場末の薬屋
大通りから外れた小道にある、小さな店。
道に面した部分にカウンターがあり、中には椅子が一つ置かれているだけでかなり手狭に見える。
そんな店の椅子に腰を下ろし、カウンターに肘をついてつまらなそうに手元の紙を捲っている女がここの店主だ。
肩につかない長さの薄紫の髪と、青色の瞳。耳には金色のピアスをつけて、丸い眼鏡をかけている。
軒先で揺れる看板には小瓶の絵と共に「薬屋」とだけ書かれており、時々風で揺れて音を立てる。
店は小さく目立たない上、大通りから外れて入り組んだ道を進んだ先にある店だ。国外から来る冒険者に向けた店ではなく国内の住人を客としているのだが、だとしてもあまり客を呼び込む気はないようだ。
誰かが目の前の道を通っても顔を上げる事すらしない女は、目の前で人が立ち止まるとようやく顔を上げた。
「よぉ。久しぶりだな」
「少し外に行っていた。ポーションを三つと、毒消しを二つくれ」
「はいよ」
店のカウンターを覆うように立っている男を見て、女は慣れたように笑う。
口を開くと普通の人よりも少し鋭い犬歯が覗くが、随分と幼い印象を受ける笑顔だった。
足元の箱から言われたものを全て取り出してカウンターに並べると、男は既に代金を置いていた。
確認してつり銭を渡し、女は座ったまま男を見上げる。
目深に外套のフードを被っているが、下から見上げているので顔もしっかり見えるのだ。
男の目は、人であれば白目であるはずの部分の色が黒に近い色をしている。
他の身体的特徴は知っていて観察しないと分からない程度の物だが、こればかりは隠すことが難しい亜人的な特徴だ。
それ故に他の薬屋ではなくここに来て、何本か薬を買って行く。
もうずいぶん長い付き合いになる相手である。
去って行った男を見送って、女は再び手元の紙に目を向けた。
この国の名前はイピリア。魔力溢れるこの世界で、唯一魔法の使えない場所である。
国の中は全ての魔法を弾き、多くの魔力を弾き、魔法の行使も探知も出来ない特殊な国。
それ故に魔力を嫌う種族や魔力の特徴で亜人だと分かってしまう種族などが多く住む、人間至高主義者たちからは嫌われた国だ。
この薬屋で売っているポーション類も店主である女が作ったわけではなく、薬師としての資格は正式な手段で獲得していても自ら売る事が難しい亜人たちの作ったものである。
何人かいる亜人の薬師たちから作った薬を買い取り、ここでのんびりと売っている。
作る者によって完成したポーションを入れる小瓶などが違うので、そのあたりを気にするような買う場所を選べる人間は相手にしていない。
結果として暇を持て余しながら店番をする日々を送っているが、悪くはない日常だ。
先ほどの男のようにそれなりの頻度で訪れる客も居るし、ここが一番近い、と塗り薬を買いに来る老人もいる。
なんだかんだ食うに困らない程度の収入もあるので女はこの暮らしを気に入っていた。
「こんにちは」
掛かった声に顔を上げると、そこには身なりのいい男が立っている。
にこりと上品に微笑んだその顔を見て隠す気も無く舌打ちとため息を零しても、一切気にしていない様子で抱えた箱を持ち上げた。
この男は最近舞い込んだ面倒事の一端を担うものだ。
「以前仰られていた通り、瓶とコルクを変えました」
「……ん、マシにはなったな。出来ることなら材料も変えろ。質が良いのが丸わかりだ」
「報告しておきます」
カウンターに抱えた箱を置いて、中からポーションで満たされた小瓶を取り出して見せてくる。
中身は何の変哲もないポーションだが、それを入れているガラスの小瓶はこんな薬屋で売っているものとは思えないほど質がいい。
これでも細かい装飾を無くさせ色を無くさせコルクも変えさせたので、前よりは普通のポーションに見えるようになっているのだ。
一先ずそれを受け取るために建物の中を移動して外に出て、箱を抱えて店に戻る。
他のポーションと纏めて棚に積んで受け取った日付を書いた紙を張り付ければ今やる事は完了だ。
あとは律儀に店の前で待っている使いの者に文句を言うだけ。面倒だ、と思っている事を隠す気はないので行儀悪く頬杖をついたまま声を発する。
「そもそもお前の格好も問題だ。そんなお上品な格好、ここじゃ目立って仕方ない」
「なるほど。次回から着替えてきます」
「ついでに他の取引先も探せ。何でうちなんだ」
最後の言葉だけは返事をせずににっこりと笑ったその姿に舌打ちをする。
それでも表情を変えずに一礼して去って行ったその後姿を見送って、棚に積んだポーションの箱をもう一度見てため息を吐いた。
このポーションの制作者は、この国の王子である。
次期国王。才気あふれる王太子。何を思ったのか薬師の勉強を始め、そしてわざわざ別の国に行ってしっかりと資格を取ってきた変わり者。
……いや、この国の王族としては大人しい方ではあるのだが。
こんな場末の薬屋にこっそり薬を卸している理由は、彼の母にある。
現国王。美しき女王は、その座に就く前、供の一人も連れずに王城を抜け出して国の中を散歩するという事をそれなりの頻度でやっていた。
ドレスを脱ぎ捨て動きやすい服に身を包んだ彼女を止められるものはほとんどおらず、好きに国内を見て回って満足したら帰る、というお転婆ぶりだったのだ。
そして、その頃にこの女と当時王女だった女王は出会った。
まだお互いに少女であったが、それなりに物を理解する頭はあったので時々出くわしては話すくらいでそのことを口外することも無かった。
王女が女王となってからは流石に王城の窓から外に飛び出て塀を越えることもしなくなり、他にも何人かいた散歩中の彼女と話した者と、そんなこともあったと語る過去のことになっていたのだ。
それが数か月前になって急に使いの者がやってきて、ここに王子の作る薬をこっそり卸させてほしいと言ってきた。ついでに、ここを指定したのは女王であるとも言っていた。
聡明な彼女はただの一国民である自分のことまで覚えていたのか、と驚くついでに指定の理由を聞けば、女王の知り合いでありこの形の薬屋をしているのはここだけだから、と言う。
確かに薬師は普通自分の店を持つ。他からの卸売りをしているのは他の物も扱う商会がほとんどだ。
自分の顔と腕がそのまま店の評価につながるのが普通の薬師であるが、王子がそれをするわけにはいかない。
「迷惑料として、代金等は要らない。置いて行ったポーションは好きに使ってほしい、と仰せつかっております」
「……それじゃ取引にならねぇ。やるなら値段の設定はする。格安にはさせてもらうぞ、こんな面倒の種。あと口も出す」
「承知いたしました」
「出来れば他を探してほしいんだがな」
そうして始まった取引の最初の段階は、まずは質を見たいから一瓶もってこいと言ったポーション自体ではなく外身を修正するところから始まった。
細かい装飾の入った瓶も、質の良すぎるコルクも、何もかもこの場には合わな過ぎてとんでもなく浮いていたのだ。
高貴なのを隠したいのか隠したくないのかどっちなんだと詰め寄って、参考に店のポーションを一つ渡した。そして何度か修正して、ようやく今回在庫として棚に積むことになったのだ。
とんでもない面倒事だ、と再度舌打ちをして、読み終わった紙を横に避ける。
あの女王の事だ、誰にもバレていないとは思っていないだろうが、何にどこまで気付いているのか。
カウンターの下に置きっぱなしにしていた本を取り出して顔を上げると、向かいの家の屋根にやたらと丸っこい鳥が一羽止まっているのが見えた。
別の国で暮らす知り合いの飼い鳥。世界中に散らばってありとあらゆる情報を集めている、そのうちの一羽。用事があった、と言うよりはイピリアに来たから寄っただけだろう。
あれがどこまでを見て行ったのかは分からないが、キマイラで暮らす情報屋はきっとこのことも知っている。
まあ、言いふらすような者ではないし、そもそも情報を商品にしているのだ、聞かれなければ答えないのだから、この店に言及することは無いだろう。
そう結論付けて目線を手元に戻し、しばらく読書に耽る。
店の客は一日に一人か二人。誰も来ない日もある。
今日は一人は買いに来たわけではなかったが、三人目の訪問者が来るのは少しだけ珍しい。
女は、カウンターに乗った小さな手を見てそんなことを考える。
手の主は、どうにかカウンターに顔を出そうと頑張っているようだ。しばらく見守っていたが、どうにもならなそうなので窓から身体をだしてその小さなお客を見下ろす。
「どうしたチビ助」
「じいちゃんに頼まれてきた!痛いの止めるお薬ください!」
「飲むやつか?塗るやつか?」
「塗るやつ!」
「おう、待ってろ」
急に顔を覗かせた女に驚いた顔をしたが、子供は怖気づくことなく要件を伝えてきた。
足元の箱から痛み止めの塗り薬を取り出して再度身体を乗り出し、値段を伝えて硬貨と薬を交換する。受け取った薬を鞄に詰めて元気よく走り出した背中に転ぶなよと声をかけ、椅子に座り直すと小さく笑いが零れた。
誰の子だか孫だか知らないが、素直な子供は可愛らしい。
面倒事で悪くなっていた機嫌は元に戻り、女は上機嫌で本の続きを捲るのだった。
昔のタバコ屋さんみたいな、小さな薬屋の話が書きたかったんです。
ずっと書いてる世界線の話ではあるけどそっちには出せ無さそう、ということで短編で書きました。
書きたい事全部かけて満足。