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あの後、エドワードが「こうなったことを陛下は知っているのか?」と尋ねてきたので、はたと考える。
「んー……知らないけど、母様からは伝わってるかも」
母様はエドワードの乳母だったから、その身の回りのことなんかをよく陛下に報告していた。一応、第三王子の身近な人間に起きた珍事だし、何かは伝えてるんじゃないだろうか。
「そうか、俺から確認しておく」
「なんで?」
珍事だけど、そんなに急いで陛下に報告するようなことかな、と不思議に思う。放っておいても、そのうち父母のどちらかから話がいくはずだ。
「なんででも。それより、もう元気なんだから明日は学園に行くだろ?」
さらりと僕の疑問を受け流して、話題を変えてきた。
「えっ、明日? 急すぎない? 大体いきなり女になった僕が行ったら驚かれるんじゃないかな」
「女子用の制服も手配させるし、周りの目が気になるなら、いつもみたいに俺の近くに居ればいい」
そう言われても、僕にも心の準備ってものがあるんだけどな……。悩んでいると、エドワードが小首を傾げてこちらを覗き込んできた。
「ルカがいないと寂しいんだよ。朝迎えに来るから、一緒に行こう。な?」
「……わかったよ。その代わり、フォローは頼んだからね」
「任せろ。制服とか普段着も必要だろう。色々と後で届けさせるよ。また明日な」
エドワードは僕の肩をぽんと叩いて、帰って行った。
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夕食の後、本当に制服が届いていた。制服だけではなく普段着や下着までも何着か用意されていた。着てみるとサイズがぴったりだ。さっき触ったぐらいでサイズを当てたってことかな。
……若干気持ち悪くなってきたので、深く考えるのは止そう。実際、無いと困るものばかりを用意してくれたんだから、感謝こそすれ責めるのはお門違いだ、うん。
翌日は迎えに来たエドワードと連れ立って一ヶ月ぶりの学園に登校した。
王子と親しげな見知らぬ女生徒に無遠慮な視線と囁きが降り注ぐ。
「忘れてた、はいこれ」
教室に入る前に躊躇していると制服のタイをするっと外され、代わりにエドワードのタイを渡される。それを見ていた周囲の女子から、きゃあ、と嬌声が上がった。
「なに?」
「いいから、これ着けて」
渡されたものは規定のタイとは少し違う。規定は紺色のサテンだけなのだけど、僕が渡されたのは黒いサテンに紫のピンが付いている。エドワードが付け替えた僕のは焦げ茶に青のピンだ。……なんか、あからさまだな。
「わかりやすくていいだろう? 余計な心配除けにもなると思うぞ」
確かにそうかもしれないけど、恥ずかしいことこの上ない。この空気の中でこれから自己紹介しなくてはならないと思うと、気が重くなる。
重い足取りで教室に入り、壇上に立つ。ざわめくみんなに先生が声をかけた。
「みんな、落ち着いて聞いてほしい。ルカ・メルシエが一ヶ月ぶりに復学した。見ての通り不測の事態で、女子生徒として通うことになったのでそのつもりで接するように」
さすが先生だ。肝心な部分を言わずに事務的な説明をしてみんなを煙に巻いている。おかげでちょっと落ち着いた。促されて、自己紹介をする。
「みんなも戸惑ってると思うけど、僕、ルカ・メルシエです。前と同じように付き合ってくれたら嬉しいな」
少しでも印象が良くなるように、にっこり微笑む。みんなポカンとしてるけど、うまくできたのだろうか。
先生が咳払いをすると、はっとしたように少しざわめきが戻ってきた。
「さて、席につけ。授業を始めるぞ」
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休み時間、ルカはクラスの女子生徒達から話しかけられていた。男子が知らない学園内施設のあれこれを教えてもらっているらしい。
「なあ、あれルカなんだよな?」
「……可愛いなあ」
「美少年が美少女になると破壊力がすごいな」
「俺、声かけてこようかな」
「あ、俺も話したい」
男子生徒がルカから離れたところでこそこそと喋っているので、近付く。
「気になるみたいだな?」
「! エドワード様……」
突然話しかけたことに驚いたのか、一斉に黙ってしまう。
「ルカも女になって複雑なんだ。あんまり興味本位の質問とかはやめてやってくれ」
「あっ……そうですよね。気をつけます」
声を潜め友人を心配している体で釘を刺すと、全員頷いていた。素直な連中だ。
「ところで、エドワード様。それ……」
1人が俺のタイを指している。意味に気がついたらしい。
「ああ、そういうことだ」
口元だけで笑みを作り、確信を植え付けてやる。用件は済んだので、じゃあ、とそこを離れた。彼らは顔を寄せ合って話の続きをするようだ。
できるだけ誤解しておいてもらおう、ついでに噂が広がれば言う事なしだ。外堀を埋めるにはその方が都合が良い。
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お手洗いと更衣室は、職員用のものを使用させてくれることになった。流石に先日まで男だった僕が堂々と女子の中に混ざるのは、お互いに気まずいだろうという学園側の配慮である。
使用の際は付き添いをつけるという条件付きなので、エドワードについてきてもらって屋外授業のための着替えをしに来たのだが。
「なんでエドも中に入ってくるんだ!」
「俺だって着替えしないと間に合わない」
付いてきてもらったのは僕の事情だし、そのせいでエドワードが遅刻するのは本意じゃない。仕方ない、一緒に着替えるしかない。
職員用はせいぜい3人も入ればいいぐらいの狭さなので、仕切りのカーテンを閉めても近いことは近い。しゅるしゅると衣擦れの音がする。
「そういえばさ」
「わあ! なんだよ?」
急にエドワードがカーテンを開けて顔を覗かせる。
「それ、ぴったりだったみたいだな」
にやっとして僕の胸元を指差した。下着のことを言っているのだ、と理解してすぐ、まだ着替えの途中だったことに気付く。つまり、僕は上半身が下着姿だ。
「っ……確かにぴったりだし用意してくれたのはありがたいけど、見ていいって言ってない!」
着替えの服を抱き抱えながら、カーテンを引っ張る。エドワードが向こうでくすくす笑っているのが聞こえる。
……もうちょっと怒っても良かったのでは。元男だったせいで、少し自分の危機意識が薄い気がしてきた。
着替えが終わって、更衣室を出る。鍵を閉めていると、首の後ろにふっと気配がした。
「ルカ、いい匂いがする」
「シャンプーの香りとかじゃないか?」
いつもは結んでいる髪を、今日は制服に合わせておろしているので、香るのかもしれない。うなじのあたりを嗅がれて、髪をくすぐられているような感じがする。
「よし、戸締まり完了。いつまでやってるんだ、行こう」
「この程度だとダメか……」
エドワードが小声で呟いたけど、聞き取れなかった。
「何か言った?」
「何でもない。遅れるぞ」
そう言うと、手を繋いできて小走りに集合場所へ向かった。足が長いので速い。着いた頃には僕の息が上がっていた。
「着替えは問題なくできたようだな」
先生が繋がれたままの手をじっと見ながら言うので、みんなも注目している。いたたまれない。
「はい、ご配慮ありがとうございます」
息を整え、なんとかお礼を言う。ところで、いつ手を離してくれるのだろうと思ってエドワードを見ると、にこにこしている。
「……それでは、本日の実習はペアを組んでもらう」
先生が諦めたように授業を始めた。
僕は当然のようにエドワードとペアを組むことになったのだった。