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憂鬱の始まり

「嫌いな物は?」と聞かれれば、思い浮かぶ物は山ほどある。

 虫、金木犀、冬、モスグリーン。

 そして、中でも一番と聞かれれば断言する。

 自分だ。この世の何よりも大嫌いだ。

 次に人間、その次は生きる事。


 夏の始まりを予感させる6月の始め。 

 朝のクラスは賑やかだ。

 高校生活が始まって2ヶ月、クラスの中にはもういくつものグループが生まれていた。

 皆に皆、居場所がある。 

 僕にはそんな物はない。今座ってる椅子と机、これが僕の唯一の安息地だろう。

 談笑する相手もいないので、ホームルームが始まるまでこの前買ったばかりの小説を黙々と読んでいた。

 

「おはよう、夕人ゆうと君」

 

 朗らかで透き通ったがした。声の方を振り向くと、淡い桜色の長髪を後ろで束ねた少女がいた。

 その双眸は大きく艶やかな水色で、見る者を引き付ける。

 彼女の名前は西園宇津莉にしぞのうつり

 そして、夕人とは僕の名前だ。苗字は最上もがみ


「おはよう」


 平坦な口調で挨拶を返す。


「何読んでるの?」


「……小説。推理の」


「へー。何てタイトル」


 彼女が友達に呼びかけられて、話はここで終わった。

 誰にでも分け隔て無く接する優しさ、整った顔立ち、それに加え成績優秀。

 才色兼備の手本のような少女だ。

 その人気は学年に止まらず、学校中にまで広がっている。

 入学当初から席が隣であり僕もよく話しをするが、その人の良さには脱帽する。

 けれど、それを快くも思えない。

 親切にされるとどこか胸が痛む。歪んだ習性だと思う。それでも、人の優しさにはどうしても慣れない。


 ホームルームが終わり、授業に入る。

 不得意な物理と教師が好きになれない世界史があったのを除けば、平穏無事、否、無味乾燥とした日常だった。

 このまま、何事もなく今日が終わる。そう思っていた。


 

 帰りの前の掃除中、床掃きをしていると、傍にいた女子二人の会話が耳に入ってきた。

 

「合唱祭ももう間近じゃん」


「だねー」


 目前まで迫った合唱祭の話だった。      


「うちのクラスのクオリティじゃ、賞は無理だね」


「みんなやる気ないしね」


「あーあ、月沢つきさわちゃんがいればもう少し良くなったのに」


 月沢は入学から一ヶ月程で不登校になった女子だ。

 一度も会話を交わした事はなく、彼女については何も知らない。

 だが、入学当初、初めて見た時の独特で、気高い雰囲気は今でも印象に残っている。


「何で月沢さん?」


「同じ中学だったんだけど、もう歌もピアノもすっごい上手いの」


「そうなんだ」


 初耳だった。


「そういえば合唱部だったけ、月沢さん」


「そうそう。 まぁ顔も出さなくなったけど」


「何で来なくなったんだろ、学校も部活も」


「それがさぁ……」


 月沢と同じ中学の方の女子が、気まずそうに一瞬口を噤む。

 

「いじめられたって……」


「マジで?」


「噂だよ噂!! 合唱部の先輩に目付けられたとか何とか」


「それ絶対嫉妬でしょ」


「だから噂だって!」


 床掃きも終え、箒を片付けるためその場を去った。

 何故だか月沢の話が頭の片隅に残り、離れなかった。


 

 帰りのホームルームを終え、足早く教室を出たが、帰りの途中で小説を忘れたのに気付き、取りに戻ってきた。

 明日も学校はあるのだから無理に戻る必要も無いが、どうしても続きが気になり、今こうして億劫な気分になりながら教室までの廊下を進んでいる。

 教室の前まで着く。中から人の気配はしない。

 恐らくは誰もいないと思い、ドアを開く。

 放課後の教室が、眼前に広がる。

 窓ガラスの向こうから、夕日の優しいオレンジが教室内を満たし、規則的に並べられた机と椅子に影を落とす。

 思ったとおり残っている生徒の姿はない。

 自分の机の中を確認すると、案の定、件の小説はあった。

 カバンに入れ帰ろうとしたその時、窓際のある席に目が止まった。

 そこは、月沢の席だ。

 掃除の時に聞いた会話が、脳内で再び呼び起こされる。

 本当にいじめがあったかも判らない。

 だが、もし月沢に秀でた歌の才能があって、それが引き鉄に理不尽な目に遭ったのだとしたら、そう思うと、胸の奥深くに、罪悪感に似た痛みを覚える。

 人に認められる才能を持った人間が虐げられ、誰にも必要とされていない僕が、今日を無駄に生きる。

 

 不条理だ。許されるべきじゃない。

 

 胸の痛みと並行して、意思とは関係なく、今日一日の過程がフラッシュバックした。

 ただ席に着いて、授業を聞き、放課後を待つ。

 鮮やかでもない。雑草のように静かにそこに存在するだけ。

 それだけだ。絶望するような逆境にも立たされてない。恵まれてるとすら思う。

 それなのに、何故こう思ってしまうのだろうか。何も辛い事もないのに、否、何もないからこそ……

 だから

 

 


「死にたい」

  



 無意識に呟いてしまった。

 一瞬焦ったが、どうせ誰もいない教室の中だ、と安堵した瞬間、


「え」


 心臓が強く脈打った。

 それは聞き覚えのある声だった。咄嗟に、声の主の方へ視線を向ける。 

 そこには、西園宇津莉が立っていた。 

 

(やばい……。聞かれたか)

  

 重たい沈黙が場に降る。 

 頭を激しく回転させ、言い訳を必死に紡ごうとする。それでも、この場を凌げるような言葉が出てこない。

 そうしてる間に、彼女が口を開いた。 


「死ねないくせに」

 

 それはいつもとは違う鋭い声色、そして、不適な、全てを嘲るような笑みを浮かべていた。

 これが西園 宇津莉との関係の始まりであり、僕の憂鬱な青春の始まりだ。

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