8.一歩を踏み出したようです
ルペリオ暦629年3月12日
クレハラッド公爵邸の大広間は、王宮の広間にこそ負けるが、装飾が施された美しい広間である。そんな広間が花に装飾品にと煌びやかに飾り付けられていた。
本日のディートハルトはそんな美しく華やかな場所に似合わず、小さくため息をこぼした。
今日はクレハラッド公爵家とシュタッフェル侯爵家双方が主催するパーティー。そう、イシスとロゼリアの婚約披露パーティーである。
この国の王太子として、イシスの友人として招待されたディートハルトだが、気が滅入ってしまうのは仕方がない。
時間を置いて気持ちを整理したとは言っても、ロゼリアとイシスの婚約に直面するとなると気が重い。
何度目かのため息をついた時、音楽が奏でられ両開きのメイン扉が開いた。招待客の注目が集まる。
主役の登場だ。
(イシスとロゼリア⋯⋯美男美女で、並ぶときっとお似合いだ。今日のパーティーこそは祝いの言葉を――――⋯⋯⋯⋯あれ?)
本日の主役たちが登場し、歓声や拍手が贈られる中、ディートハルトは一人首を傾げた。
(イシスにエスコートされて歩いてるのは⋯⋯コリンナ?)
淡い黄色のドレスを纏い、イシスと微笑み合いながら歩く女性はロゼリアではなく――――姉のコリンナの方だった。
よく見たら、シュタッフェル侯爵家の席にロゼリアが座っているではないか。
姉の晴れ姿に感動しているのか、涙目で拍手を贈るロゼリアはいつも通り天使である。
(これは、どういうことだ⋯⋯?)
ロゼリアの婚約話が出ていることは聞いた。その相手がイシスだとも聞いた。
――――しかし、実際婚約したのがロゼリアだとは聞いていない。
最近のコリンナはやたらと婚約の話をしたがっていた。
聞きたくなかったが故に無理にでも話題を変えていたが、もしかするとディートハルトの勘違いを正そうとしていたのではないか。
イシスの相手は自分だと言おうとしていたのではないか。
そういえば、最初にイシスも婚約の報告の後に何か続けていたが、意識的に聞かないようにしていた。
イシスとロゼリアが結婚をするのだと、目の当たりにしたくなかったから。
(私は、バカか)
事実を確かめもせずに勝手に落ち込んで、自分の気持ちに蓋をして。
この数ヶ月、ロゼリアどころかコリンナやイシスまで避けて。自分の晒した醜態に恥ずかしさが込み上げる。
「ディートハルト殿下」
ディートハルトの元に今日の主役の二人がやって来た。
「見てください、殿下。このブローチ、イシス様がロゼリアと相談してプロポーズの時に一緒にくださったのです。美しいでしょう?」
頬を染めてイシスを見上げるコリンナ。イシスもまたコリンナに微笑みを返す。
聞けば、コリンナはずっとイシスのことを慕っていたらしく、ロゼリアとの婚約話が出て落ち込み、感情的になってイシスに想いをぶつけてしまったそうだ。
イシスはイシスでコリンナを想っていたらしいが、王太子妃候補のコリンナは自分には高嶺の花だと思って遠慮していたらしい。
しかし、コリンナの想いを聞いて、ロゼリアとの婚約話は白紙に戻し、コリンナに婚約を申し込んだのだとか。
「そうか⋯⋯」
イシスはコリンナに贈り物をするために、妹であるロゼリアに何度か相談していたらしい。
ロゼリアも最初はイシスと話すのは緊張していたようだが、姉への贈り物だと知ると、瞳を輝かせて一緒に考えてくれるようになったのだとか。
「二人とも⋯⋯おめでとう」
ディートハルトはやっと、心の底から婚約を祝った。
そして、今度こそロゼリアに会いに行って、自分の想いを伝えようと決めた。
◇
ルペリオ暦629年3月14日
校舎裏の奥から三番目の木の下。初めて彼女と出会ったその場所に、彼女はいた。
抱えた花束に視線を落とすと、うるさく鳴る心臓を落ち着かせようと深呼吸する。
(落ち着け。告白をするわけじゃない。友人になって欲しいと頼むだけだ。そう、別に特別なことじゃない)
ロゼリアと友人になって、朝会った時には「おはよう」と挨拶をして、好きな本を聞いたり、一緒に食事をしたりもしたい。
「最近暖かくなってきたな」とかどうでもいいことをいっぱい話して、「また明日」と手を振る。
そんな些細なことをロゼリアとしたい。
本当は、もっと多くのことを望む気持ちはある。彼女の特別になりたいとも思う。
しかし、話したこともない男から多くを望まれても困るだろう。まずは友人になって、少しずつ心を解して、距離を詰めていければいいとディートハルトは思っている。
渡すのは、いつかコリンナが話してくれた、ロゼリアが好きな赤いチューリップの花束。
赤いチューリップの花言葉は『愛の告白』らしい。ちょうどいい。まだ伝えられない愛の言葉は、チューリップに乗せて密かに届けよう。
全部が届かなくていい、一本だけでも自分の想いが届くように、チューリップに願いを込めて、ディートハルトは一歩を踏み出した。
「ロゼリア・シュタッフェル侯爵令嬢」
緊張しながら名前を呼ぶ。
彼女の名前は一文字一文字が甘く感じる。
ロゼリアはゆっくりと振り向くと、驚いたように目を丸くした。
その表情も可愛らしくて、自分が真っ直ぐ見つめられていることに更に心臓の鼓動が早くなる。
(友人になってくれないか、だ。それから、一緒に昼食を食べないか。この二つが言えればいい。落ち着け私。⋯⋯ロゼリアは今日も可愛いな。やはり天使。⋯⋯⋯⋯というか二言って多くないか。この美しいロゼリアを前に二言も紡げと? 私の心臓が持つのか? ⋯⋯ロゼリアっ、不思議そうに首を傾げるのをやめろ、可愛すぎるっ。ロゼリアが可愛すぎる。可愛い可愛いロゼリア可愛い⋯⋯)
あまりのロゼリアの可愛さに、もはや立っていられなかったディートハルトは膝から崩れ落ちた。しかし、花だけでも渡さねばとチューリップを差し出した。
そして、一言だけ言葉を紡いだ。
「⋯⋯結婚してくれ」