目を見ようよ
「死ねないくせに」
心を抉る鋭利な語調、背筋を凍らせる、不適な嘲笑。
そこにいるのは僕の知る、毎朝穏やかな笑顔を見せる西園宇津莉ではなかった。
「な、何が」
振り絞った言葉がこれだった。
深い意味なんて無い。状況も飲み込めず、思考がパンクし、本能的に思い浮かんだ言葉を発しただけだ。
「何て? 言葉通りの意味だよ」
いつも通りの、あの優しく心を安らかせる西園の声だった。
しかし、表情は依然、冷たい嘲りのままだ。
「夕人君は死にはしない」
当たり前だ。自ら口走った事だが、真剣な願望ではない。
からかっているのかと、小さな苛立ちを覚えた。
しかし、そんな感情も、すぐ彼女によって掻き消される。
「多分、夕人君の心の中なんてこんな感じかな。別に誰にも必要とされず、無意味に毎日を過ごして、心の中空っぽで虚しくて『何のために生きてるんだ』て人生の意義とか考えちゃってる」
淡々と語る彼女の憶測は、概ね僕の心情と一致した。
得体の知れない恐怖に駆られ、俯いた。
どうしても彼女の顔が見たくなかった。
「ねえ、当たってた?」
彼女がクイズを当てた子供のような、無邪気な声で問いかけてくる。
だが、それも頭に入ってはこない。
心臓の動悸が激しくなり、鼓動が全身に響き渡る。
意識が霞んでいく。
「ねえ」
意思と関係なく、頭が上がった。
両頬から暖かな感触が伝わる。
いつの間にか近づいていた彼女が、無理やり両手で僕の顔を自分に向けさせたのだ。
紙一重、と言ってもいいくらい近くに、彼女の端正な顔がある。
「人と話す時は、目を見ようよ」
入学以来、ここまで間近に彼女の瞳を覗き込んだのは初めてだ。
青空の如く美しい水色の瞳は、どこまでも深く、吸い込まれそうになる。
「だ……ったら、何だ」
情けのない、震えた声を上げた。
「笑うか、ははっ……自分でもバカだと思う」
先程まで固まってた自分が嘘のように、言葉が淀みなく浮かんでくる。
「考えなきゃいい事に苦しんで、勝手に傷ついて自分追い込んでさ……本当に馬鹿げてる」
そうだ。理解している。だけど……
「それでも、胸は痛むんだ……意味なんてもん探してしまうんだよ!」
見っとも無く、僅かにだが声を荒げてしまった。
西園は動揺するでもなく、数瞬黙り込み、こちらの瞳を覗き込む。
「ふーん……」
彼女の口角が、不気味に吊り上がった。
「それならさ……私が生きる意味になってあげるよ」
「……は?」
また、思考がフリーズし始めそうになる。
「だから、私が夕人君の生きる意味になるんだって」
「からかってるの」
懐疑の視線を、彼女に送る。
「ははっ。 私は真剣だよ」
「何で、そんな得の無い事しようと思うんだよ」
当然の疑問を投げかける。
彼女と僕との接点なんて、無に等しい。僕の存在意義になるメリットも、道理もあるはずがない。
彼女が、質問に答えようと口を開く。
「夕人君が必要だから、生きてて欲しいんだよ」
一瞬、世界から音が、何もかもが消えたような感覚が起きた。
心臓が、激しく鼓動を鳴らした。
胸の中には、これまで感じた事の無い、そして暖かい、名前も分からない感情が広がる。
それら全てが、僕の意識を外界から切り離していく……。
「ふふっ」
彼女の笑い声で、意識が外界に戻った。
「顔真っ赤、そんなに嬉しいんだ」
「なっ!」と変な声を上げ、彼女の手を振りほどき距離を取る。
「面白かったなぁ……表情が固まったかと思ったらさ、頬がだんだん赤くなって、両手もポカポカぁて暖かくなるの伝わってきて」
穴があるなら入りたいとはこの事だろうか。
恥辱と怒りのあまり、体が震える。
「さようならッ!」
荷物を持って、早足で廊下に出た。
会話を急に切り上げるのは悪いと思ったが、彼女から離れたい意思の方が強く、必死に帰路を突き進んだ。
家に着くと、脇目も振らず自室に向かい、ベッドに飛び込んだ。
頭の中で今日の出来事が、グルグルと駆け巡る。
あの言葉の真意は何なのか、ただの気まぐれなのか、今日の事を誰かに話されはしないか。
あれが、彼女の本当の姿なのだろうか?
考えても答えは出ず、静かに眠りについた。
翌朝、いつも通りの騒がしい教室の中、一人静かに小説を読んでいた。
しかし、思うようにページが進まない。ソワソワとしたざわめきが胸の中にあり、上手く小説の世界に入り込めない。
原因は理解している。
「おはよう!」
聞き慣れた、明朗とした挨拶が飛んできた。誰かは分かりきっている。
小説から目を離し、恐る恐ると挨拶の主であり、この胸のざわめき原因である、西園宇津莉へと視線を向ける。
そこにいた彼女は、穏やかな表情で微笑んでいた。
昨日の放課後に見た、あの冷たい笑みを浮かべた彼女の面影はない。
「おはよう」
なるべく自然に、平静を装うのに努めながら言った。
何を言われるか恐れていたが、杞憂というか自意識過剰だったらしく、彼女は何のアクションもなく友達の方へ向かった。
ほっ、と胸を撫で下ろした。
だが、この安堵も、昼休みを境に哀れに消え去った。