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「ぼ、くは……」
視線が絡み合う。言ってしまえば認めたも同然だと思うと、すんなり言葉が出てこない。
エドワードは何も言わずにじっと待っている。
「…………僕も、離れるのは嫌だ……けど、エドの近くにいるために無理を通すのも嫌なんだ」
ようやく、それだけ言えた。いっぱいいっぱいで自分がどんな顔をしているのかよくわからないけど、エドワードは僕の顔を見て少し息を呑んだようだった。
「無理じゃなければいいんだな?」
「えっ?」
「ルカ、今どんな顔してるかわかってるか?」
頬にあてられた手が首元に降りてきて、するりと優しく撫でられる。顔が熱い。いたたまれなくて視線を外す。
「俺のことが好きですって顔してる」
先程までとは打って変わって、エドワードが嬉しそうに微笑んで顔を覗き込んできた。
「……ダメなら止めて」
そう言ってゆっくり近づいてきた。僕は返事の代わりに、きゅっと目を瞑る。
少しの後、柔らかい感触が唇を塞いだ。首元の手が後頭部に回って、押しつけられる。顎を上げられて唇の間を舌でなぞるように舐められると背筋に電流が走ったみたいな感覚がして、身体がびくっと強張った。
唇が離れて、自分の息があがっているのに気付く。ちゃんとキスしたのは初めてで息がうまくできないし、ふわふわして力が入らない。ぐったりしていたら肩を引かれて、エドワードにもたれかかる体勢になる。
「ルカ、好きだよ」
頭の上でそんな声がした。
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あの日から、エドワードはなぜか学園が終わるとさっさと帰ってしまう。どうしたのかと思って尋ねてみても「ちょっと野暮用」と詳しいことは言わないのだ。
しかし、それが1ヶ月も続くと流石に気になる。
不審に思いながら帰宅すると、父様が来客対応中だった。
「ルカ様もご同席されるようにとのことです」
メイドからそう告げられ、急ぐようにとのことなので制服のまま客間に向かう。
「失礼します……って、エド?」
ドアの向こうには、父様とエドワードがいた。
「ルカ、こちらへ」
促されて父様の隣に座る。来客はエドワードみたいだけど、一体なんだろう。
「紹介しよう、こちらはエドワード・デラージュ公爵だ」
父様が笑いたいのかしかめたいのか何とも言えない複雑な顔で、エドワードを紹介してきた。
「……はっ?」
なんて言った? 公爵?
…………エドワードは第三王子じゃなかったっけ。
ぽかんと呆気にとられる僕の顔を見て、父様はふうっと大きなため息をつく。それが聞こえているのかどうか、気にしない様子でエドワードが口を開いた。
「メルシエ公爵、ルカの希望を叶える段取りは整えました。これで卒業後のことも婚約もお認めいただけますよね?」
途端にがばっと父様に抱きつかれて、びっくりする。
「うぅ……お嫁に出すのはもっと先だと思ってたのに……ううぅ……エドワード王子は手回しが良すぎなんですよ……」
「もう王子ではなく、一介の公爵です」
何が何だか、状況を整理したい。おいおいと泣く父様の隙間からエドワードを見ると、優雅にお茶を飲んでいた。
「臣籍降下した。王子は辞めてきた」
涼しい顔でそんなことを言うが、こっちは驚きすぎて声も出ない。
「新米公爵だからさ、卒業後は領地経営の補佐が必要なんだ。未来の公爵夫人として引き受けてくれるよな、ルカ」
エドワードが見惚れるような綺麗な顔で微笑む。
すっかり忘れていたけど、エドワードは単なる天然の阿呆ではなかった。行動力のある阿呆なのだ。僕と一緒にいるために、この1ヶ月で身分まで変えるとは全く予想外だった。
「ここまでする事なかっただろ……」
本当なら叱り飛ばさなくてはいけないのかもしれないけど、僕のためにしてくれたんだと思ったら、意に反して嬉しくなってしまって、弱々しい声が出る。
「だって、ルカと一緒にいるためにはこうするのがいちばん手っ取り早かったんだ」
口を尖らせてそう言うので、僕は父様の腕から抜け出してエドワードの側に寄り、さらさらの黒髪をわしわし撫でる。
「仕方ないなあ……でも僕だって新米補佐だからね。あんまり期待されても困るよ」
「一緒なら、きっと大丈夫だ」
エドワードが僕の手をとって、頬に擦りつけるのでくすぐったい。
「君たち、そういうのは私のいないところでやりなさいね」
いちゃいちゃする僕たちに父様が注意しながら、渋々諸々のことを許してくれた。
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エドワードの新しい領地のことや卒業後の生活の準備に追われていたら、あっという間に卒業式だった。
卒業式と言っても殆どパーティーのような形で、偉い人の挨拶の後は自由だ。会場内に用意された軽食と飲み物をつまみながら、各々交流している。
僕はクラスのみんなと話した後、外の空気を吸いたくてエドワードとバルコニーに出てきた。
「卒業したら、もう大人の仲間入りなんだなあ」
賑やかに話しているみんなを窓の向こうに見ていると感傷的になって、なんとなく呟く。
「大人になるけど、これからも一緒だ」
隣のエドワードが僕の腰に手を添えて、ぐっと引き寄せた。
「早く結婚したいなあ……そしたら色々できるのに」
「色々ってなんだよ」
腰に添えた手をぺしっと叩いて窘めると、エドワードは僕をまじまじ見てから、耳元に顔を寄せた。
「……そりゃあ、いろいろだよ。具体的に聞きたい?」
僕が弱いあの低く艶っぽい声で囁かれて、一瞬で僕は真っ赤になったと思う。エドワードを軽く睨むと、にまにまと意地悪く笑っている。
「こっの……どあほう! わかっててやってるだろ!」
一発入れてやろうと手を振り上げたが、悲しいかなリーチも力も違いすぎる。僕の腕は難なく捕まってしまった。
「だって、ルカは俺の声好きだろ」
「な……」
「意地悪されて恥ずかしがってるのかわいい」
捕まえた手にちゅっとキスをされて、なんだかむずむずする。
「これからもよろしく、俺の公爵夫人」
「気が早い! ……けど、好きだよ。これからもよろしくね」
僕がそう言うと、エドワードは大きな瞳を更にまん丸にして、固まった。綺麗な顔がみるみる赤くなったと思ったら、両手で顔を覆って天を仰いでしまった。
「エド?」
「ごめん、ちょっと……今、見ないで……」
初めて『好きだよ』と言葉で伝えた効果はすごかった。あのエドワードが大人しくなっている。
しばらくしてふーっと息を吐き、大きな身体を丸くしてしゃがみ込んだ。忙しいな。
「……もう一回、言って」
顔を覆う両手の隙間から、ぼそぼそとおねだりする声が聞こえるので、耳元で囁いてやった。
「また今度ね、旦那様。これからも一緒なんだから、いつでも聞けるでしょ?」
すると、エドワードが顔を上げた。お互いに顔を見合わせて笑う。
これから先、良いことも悪いこともたくさんあると思うけど、エドワードと一緒ならきっと大丈夫だ。そんな気持ちで、空を見上げた。