3.図書委員になりたいようです
ルペリオ暦628年6月10日
ロゼリアを観察し始めて一ヶ月と少し。ディートハルトは少しづつ彼女の行動パターンを把握し始めていた。
それは一日の過ごし方から、ちょっとしたルーティンまで。
(今日はロゼリアが図書室に行く日だ)
ロゼリアは週に一度、学園内の図書室を利用する。
その際は、最初に新刊コーナーをじっくり眺めてから、ぶらりと図書室を大まかに一周する。その後に興味のある本を手に取るのだ。
今日も彼女は一冊の本を手に取った。ディートハルトが潜む場所から本の表紙は見えないが、古典の棚にある本なので歴史書だろうかと推測する。
「⋯⋯」
僅かに目を細めてパラパラと検分する眼光は鋭くも、未知なる出会いにどこか楽しんでいるようにも見える。
やがて彼女は本を閉じて、感嘆したように一つ息を吐くと、貸出カウンターの方へと歩いて行った。
(⋯⋯ロゼリアと一緒に帰宅出来るなんて羨ましい。私も本になりたい)
と、ディートハルトがハンカチでも噛みそうな勢いで本を羨んでいた時だ。
「あの⋯⋯『サルコニア事件簿』はありますか?」
初めてロゼリアの声を聞いた。
鳥のさえずりかと思うほどか細い声だった。特別高くも低くもない声だったが、なんだか胸がじんわりと温かくなった。
まぁ、残念ながらロゼリアが話しかけたのは本の整理をしていた図書委員に向けてだったが、初めて彼女の声を聞けたことにディートハルトは歓喜した。
「⋯⋯え? サルコ⋯⋯なんて?」
「⋯⋯あ、えっと⋯⋯あの⋯⋯ごめんなさい、なんでもありません⋯⋯」
声がか細過ぎて聞き取れなかったのか、眉を寄せて聞き返した図書委員に、ロゼリアは恥ずかしそうに踵を返した。ただでさえも細い声が語尾に行くほど小さくなっていた。
(図書委員⋯⋯! 何故本棚を二つ程挟んだ私が一言一句ハッキリと聞き取れたのに、目の前のお前が聞き取れなかったんだ! ロゼリアが行ってしまったじゃないか! お前の耳はゴミでも詰まっているのか?!)
今度図書委員には東方の『耳かき』と言う耳を浄化する棒を送りつけようと決意するディートハルトに、ある妙案が浮かんだ。
⋯⋯図書委員になればロゼリアが自分に話しかけてくれるのでは?
そうすればロゼリアと知り合うことができるし、上手くいけば本の話題も振れるようになるのではないか。
ロゼリアと本の感想を言い合ったり、おすすめの本を紹介したりする⋯⋯想像しただけで顔が緩みそうだった。
これは早速実行しなければならないと決意した。
◇
ルペリオ暦628年6月14日
図書委員になると決めたのだが、ディートハルトは現在生徒会長という役員に就いている。
役員の兼務は出来ない決まりなので、図書委員になるには生徒会長を降りなければならない。
「イシス。私は今期の生徒会が終わったら図書委員になろうと思うのだが」
イシス・クレハラッド。
クレハラッド公爵家嫡男でディートハルトの側近である優秀な人物だ。現在生徒会副会長を務めており、ディートハルトの友人でもある彼は常に冷静で冷徹な物言いをする。
――――故に冷たくあしらわれた。
「⋯⋯王太子殿下が生徒会長を辞めて図書委員? バカなんですか?」
「バッ⋯⋯。⋯⋯一年間は務めたんだ、別の者に変わってもいいと思うが」
「生徒会長は全生徒のまとめ役ですよ。代表者です。王太子殿下を差し置いて誰が務めると言うのですか?」
「⋯⋯イシスとか」
「まさか。そんな恐れ多い」
まったく恐れ多いと思っていなさそうな冷ややかな表情だった。
「そもそも、何故図書委員なのですか?」
「⋯⋯ちょっと、読みたい本があっただけだ」
こうなる気はしていた。
一応言ってみただけだと言うと、イシスは一つため息をつくと「何の本ですか?」と聞いてくれた。
「『サルコニア事件簿』という本だ」
「⋯⋯妙にマニアックな本ですね。図書室には無いでしょうから、生徒会長の権限で入荷するよう手回ししておきましょうか? その後自分で借りて読んでください」
「頼む」
イシスは冷たい物言いはするが、なんだかんだ気の利く優しい奴だ。そういうところがディートハルトは気に入っていた。
翌週、図書室の新刊コーナーにサルコニア事件簿が並ぶと、ロゼリアは目を輝かせて借りて行っていた。
その姿を見れただけでもディートハルトは満足するのだった。
⋯⋯ただ一つ、ロゼリアがあの図書委員に本のお礼を言っていたことだけは不満だったが。
◇
ルペリオ暦628年7月23日
ロゼリアは暑さが苦手らしい。
外を歩く時は木や建物の影を選んで歩いたり、人目がないか確認して、影になっている壁にぺっとりとくっついていた。
壁がひんやりしているのだろう、幸せそうに目を細める姿がとても可愛いのだ。
「⋯⋯壁になりたい」
昼間のロゼリアの姿を思い出して呟くと、イシスに不審な目を向けられた。
「⋯⋯なんですか。最近流行りのストーカーですか?」
「なんだそれは」
とんでもないものが流行っているなと思い詳しく聞けば、どうやら学園内のカップルの間でお互いを尾行し合うというものが流行っているらしい。
自分の知らない相手を知れて新鮮な気持ちになれるのだとか。もちろん、相手も合意の上だそうだが。
「想い人のことならなんでも知りたいという気持ちは分かりますが、遠くから相手をただ観察するとかいう行動は理解出来ませんね。俺は正面から相手のことを知りたいです」
「⋯⋯そうだな」
ディートハルトは内心ドギマギしながら返事をした。自分が感情が表に出にくい人間でよかったと心の底から思った。
(ストーカー⋯⋯。もしや、私のロゼリア観察はストーカーに分類されるのか⋯⋯?)
ロゼリアを観察し始めて二ヶ月半。未だにディートハルトは彼女に話しかけていない。
話したいという思いはあるが、実行する勇気と話題が思い浮かばないのだ。遠くから彼女を観察して、それで満足してしまう。
(いや、しかし私はロゼリアを付け回したりしているわけじゃないし⋯⋯ロゼリアがいるだろう場所に行って、偶然ロゼリアがいたらちょっとだけ観察させてもらっているだけで⋯⋯そう、ロゼリアが美しすぎるからつい視界に入れてしまうと言うか⋯⋯)
心の中で言い訳を重ねるディートハルト。
「カップルの遊び程度なら放っておけ」
「そうですね」
これは本格的にロゼリアと知り合う方法を考えなくては、自分は本当にストーカーになってしまうと思った。