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僕が女性になってから1年が経った。
学園では最終学年になり、そろそろ卒業だという時に王城に呼ばれた。あれから、エドワードとの婚約は保留のままにしてもらっている。もしかしたらその件かも、と思いながら向かった。
「ルカ・メルシエです。失礼します」
挨拶をして謁見室に入ると、エドワードと宰相様、それからミシェル様がいた。
「やあ、久しぶり」
ミシェル様が笑顔でひらひらとこちらに手を振った。
「呼び立ててすまないな、まあ座って」
宰相様が椅子をすすめてくれる。
「……」
示された位置に座りながらエドワードを見ると、なんだか機嫌が悪そうに黙っていた。どうしたんだろう。
宰相様がお茶を出してくれた侍女さんたちに退出の指示を出すと、部屋には僕たち4人だけになった。
向かいに座る3人を見ると、笑顔のミシェル様、しかめっ面のエドワード、間に挟まれた宰相様は……涼しい顔だ。
誰も話し始めないので、出されたお茶を飲んで待つ。
「君は、卒業後の進路は決まったのだろうか」
ややあって、宰相様から質問された。
「いえ、特には。卒業後は父の手伝いをするつもりです。領地と王都を行き来することになると思います」
答えると、エドワードがむっすりして呟いた。
「……王都で俺の側に勤めればいいのに」
進路の話になると最近はこればっかりだ。流石に女官でもない僕を側仕えにするとか無理だから諦めろ、と何度も言い聞かせているのに諦めが悪い。
「君が希望するなら、そういう方向性も検討できなくはない……婚約が前提にはなるが」
宰相様がちらっとエドワードを窺いながらそう言うので、首を横に振って否定する。
「僕はそんな、特別扱いは嫌です」
貴族の家に産まれて、大人になったら領地経営の補佐をすることはごく普通の進路だ。それ以外を望むのなら、学生の間にそれなりの準備をしておくものだと思う。毎日会っていたエドワードと離れてしまうのは寂しいけれど、進路とそれはまた別の話だ。会おうと思えばいつだって会えるのだし。
不満げなエドワードをよそに、ミシェル様がいい笑顔をこちらに向けた。
「それなら、いい提案があるんだ」
なんだろう。
「私の部下として神殿で働かないか」
「神殿で……えっ? 神殿で働く?」
突然の話に鸚鵡返しをしてしまう。驚いているのは僕だけで、宰相様もエドワードもあらかじめ知っていた話なのだろう。
「でも、僕は神殿に勤められるような特技は無いです」
神殿では、薬草の栽培や加工、各地の慰問、孤児院・診療院の経営など、ひと言で神様に仕えると言っても様々な俗世の仕事があるのだ。そういった意味では多岐にわたる能力が求められるので、神殿に勤めるというのはエリートと言ってもいい。僕には荷が重い。
「私の部下として、と言っただろう? 簡単に言えば次の大神官候補にならないかということなんだが」
「???」
聞き間違いだろうか。『次の大神官候補』と聞こえた気がする。
「あー……突然の話で…………いや本当にどういうことですかね?」
「私もそろそろ引退を考えていてね。君なら【女性化する奇跡】を体現した転生者ってことで、神秘性もあるし容姿も申し分ないし、後任にどうかなと思ったんだよなあ」
軽い調子でミシェル様が言うが、とんでもない。ぶんぶんと首を横に振る。
「無……無理です! そういう重職に就く人はちゃんと選ぶべきだと思います」
懸命に断ると、宰相様がほっとしたように小さくため息をついた。
「ほら、だから言ったじゃないですか。ルカ君は辞退するって」
ミシェル様は「残念だ」とけらけら笑っている。
「突然伝えたら混乱して、もしかしたら頷くかなと思ったんだが」
「全力で辞退します!」
「ま、気が変わったらいつでも言ってくれ。引退は諦めて、仕方ないからもう少し働くとしよう」
笑いの止まらないミシェル様はどこまで本気なのか、そんなことを言った。大体、引退するような年には見えないけど……そういえばどのくらい大神官を務められているんだろう。
「さて、話は以上だ。わざわざすまなかったな」
宰相様が立ち上がるので、僕も一礼して部屋を出ようとした。
「ルカ、ちょっといいか」
エドワードに呼び止められたので、振り返る。
「話がある。俺の部屋に行こう」
挨拶もそこそこに手をぐいっと引っ張って連れ出される。部屋の中に向かって慌てて会釈すると、ミシェル様がにこにこしながら「またな」と手を振っていた。
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2人がけのソファに並んで座る。隣のエドワードとの距離感はこの1年、だいぶ近い。しかも座る位置だけではなく何かと接触を図ってくる。
それにしても、今日は特に近い。太ももがぴったりくっつくぐらいの位置に座っている。近すぎないか。
座る位置を少しずらして離れてみてもすぐに近寄ってくるので、結局ソファの端に詰められてしまった。
いつの間にか人払いもされていて、2人きりだ。
「……狭い」
ぎゅうぎゅう寄ってくるので、ぐいとエドワードを押すと腕を掴まれる。
「お前が避けるからだろ」
「エドが近すぎるんだよ」
すると、掴んだ腕を引いて顔を近づけてきた。鼻先がぶつかりそうだ。
「膝に乗せたいところを我慢してるんだから、くっつくぐらいはいいだろ」
綺麗な紫の瞳でじっと見つめられる。見つめ返すのはなんだか恥ずかしくて、ぷいっと顔を背けた。
骨っぽい大きな手が、頬を撫でる。
「ルカ、こっち見て」
耳元で低く囁かれて、途端にぞわっと鳥肌が立つ。なんか響くんだよなあ、その声。エドワードも僕が弱いとわかっていて、わざとそういう声を出してる気がする。
「話があるんだろ」
そう言うと、声の威力で益々俯いてしまった僕の頬を撫で回していたエドワードの手が、ぴたりと止まる。
「……ルカは、俺と離れて平気なの?」
さっきの、卒業したらどうするのかという話の続きをしたいみたいだ。
「寂しいけど、四六時中一緒ってわけにはいかないよ。エドだって公務があるだろ」
「はぐらかすなよ、わかってるくせに」
僕の返事を聞いたエドワードが、唸るみたいに呟いた。
……本当は、エドワードが聞きたいのはこういうことじゃないって理解してる。でも、答えられない。
この1年の間エドワードは、距離は近いけど友だちの関係を崩さずにいてくれた。それをいま、少し越えようとしているのがわからないほど僕だって鈍くない。
「俺はルカと離れたくない」
頬に添えられた手が、僕の顔を持ち上げる。少し熱っぽいエドワードの視線をまともに受けて、胸がぎゅうっと苦しくなった。