20.どうやら愛し合っていたようです
「ディートハルト様⋯⋯愛しています」
妻であるロゼリアが、ディートハルトの胸に抱きついてそう言った。
初めて気持ちを言葉にしてくれて、それから何か憑き物が取れたかのように美しく、可憐に笑ってくれたのだ。
(なんだこれ、可愛すぎる⋯⋯天使か。天使だった。知ってた。私の嫁天使)
天使のロゼリアに見送られて、執務室に戻ったディートハルトは――――執務机に突っ伏していた。先程のロゼリアとのやり取りを思い出してひたすらに悶えている。
(ああぁぁぁぁ⋯⋯ロゼリアが可愛い。先程までは普通だったのに急にどうしたんだ。私を悶え死にさせる気だろうか。私はまだロゼリアと共に生きたいのだが、困ったな、可愛すぎる)
「殿下、机を叩かないでください」
溢れ出る感情の出口に困っていたら、イシスに怒られた。
「⋯⋯すまん」
一応謝ったが、顔が緩々な自覚があるのでうつ伏せのまま拳を握りしめた。
(ロゼリアが『愛しています』と言ってくれた。嬉しすぎる⋯⋯。先程ロゼリアと離れたばかりなのにもう会いたい⋯⋯)
「何かありましたか?」
「私の嫁が可愛い」
「はぁ。いつも通りの殿下でしたね」
失礼なため息を吐かれたが、それを寛大な心で許せる余裕が今のディートハルトにはある。
「よし。執務を再開をするぞ。嫁が可愛いから早めに終わらせる」
「まぁ、早めに政務を終わらせるのは賛成です。俺の嫁の方が可愛いですが。⋯⋯ではこれをお願いします」
「うむ」
ディートハルト達よりも少し早めに式を挙げたイシスとコリンナもラブラブらしい。
家に可愛い嫁がいると早く帰りたくなるとイシスが言っていたが、今のディートハルトも全く同じ気持ちである。
その日、政務を最速で終わらせたディートハルトは、スキップでもしそうな足取りでロゼリアの寝室に向かったのだった。
「⋯⋯」
「⋯⋯」
心な中ではわくわくルンルンしながらロゼリアの待つ部屋に行ったディートハルトだが、部屋の中には重たい沈黙が漂っていた。
昼間の笑顔はどこへやら、沈んだ顔のロゼリアはソファーに腰掛けるとぷるぷると震え始めた。
「ロゼリア⋯⋯?」
「あ、あの⋯⋯」
震えるだけでなく、じわじわと涙目になってきたロゼリアは、おずおずと一冊の本を差し出してきた。
なんだろうかと視線を落として、ディートハルトはそのまま固まった。
「あの⋯⋯、見てはいけないと思ったのですが⋯⋯その⋯⋯つい、ディートハルト様のお心を知りたくて⋯⋯申し訳ございません⋯⋯」
ロゼリアの手の中にある日記は、ディートハルトがロゼリアと出会った日から書き留めたロゼリア観察日記である。
ロゼリアの行動、発言、仕草、好みの記録だけでなく、ディートハルトの心情のままにロゼリアへの想いを綴ったものだ。
他人に見せたらまず間違いなくドン引きされるだろう代物だが、一番見られてはいけないロゼリアに見られたのだろうか。
「⋯⋯見たのか」
「申し訳ございません⋯⋯」
背中を冷や汗が伝った。
いつもは鍵のかかる引き出しに入れておくのだが、そういえば昨夜は疲れていてそのまま机の上に置き去りにして眠った気がする。
もしかして、昼間資料を取りに行った時に見つけてしまったのだろうか。
「⋯⋯驚いたか」
「⋯⋯はい」
それはそうだろう。まさか、夫でありこの国の王太子でもあるディートハルトが妻のストーカーをしていたなど思ってもいなかっただろう。
「すまなかった⋯⋯」
「⋯⋯えっ」
「ストーカーをしていたつもりではなかった。ただ⋯⋯その⋯⋯好きすぎて⋯⋯」
好きすぎて、ロゼリアを目で追うのが楽しくて。
好きすぎて、ロゼリアをもっと知りたくて。
好きすぎて、話しかける勇気が出なくて。
「すまない⋯⋯不快にさせた」
ぐっと拳を握りしめる。
何を言われるだろうか。『気持ち悪い』と罵られるくらいならまだいい。『離縁したい』などと言われたら、ディートハルトはもう立ち直れる気がしない。
有罪判決を待つ囚人のような気持でロゼリアを見ると、彼女は慌てたように手を振った。
「あ⋯⋯いえ、その⋯⋯驚いたり、恥ずかしいとは思いましたが、不快とまでは⋯⋯あの、それよりも⋯⋯嬉しい、気持ちが⋯⋯大きくて⋯⋯」
「?」
嬉しい?
予想外の言葉に首を傾げる。
「ええと⋯⋯実はわたくし⋯⋯今までディートハルト様はお姉様に懸想をしていると思っておりまして⋯⋯」
「?!」
「ま、周りの方がそう言っていたものですから⋯⋯! 申し訳ございません⋯⋯」
そういえば、学院に通っていた頃はそんな噂が流れていると聞いたことはあった。
実際、イシスもそう思っていた時期があったらしい。
ロゼリアも、そう思っていたのか?
「だ、だから、その⋯⋯嬉しかったのです。わたくしの勘違いだと分かって、ディートハルト様に望まれてここにいるのだと分かって」
嬉しそうなロゼリアに胸が痛んだ。
(私は⋯⋯ロゼリア観察を行っていた頃から、何も変わっていなかったのだな)
自分なりに「愛している」を伝えているつもりでも、実際には何も伝わっていなくて。
気持ちを口にするのは「緊張する」と逃げてばかりで。
心の内を知って、泣くほど嬉しくなるくらい不安にさせてきたなんて。
「⋯⋯すまなかった」
ロゼリアを引き寄せると、そっと腕に抱く。
「その日記の通り、私はずっとロゼリアだけを見てきた」
抱きしめるといつも固まる彼女だが、今日はおずおずと腕がディートハルトの背中に回った。
「不安にさせて、すまない」
「⋯⋯」
「⋯⋯」
ロゼリアからの返事が無くなってしまった。
ディートハルトの胸に顔を埋めたまま、上げようとしないロゼリア。無理やり引き剥がすのもどうかと思ってそのままにしているが、顔も見えないし、声も発さないので少し不安だ。
「⋯⋯ロゼリア?」
背中をさすって名前を呼ぶと、ふふっと笑い声が聞こえた。
「お姉様が、こうして旦那様の心臓の音を聞くのは落ち着くと言っておりましたが、なんだか分かるような気がします。⋯⋯でも、音は少し速いですね。ディートハルト様も緊張していますか?」
はい。可愛い。
ディートハルトの胸に頭を寄せながらも上目遣いで見上げてくるロゼリア。
よりいっそう心音が速くなった気がする。可愛すぎる妻を一旦引き剥がすと、ソファーの端に寄った。
(なんだこれ、なんだこれ。ロゼリアが可愛すぎるんだが)
赤くなった顔を隠すように片手で覆う。自分の心音がやたらとうるさいが、ロゼリアの声は聞こえてくる。
「ディートハルト様、一つ提案があるのですが⋯⋯」
「⋯⋯なんだ」
返事をするとソファーが少し浮いた。ロゼリアが立ち上がったのだろう。
ロゼリアは机の上の何かを手に取ると、またディートハルトの隣に腰掛けた。
「あの、わたくし⋯⋯今回のことで、わたくしとディートハルト様には会話が足りなかったのではないかと思ったのです」
「⋯⋯うむ」
たしかにディートハルトは口数が少なく、自分の意思が正確に伝わらない時がある。それは元来の性格のもので簡単に直せるものではないが、今回のように大切な人を傷つけるような誤解のさせ方はもうしたくなかった。
ついでに、誤解の解き方が小っ恥ずかしい日記を見られるという解き方だったので、できればもう勘弁願いたい。
ロゼリアも自己評価が低いせいか、自分の気持ちに蓋をしてしまうことが多い。自分の気持ちをあまり表に出してくれないので、今回のように誤解が長引くことになったのだろう。
もう少し長く、深く、言葉を交わしていればよかったのかもしれない。
「な、なので、こ、交換日記をしてみませんかっ」
「⋯⋯交換日記?」
ロゼリアがディートハルトに差し出した水色を基調とした花柄のノートを見やる。
交換日記とは、一冊の日記帳を複数人で共有し、その日の出来事や相手へのメッセージを書いて渡すことだ。
仲の良い女性同士で行ったり、付き合いたての恋人同士が手紙交換の代わりに行ったりするらしい。
(⋯⋯いや、交換日記の定義は知っている。私とロゼリアは既に夫婦だが、何故?)
「ええと⋯⋯互いの顔を見ずに文字に起こすのならば、素直な気持ちを伝えられるかと思いまして⋯⋯」
なるほど、とディートハルトは思った。
ロゼリアを目の前にして気持ちを口にするのは緊張するが、日記には素直に愛の言葉を書けたディートハルトだ。
その時の気持ちを文字で伝えれば、今回のようなすれ違いは起きないのかもしれない。
「あ、あの⋯⋯もし、お嫌であれば⋯⋯」
「やるぞ、交換日記」
返事が遅くなったせいか、日記帳を引っ込め始めたロゼリアの手を握る。
「本当ですかっ」
ぱっと笑顔になったロゼリアは、日記帳をディートハルトに押し付ける。
「では、今日はわたくしが書きましたので、明日はディートハルト様がお願いします」
押し付けられた日記帳には既にロゼリアが書いてくれたらしい。
「ああ」と頷くと、ロゼリアは嬉しそうに笑った。
今日は本当によく笑ってくれる。
「では、ディートハルト様――――⋯⋯」
「⋯⋯ハルト」
「え?」
お互い言葉を交わすことが大切だと気づいたのだ、これを機にかねてからの願望を口に出してみた。
――――二人だけの特別な愛称で呼び合いたい。
そんな普通の恋人のようなことをロゼリアとしたい。
最初はきょとんと目を瞬いていたロゼリアだが、すぐに察してくれたらしい。おずおずと「⋯⋯ハルト様?」と呼ばれる。
「⋯⋯『様』も要らない」
敬称も不要である。ロゼリアにはもっと自分を近くに感じてもらいたい。
ロゼリアは少し視線を彷徨わせると、口を開いた。
「ハ、ハルト⋯⋯」
――――ああ、幸せだ。
恥ずかしそうに目を伏せるロゼリアが可愛くて、愛おしくて、顔が緩んだ。
柔らかく目を細めたディートハルトに、ロゼリアは真っ赤になった。
「⋯⋯リア」
「は、はい」
「――――愛している」
言葉と共に、まだ赤くすることが出来たのかと思うくらい真っ赤になったロゼリアの額に口付けた。
〜fin〜
最後までお読みいただきありがとうございました。




