繋がりと柵
人との繋がり方。
それだけが知りたかった。
教科書にも載っていない。祈っても神様は教えてはくれない。
人には、それぞれ形があり、波長があり、色がある。
波長がズレてた。形が違った。色が混じらなかった。
世界と僕の鼓動が合わなかった。
これを正す術は、今なお見つからない。
所々に赤い錆びれの付いたドアを、ゆっくりと開ける。
ドアの向こうの室内は、窓もなく真っ暗闇に覆われている。
辺りをじっくりと、そう、じっくりと確認する。
人の気配は無い。
さながら鼠のように、出来る限り音を殺し、早い動作で中に入る。
ボタンを手探りで探し、部屋の明かりを点けた。
大量の荷物が並べられた棚が照らし出される。
ここは倉庫であり、そして僕がこれから昼食をとる憩いの場だ。
昨日は思わぬアクシデントで肝心の昼食を食べ損ねたが、今日は問題ないだろう。
弁当を開き、いただきます。と心の中で呟く。
今、僕を邪魔するものも煩わせるものもない。
「ふふ。」
柄にもなく、口元から笑みが零れ落ちた。
「楽しそうだね、何か良いことあったの?」
後ろから届く朗らかな声に、僕の安堵は呆気なく散った。
「ねぇ、本当に好きな食べ物とか無いの?」
隣に座ってる西園が、何食わぬ顔で問いかける。
「ないよ」
入る時は、ぬかりなく周りを確認した。
それでも、彼女に気づけず今こうして、一緒に昼食を取っている。
実は、僕は人の気配に気づけないくらいに抜けているのか、そんな自己嫌悪が芽生えそうになる。
「甘党て顔なんだけどなぁ」
どんな顔だ。
「いいの、こんな所にいて」
彼女に問いかける。
「脅してる? いつも勝手に使ってる夕人君が言えた事かな」
「そうじゃなくて……友達の所に行かなくていいの?」
彼女はこんな校舎の片隅に、来る必要なんかない。
居てもいい、否、居るべき場所が彼女にはある。
一緒に過ごせる友達がいる。
求めてくれる人がいるんだ。
彼女が、静かに笑みを浮かべ、質問に答える。
「良い訳ないね。 怖いよ、物凄く」
予想外の言葉に戸惑った。
怖い、それは僕の中にある、才色兼備の完璧な少女、というイメージからかけ離れた単語だった。
初めて見た、彼女の弱い部分だった。
「怖い……何が」
「私がいない所で悪口言われてるんだろうなぁとか……離れていくんじゃないかとか」
彼女の不安が、僕には理解出来なかった。
「その……よく分からないな」
「分からない?」
「いなくなった途端に悪く言うような相手と、無理して仲良くするとか……可笑しい」
「はは。 可笑しいかぁ……確かに変かもね」
「なら何で」
「魚が水の中にしか生きれないのと同じだよ。 腹の底で嫌われてても、私は人の輪の中に居たいんだ」
「……」
彼女の考えは理解出来た。
もっとも、出来ないとして、僕からの理解なんて彼女には不要だ。
けど、不安までは納得がいかなかった。
彼女は、世間一般でも認められるほどの良い人だと思う。腹の底で嫌うような人間も嫌う動機も、この世のどこにも無いだろう。
「でもね、凄い疲れるんだ。 誰かを貶す瞬間て、胸の中が酷く震えるの。 これから底なし沼に足を踏み入れるような、心が黒く、汚く染まっていくような気がするんだ。 自分が酷く醜い存在にしか思えなくなる。 それを乗り越えるのが、しんどいんだ」
徐々に暗い、か細い声調になりながら、彼女は語った。
重たい、淀んだ沈黙が場に降りる。
普段の彼女からは想像もつかない、暗い本心。
僕が得られなかった物に、彼女は苛まれている。
繋がりは、柵にもなる。
「大丈夫だと、思う」
自然と、口が動いた。
「誰も、に……西園から、離れないよ。 嫌いに何てなれない、それくらいに完璧……なんだからさ」
上手く自分の考えを、言語化できたかは分からない。
これほど人に何かを伝えようと必死になったのは、何時ぶりだろうか。
「……ふふふっ」
一輪の花が咲くように、小さく彼女がほほ笑んだ。
「ありがとう。 嬉しいよ」
それを言う彼女の表情は、笑顔だった。
教室でも何度も見た事のある、安らぎを齎す笑顔。
けれど、普段より、喜びの色が強いようにも感じた。
「夕人君はさ、嫌いじゃない? 私のこと」
「うん、嫌う理由がない」
「そうか~」
それじゃあ、と一拍間を開く。
「私のこと、好き?」
胸の奥が、強く引き締められる感覚がした。
「その……! えぇと……」
言葉を上手く紡げない。
心臓が、狂ったように高鳴りをあげている。
「あれ? もしかして好きじゃない……そっか、悲しいなぁ」
「そういう訳じゃ!」
「……ふふふ。 冗談だよ!」
いたずらっぽく彼女が笑う。
「あれ?怒っちゃった?」
「……全然」
吐き捨てるように呟き、弁当の卵焼きを口に運んだ。
今日は食べ損ねないぞ。
弁当を食べ終えて、スマホで時間を確認する。
教室に戻るには十分ゆとりのある時間だった。
「それじゃ行こっか」
西園がドアへ向かい歩き出す。
僕は、歩き出せなかった
彼女の後ろ姿を、茫然と眺めていた。
華奢で綺麗なシルエット、束ねられた艶やかな桜色の長髪。
初めて見れば誰でも感嘆を零すくらいに、美しい後ろ姿だった。
「ごめん、やる事あるからさ……先に行ってて」
息を吐くように、嘘をついた。
一瞬、不思議そうな顔をしたものの、彼女は倉庫を出て行った。
一人で廊下を進む。
彼女の後ろ姿を見て抱いた感情は、畏怖だった。
近づく事を、本能が憚った。
それは、彼女が絵に描いたように完璧だからだろう。
僕は彼女の傍にいるには、不相応だ。
人の輪の中に生きる彼女と、外側に独り生きてく僕。
見てる世界も、抱える苦悩も、何もかもが違う。
それなのに、どうしてこう願ってしまうのか。
教科書に載ってるなら、教えてほしい。
神様がいるのなら、許してほしい、願わくば成就させてはいただけないか。
波長も形も、全て違うこんな僕だが、それでも
彼女の隣にいたい。