るみたいな表情の彼女はすぐに後ろを向くと、慌てたように駆け出した。
きっとぼくの言葉に気づいたのだろう。本当の自分に。それを表現するため、慌てて新しい小説を書くために駆け出したのだ。これで彼女とぼくの距離も縮まってくれればいいが……。
しかしその後も彼女は同じような小説を投稿し続けた。
読むたびにモヤモヤして、ぼくは彼女の小説が大嫌いになっていった。
しかしそれでもぼくは彼女が新作を投稿するたび読み続けた。
ぼくは本当の彼女を知っている。学校で見る彼女は変わらず高尚で、くだらない社会の中で清らかな自分を守っていた。そして顔がかわいかった。
ぼくは待っている。そんな本当の彼女と、彼女の書く小説が、重なり合う時を。
いつまでも、いつまでも、待っているつもりだ。