4.生徒会に入れたいようです
ルペリオ暦628年7月26日
夕方。生徒会の仕事も終わり帰り支度を整える頃。
「イシス。女性と仲良くなるにはどう話しかけたらいい?」
「⋯⋯」
「⋯⋯」
「⋯⋯」
「⋯⋯待て」
無言で踵を返そうとするイシスを呼び止めた。
「すみません。どうも最近の暑さで頭がやられたのか幻聴が聞こえたもので。⋯⋯殿下が女性と仲良くしたいとか、そんなこと言うはずありませんしね」
「⋯⋯幻聴ではないが」
眉間に皺を寄せながら肯定するディートハルトに、イシスはまだ信じられないのか、不思議そうな顔で首を傾げた。
「⋯⋯ディートハルト殿下が女性と仲良くなりたいのですか?」
「仲良くなりたい女性がいる」
不特定多数の女性と仲良くなりたいのではなく、ロゼリアと仲良くなりたいのだ。
「『女なんてうるさいし面倒だし、何がいいのだろうか』とか言っていた殿下が?」
「⋯⋯そんなことも言ったな」
確かに昔はそう思っていた⋯⋯というか、今もロゼリア以外の女性はそんな印象だ。彼女が特別なのだ。
「隣国の絶世の美女に詰め寄られても眉ひとつ動かさなかった殿下が?」
「⋯⋯好みじゃなかった」
この前交流があった隣国の王女は、お互い気が合えば婚約も視野に入れられていたようだ。しかし、べたべた触れてくるのは煩わしいし、猫なで声は鼻につくし、香水臭いし、何一つ魅力を感じなかった。
顔はそれなりに整っていた記憶はあるが、天使のロゼリアとは比べるまでもない。
「最近は最早男色家なのではないかと噂されていて、何故か相手に俺が上がりつつあるあのディートハルト殿下が?」
「それは知らなかった。勘弁してくれ」
「俺も嫌です」
自分は至って健全である。今までロゼリア以外の女性に魅力を感じたことはないが、男性にも魅力を感じたことはない。幼なじみのイシスなどもってのほかである。
「とにかく、一度も話したことがない人なんだ。⋯⋯仲良くなりたいと思うのだが、きっかけや話題が浮かばない」
言ってから思ったが、よくよく考えたらイシスにも今まで恋人や婚約者はおらず、誰に対しても冷ややかな態度を取るので、女性からは怖がられていなかったか。
一緒にいる時間が長い自分は、彼が本当は心根の優しい奴だと知っているが、周囲には誤解されやすいのである。
(相談する奴を間違えた気がしてきた)
「そうですね⋯⋯。挨拶から始めてみるとか?」
「⋯⋯」
それが出来たら苦労しない。
いきなり王太子から挨拶されたら驚くだろうし、周囲から妙な注目を浴びる。
「⋯⋯何か業務連絡のような、絶対話しかけなければならない用事があると、それがきっかけになるかもしれないのですが」
「業務連絡か」
(確かロゼリアは園芸部だったか。なるほど。私も園芸部に入ればロゼリアと知り合えて――――)
「ちなみに、殿下には普段の公務と生徒会長の仕事が山のようにありますので他の部活や委員会に入ることは出来ません」
「⋯⋯」
思考を読んだかのような忠告に眉間の皺が増えたが、それならばとひとつの案が浮かんだ。
自分が他の部活や委員会に入れないのならば、ロゼリアを生徒会に入れればいいのでは?
生徒会は教師の推薦、成績、人望などが加味されて生徒会長が他メンバーを決定する。大抵は高位貴族の成績優秀者が選ばれるのだが、ロゼリアは侯爵家であるし、成績優秀だ。誰にも文句は言われないはずだ。
ロゼリアと一緒に生徒会の仕事。
同じ空間にいられるということは、あの紺色の瞳に自分が映るのだろうか。それだけでなく、会話が出来ると言うことか。上手くいけばロゼリアから話しかけてもらうことも夢ではない。
なんて素晴らしいんだ。
「イシスもたまにはいい事を言うな。お前も仲良くなりたい女性でもいるのか?」
――――ガタンっ
気分が良くなり何気なしにした質問だったが、動揺したのか机の脚につまずいていた。
「なっ⋯⋯ど⋯⋯、いえ、特におりませんが」
⋯⋯絶対いるな。
咳払いをして頑張って取り繕おうとしているが、顔は真っ赤で視線はあらゆる場所を彷徨っている。
イシスに意中の女性がいると言うのは初耳だった。
「交際を申し込まないのか?」
「⋯⋯彼女は俺にとっては高嶺の花なので」
公爵家嫡男のイシスに高嶺の花と言わせるなんて相当である。他国の王女とかだろうか。
表情が暗くなってしまったので、これ以上聞かずに「そうか」とだけ返しておいた。
◇
ルペリオ暦628年9月9日
エルシア学園では、10月から新生徒会が設立となる。来年度も生徒会長就任が決まったディートハルトは、現在生徒会メンバーを選考中である。
副会長にはイシス、会計には伯爵令息、それから補佐が数人、書記には――――
「⋯⋯」
ディートハルトは今、ロゼリアのいるであろう教室をじっと睨みつけている。
(今日こそ⋯⋯今日こそは話しかける!)
生徒会にロゼリアを勧誘するため、ここ三日間程この教室を張り込んでいる。
観察の為にコソコソとではなく、堂々と廊下に構えているのだ。通り過ぎる生徒は何事かという視線を向けるが、ディートハルトはただ教室の扉だけを見つめていた。
一日目は、遠くに構えていたせいか気づかれなかった。
二日目は、ディートハルトを認識したロゼリアがビクッと怯え、頭を下げて足早に去った。
三日目の今日こそは、話しかけて生徒会書記を引き受けてもらうのだと、気合いを入れた。
教室の中から
「今日も殿下いるんだけど!」
「一体何の用なんだ?!」
「誰から出る?」
「うわ、待て押すな」
とか言う声が聞こえるが、ロゼリアの声は聞こえない。
(シュタッフェル侯爵令嬢、生徒会の書記を頼みたいのだが。生徒会の書記を頼みたいのだが。生徒会の書記を⋯⋯)
頭の中でシュミレーションしていると、横からバサバサッと紙束か何かが落ちる音がした。
「あ⋯⋯」
小さく声を発し、慌てたように落とした紙を拾い上げるロゼリア。恥ずかしいのか頬を赤くして眉を下げる顔もまた可愛く、鼓動が早くなった。
「――――っ」
てっきり教室内にいると思っていた。ディートハルトは、いきなりの天使の登場に頭の中が真っ白になった。
(可愛い可愛い可愛いロゼリア可愛い天使可愛い)
言うべき言葉を喪失し、頭の中が『ロゼリア天使可愛い』で占められたが、僅かに残った理性で足元に滑ってきた紙を拾い、差し出した。
「あ⋯⋯の⋯⋯」
(ロ、ロゼリアに真っ直ぐ見つめられているっ?!)
大きなくりっとした目を瞬かせ、上目遣いの紺色の瞳にはディートハルトが映っていた。
鼓動が高鳴る。
心臓が苦しい。息をするのも苦しい。
顔に謎の熱が集まってくる気がする。
⋯⋯これはもしや何かの病気ではないか。
「⋯⋯っ」
ディートハルトは無言で拾った紙を渡すと、そのまま踵を返した。
この熱を冷まさない限り、ロゼリアを生徒会に勧誘するのは無理だと悟った。
◇
ルペリオ暦628年10月1日
ロゼリアの勧誘に行って病が発症した後、きちんと医師に診てもらったが、異常なしの健康体だと言われた。
確かにその頃には体の熱や胸の苦しさは引いていたので、病でなくてホッと胸を撫で下ろしたのだった。
さて、今日はディートハルトが待ちに待った新生徒会メンバー顔合わせの日だ。
ロゼリアへの勧誘はディートハルトが行おうとすると、近くで見た彼女の美しすぎる顔を思い出してしまい、また言葉が出てこなくなるので、イシスに頼むことにした。
彼女は二つ返事で引き受けてくれたと報告があったので、今日こそはきちんと話そうと心に決める。
わくわくソワソワしているディートハルト。生徒会長の不審な姿にイシスは怪訝な目を向けていたが、今は気にならなかった。
そして、生徒会室の扉がノックされた。
(来た⋯⋯!)
艶やかなシルバーの髪を靡かせて、ふんわりとした動作でスカートを摘み礼をする女子生徒――――
「失礼いたします。コリンナ・シュタッフェルでございます。この度は生徒会書記に選んでいただき恐悦至極に存じます。未熟者ではございますが、精一杯努めさせていただきます」
――――⋯⋯あれ?