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知らない世界の歩き方  作者: ハンスシュミット
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第05話 惣一郎の場合

吹き抜けるような春空に無数の紙吹雪が舞う。それは散り敗れた願いが可視化された光景だった。俺の手に握られた馬券も、そして俺自身も、ひらひら舞うあの紙たちと同様、無価値な存在となってしまった。


ここは競馬場。本日の最終レースに俺は闇金から借りたタネ銭を全てつぎ込み勝負に出た。しかし、結果は惨敗。リスク分散も考慮し、本命馬を基軸にした三連複で手堅く賭けたというのに、当の大本命の馬が落馬してしまってはどうしようもない。賭けた馬券は全て紙くずになった。


どうすればいいんだよ。大レースの興奮が冷めた観客たちが次々と掃ける競馬場で、俺はひとり頭を抱えてうずくまっていた。


真っ当な金貸しから借りれなくなった俺がなんとか融通してもらった最後の金だったのに。残念負けました、で済む金ではないのだ。やつらが取り立てに来る、金ではなく俺自身を…。


「そ~いちろ~ちゃ~ん」


まさに俺が想像していた展開が、いきなりやってきた。猫撫で声とともに、スキンシップと言うには些か強引に俺の肩を抱いてくる男がいた。


「き、奇遇ですね。後藤さんもさっきのレース賭けてたんですか」


俺は努めて平静に、有り金全てをスッたことを気取られないように、アロハシャツを着たその男、後藤に話を振る。見た目はやんちゃな中年だがこの男は広域暴力団に属する組の若頭、そのうえ自分の組も持っている力のあるヤクザだ。


「いやぁレースには賭けてないよ。俺が賭けたのは惣一郎ちゃんがここに来るってことに対してだよ」


後藤は真っ当な人間(金を借りようとする人間が真っ当かどうかはさておいて)には金を貸さない。俺のように借金で首が回らなくなったやつ専門の金貸しだ。


そもそも、まともに金を返せない人間にさらに金を貸そうとするなど普通はありえない。担保すら取れないんだから。でも、こいつらはそんな素寒貧にだって金を貸す。理由は簡単、金を回収する手段に長けているからだ。それも、非合法な手段に。


「それ、ハズレ馬券。ちょっと見せてよ」


そう言って、後藤は俺の了承も得ずに手の中の馬券をひったくる。後藤は、俺の理論を尽くした博打結果を流し見た後「こりゃ負けるわけだ」


と言って投げ捨てた。東風に乗り、俺の成果物は塵のように吹き飛ぶ。


「典型的なギャンブルしちゃいけない人間の賭け方してるよ。博打なんて酔狂してるくせに手堅く勝とうとする。


 だから勝っても儲けが薄いし、今回みたいにアテが外れりゃ大損する。惣一郎ちゃんが借金まみれになるのは当然ってやつだね」


ふざけるな。まともに大学も行ったこともない低能のくせに分かった風な口を利くな!


そう言ってやりたかったが、恐怖と絶望に委縮した俺の口からは威勢のいい音は放たれず、ひゅーひゅーと意味のない音が漏れる。


「なんだか惣一郎ちゃん元気ないね。あ、もしかして金の取り立ての心配してるんじゃない」


後藤が子供のような無邪気さで言う。


「俺ってさ、君みたいなどん詰まりの人間を処理するの得意でさ。あの手この手でお金に換えてあげるんだよ。


 この前なんてスナッフフィルムの監督さんに『俳優』を紹介してあげたら大いに気に入っちゃってね。出演作をプレゼントしてもらったよ。今度見に来る? 断末魔の悲鳴が上手いのなんのって」


そう言って本当に楽しそうに笑い出した。悪魔だ。同じ人間とは思えない。


「か、勘弁してください」


「ん、なんだって」


「お、お願いします。次は絶対勝ちますから、もう一度だけチャンスください。お願いします!」


俺はそう言って後藤の前で土下座をした。場内にはまだ観客たちがちらほら残っていたが、そんなことを気にする余裕はない。命が助かるなら、土下座だってなんだってやる。


「惣一郎ちゃん、よしなよ」


地面に額を擦り付けているから顔はうかがえないが、後藤は明らかに怯んでいる様子だった。土下座に効果ありと判断した俺は、さらに憐憫を誘う声音を使い、後藤の同情心を煽ろうとする。


「い、いえ。お許しを貰うまでやめません。どうか、俺を信じてください、お願いします」


「惣一郎ちゃん」


後藤が、優しく俺の肩を叩く。許してもらえる、そう思って俺は後藤の顔を仰ぎ見た。しかし、そこに待っていた表情は憐憫ではなく呆れだった。


「そんなことしたって、お金にならないよ。もし惣一郎ちゃんが土下座するだけでお金を稼げるんなら、それで借金を返せばいいし、なんなら趣味の博打だって好きなだけやればいい。


 でもね、惣一郎ちゃんの土下座には、いや惣一郎ちゃん自身には何の価値もないんだよ。あそこに散らばってるハズレ馬券と一緒」


まるで取るに足らないと言うように、風がちっぽけな存在を巻き上げ、散り散りにする。


「さ、わかったら立ちなよ。そんな真似したって時間の無駄だよ」


「で、ですが」


「それに惣一郎ちゃんは何か勘違いしているよ。俺は借金の取り立てに来たわけじゃない。そもそも、俺と君にはもう貸借関係なんてないんだから」


「そ、それはどういうことですか」


「世の中には奇特な奴がいるんだよ。君のような無価値な人間の借金を肩代わりしてくれるような人が」


「へ」


「その人が君の借を全て払ってくれたから君は自由の身さ。とはいえ、その人が君に会いたがっているようなんでね、アフターサービスってことで俺が迎えに来たの」


なんだか話の展開が見えないぞ。俺は、要領を得ないという顔つきをしながらぼぉっと頷くだけだった。


「借金返済してくれたお礼くらい、言いに行ってもいいんじゃない」


促されるように、というよりは半ば強制的に、俺は後藤に連れていかれた。



□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■



「その、俺の借金を肩代わりしてくれた人ってどんな人なんですか」


ヤクザ特有の黒ベンツの中、助手席に踏ん反り返っている後藤に、俺は尋ねた。とても広い車内だというのに、強面で屈強な組員に挟まれる形で後部座席に押し込められた俺は、窮屈な思いをしていた。


「年齢は三十代ぐらいかな。面は優男って感じだけど、どうも油断のならない身のこなしをする。同業者じゃないと思うけど、まるっきりカタギでもなさそうだね」


暮れなずむ道路、窓の外を高速で通り過ぎていく街灯をぼんやりと眺めながら後藤は言った。


「な、なんだか怪しくないですか。そんな男の金を後藤さんは素直に受け取ったんですか」


ははは、後藤は笑う。それにつられて俺の横の男たち、そして運転手までも合いの手のように笑い声をあげる。


「怪しい商売をしている俺にそういうこと言っちゃうんだ。惣一郎ちゃんってやっぱり抜けてるよね」


そう言ってさらに大声で笑う。わはは、周りの組員も合わせて笑う。へへへ、と俺も情けなく笑ってた。


「背景の分からないゴロツキ共の相手なんて日常茶飯事だよ。いちいち相手の事なんて気にしてられないって。


 それに、俺は人間は信用しないが金は信用している」


「お、俺はどうなるんですか」


「俺がそんなことまで気にすると思うかな。知りたきゃ自分で聞きなよ」


気付くと、外はすっかり暗くなっていた。街灯の数がまばらになり、人気の少ない場所へ向かっていることを悟る。喉に引っ掛かる唾が上手く呑み込めない。


しばらくして車は郊外の廃ビルの前に停まった。解体工事の準備中なのか、ビルの前には簡素なバリケードが設置され、その内側には解体作業用の重機が準備されていた。


危ないですので立ち入らないでください、そう書かれた看板を危ない連中が気にも留めず通り過ぎる。看板に言われなくたって、俺だってできれば立ち入りたくないよ。


そのまま誰も言葉を発することなく、階段を4階ほど登った。すると、奥のフロアに人工的な白い光が見えた。


「お待たせでーす」


そこには片づけられずに放置された机と二つの椅子があった。片方の椅子には既に男が座っており、後藤はその男に挨拶をした。


男はにこやかに会釈した。後藤の話の通り、年齢は30歳頃、優しそうな顔立ちの青年だった。


「わざわざお手数おかけします後藤さん」男は柔らかくそう言った。


「では、我々はこれでお暇しますね」


そう言って、後藤たちはすぐに引き上げる。後に残るのは俺と得体のしれない優男、そして優男のボディーガードなのか、屈強な男が数人だった。


「こうして直に会うのは初めてだね」


手持無沙汰でオドオドしている俺に、男が話しかけてきた。とても優しい声音だった。しかし、それが却って怖かった。


こんな非常識な場面だというのに、まるでこちらの警戒を解そうとする甘言に、本能的な危機感を覚えた。


「直にってことは、何らかの形で俺とアンタは会ってるってことなのか」


男はにっこりと笑う。そして、彼は名前を告げた。その名前には覚えがあった。


「じゃ、じゃあアンタが『Haec Incarnatus』の管理人の…」


言われてみれば、チャット越しに接した管理人の物腰と目の前にいる男の印象は似ていた。


「最近ログインしてなかったから心配してたんだ」


金の取り立てから逃げるために、しばらく家には帰っていなかった。余所からチャットルームにログインする気にもなれなかったし。


「で、でも。アンタがあのチャットルームの管理人だってことは分かったが、たかがチャット仲間の為にどうして借金を肩代わりしてくれたんだ」


「ふふ、気になるよねぇ。じゃあ本題に移ろうか」


男は懐から紙の束を取り出した。もしや馬券か、と身構えてしまったが、どうやらそれはゲーム用のカードだった。剣とか盾のマークが描かれたカードだ。


「今から、僕の提案するカードゲームで勝負しよう。もし君が勝てば晴れて自由の身。肩代わりした借金の催促はしないよ。ただし、君が負けた場合…」


そう言って、またもや懐からなにかを取り出した。銀色の液体が詰まった、瓶だった。


「僕の会社が作った新薬だよ。これの治験をしてもらう」


「も、もしその申し出を拒否したら?」


男はにこやかな態度を崩さなかった。しかし、示し合わせたように男のボディーガード達が俺の退路を無言のまま封鎖する。


「せっかくのゲームだし、楽しくやろうよ」


俺は従うしかなかった。


男は自らが考案したゲーム、『"正々堂々(フェア)"』についての簡単なルール説明を行った。


ルール自体はわりとシンプルだった。ようは自分の柄のカードを集め、相手より合計の数が多ければいいんだろう。


俺は、話を聞く限りこのゲームがただの運任せのゲームではないことを見抜いた。論理的、頭脳的な試合運びをする者が有利になりやすいルールだと。ならば、理詰めでギャンブルをする俺には向いているゲームと言えよう。


そして静かにゲームが開始された。決着方法は互いにゲーム開始時に渡された30枚のチップ、それを全て奪い取ったほうの勝ちというルールだ。


1戦目、勝負内容は割愛するが俺が勝った。さんざ怯えていた割には、蓋を開ければなんともあっけない勝利で拍子抜けしたほどだ。


2戦目、3戦目も順当に勝った。気付けば俺のチップは男のチップの倍以上になっていた。


初めての賭け事で3連続の勝利。自身の理詰めのギャンブルが肯定された気分だった。今まで、これほどの達成感を味わったことがあっただろうか。


「いやぁ、強いね」


男が苦笑いをしつつそう言った。俺の借金を苦もなく返済できるほど世の中で成功した男が、俺に手も足も出ない。なんとも痛快だった。


「これでもギャンブルには慣れてるんでね」


などと調子づいたことを吐いてしまう。


「君は『異世界へ行こう』って小説サイトを見たことがあるかな」


「『異世界へ行こう』?」


そう言えばチャットでアキヒロたちが話題にしていた気がする。なんでも異世界をテーマにしたガキ向けの素人小説が閲覧できるサイトだとか。そういう娯楽にはとんと興味が湧かなかった俺は見てはいなかった。


「ないな。それがどうしたんだよ」


「う~ん、それじゃちょっと都合よくないなぁ」


男は本当に困ったような素振りをする。よく分からないが、俺が素人小説を読まなければどう都合がよくないのか。


「実は、些か失礼だとは思ったけど君の経歴を調べさせてもらった」


まるで世間話のようなトーンで、男がそう切り出した。


「高校、大学となかなか学歴の高い学校を出ていたようだね。勢いそのまま大手の貿易会社に新卒採用された、までは良かったんだけどね」


その経歴に間違いはなかった。俺がまだ成功者だったころの時代。


「上司に教えられた競馬が破滅へのきっかけだったね。君は論理的に思考することがとても得意だし、なにより好きなんだ。そして競馬をただのギャンブルとしてではなく頭脳的な娯楽として解釈してしまった。どっぷりハマったみたいだね。


 おまけに負けが込んできたからといって会社の金を横領、解雇され無職同然になった後も胡乱な輩から金を借りてはドブに捨てるように負け続ける毎日。強欲になりきれずに賭け事をし、結果として自身を無価値な存在に貶めてしまった」


「ふ、ふざけんなっ」


俺は激昂し、拳を机に叩きつけた。どいつもこいつも、ギャンブルを運任せのくじ引きのように言いやがって。競馬には理論がある、データの蓄積がある。それでもなお負けるのは…ちょっとツキが悪いだけなんだ!


「ギャンブルは運が全てじゃない。それが証拠に、このゲームは俺が勝ってるんだぞ」


そう言って、積まれたチップを差す。お互いのチップが作る塔の高さは、明らかに俺の方が高かった。


くくくっ、男が小さく笑う。


「ギャンブルに理論などという無粋を連れ込むなど、運の女神の反感を買うだけだぜ」


「は、はぁ?」


男の口調が、それまでの友好的なものからキザったらしいものに突如変貌した。


「さぁゲームの再開と行こう。運の女神は待たされるのを嫌うからな」


男の急激な変化に戸惑いつつも、ゲームを再開した。が。


「ま、負け?」


今度は俺が負けた。


「ギャンブルを司る運気の女神は気紛れさ。アンタのように理論だなんだと退屈なことを言うやつの傍には、長くはいないよ」


「こ、こんなのはマグレだ。たまたま運が悪かっただけだ」


「ふ、運の女神の囁きに無頓着な人間は、勝利に見放されるぜ」


それからというもの、俺は負けに負けた。あれだけ高く積み上げていたチップは風に飛ばされてしまったのか、ほとんど俺の元には残ってなかった。


「な、なぜだ」


あの男が奇妙な口調になってから一度も勝てなかった。ギャンブルしてるときにああいう喋り方をすると勝てるようになるのか。まさか、非論理的だ。


「あんたもどうしようもなく要領の悪い男だな。運の女神ってのは猛々しい強欲な男に惚れるものさ。アンタの線の細い欲じゃ、女神は微笑まない」


「さっきから女神だとか運だとか、そんなもんでギャンブルに勝てるわけないだろう。きっとたまたまだ。たまたまお前の運がちょっとついてるだけなんだ」


そしていよいよ崖っぷちのゲームが始まる。これに負ければ、俺はあの怪しげな薬を飲まないといけない。飲んだらどうなる、良くないことになるのは明白だ。


カードを捨てる手が震える。手元に引き込んだカードたちが本当に価値のあるものなのかどうか判別がつかない。コイツらも、外れた馬券と同じでまるで無価値なもののように見えてくる。


そしてカード開示された。結果は、俺の負けだった。


「た、助けてくれ。頼む、ねぇお願いだ」


屈強な男たちに羽交い絞めにされながら、俺は無様に懇願した。競馬場で後藤にしたときと同じように、憐憫を誘うように。それが何の価値も生み出さない行為だと後藤に論破された後だというのに、俺は縋った。


俺のひっ迫とはまるで無縁に男は朗らかに笑っていた。


「君は元々優秀な人間だった。しかし、己の業によってその価値をゼロにしてしまった。その罪に対して、君は贖罪をしなければならない」


「しょ、贖罪って。謝ればいいのか。だったら何度でも謝る。ごめんなさい、ごめんなさい!」


「君にとって、この世界は執着するほど素晴らしい世界なのかい」


「え」


「この薬はね、なりたい自分になることが出来る薬なんだ。希望のない世界を諦めることによってね」


「なりたい、自分。希望のない、世界」


たしかにそうだ。俺には論理的に物事を考える知能があるのに、悉くギャンブルで負けとおした。それはこの世界に希望がないからじゃないか。俺にとって生きづらい世界に、なぜ執着せねばならないんだ。


なりたい自分、その理想像ならある。この男だ。この男の理論を越えた超常的な力を俺も手に入れることができれば。そうすれば俺はギャンブルで負けなしになれる。俺はもっと強欲になるべきだったんだ!


拘束された俺の口に、銀の薬が流し込まれる。冷たい感触が一気に体中を駆けまわり、自分の意識がどこか遠くへ飛んでいくのがわかった。



□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■



「俺は盾の10だぜ」


「へへ、悪いな。俺は剣の12だ。また俺の勝ちだ」


メデアという町の場末にある酒場、飲んだくれ共がちゃちな小銭を賭けて博打を楽しんでいるのを横目で見ながら、俺は吐瀉物で汚れたテーブルを拭いていた。


男と廃ビルで会い、むりやり銀の薬を飲まされてから10年ほど経った。俺は、あの薬によって死んでしまったようだ。


じゃあここは天国か、はたまた地獄かというとそうではない。あの世界とは異なるが、同じくらいつまらない世界だった。


とはいえ前の世界に比べると色々違う。中世ヨーロッパを彷彿とさせる文化圏、そしてモンスターだ魔法(この世界では魔術って言うらしい)だというファンタジックな単語が平気で飛び交う御伽話のような世界、それが俺の生まれ変わった場所だ。


俺はしがない町民の息子として生まれ、今は酒場の雑用をして駄賃を稼いでいる。だが今に見ていろ、金を貯めてなにか商売を始めれば、すぐにでも大金持ちになるさ。生前は貿易会社に勤めていたから商才や経済には覚えがある。


「おい、ソーイチロー。酒持ってこいや」


博打で負け越している男が、乱暴に俺に命令する。生前、ベンツの中で俺に窮屈な思いをさせたヤクザの組員のように屈強な男だった。


心の中で舌打ちしつつ、俺は愛想よく酒を注いで運んだ。


こんな単細胞どもに使い走りされるなんて虫唾が走るが、今は我慢してやる。金を貯め商売を始めたら、その時は俺がお前らをこき使ってやる。そう心の中で唱えつつ、顔は従順そうにしていた。


「くそっ、また負けた」


男がカードを机に叩きつける。そのカードの柄には見覚えがあった。廃ビルであの男と勝負していた『"正々堂々(フェア)"』のカードだ。なぜこの世界にあの男が考案したカードゲームがあるんだ。


「ソーイチロー、お前『"正々堂々(フェア)"』に興味あんのか」


俺が興味深げにカードを見ているのを、博打に負けた男が目敏く見つける。その目は世間話のネタを掴んだって目じゃない。カモにしてやろうって魂胆の目だった。


「いや、俺は」


「お前もいっぱしの男なら賭け事くらいやらねぇでどうする。よし、俺がいっちょ相手になってやる。マスター!」


酒場の店主を大声で呼びつける。店主は興味もなさそうにグラスを磨いている最中だった。


「お前んとこのボーイがギャンブルするってよ。コイツの負け分はきっちり給料から引いといてくれよ」


「そんな。俺はやるなんて言ってないですよ」


「やるんだよ、男だろ。それとも、別の方法で一人前の男にしてやろうか」


そう言って男は両の拳を握り、わざと大きな音を立てて骨を鳴らす。


後藤もそうだったが、どうして低能どもはこうやって暴力を背景に交渉を進めようとするのか。野蛮なサルめ。


結局、なし崩し的に『"正々堂々(フェア)"』勝負が始まってしまった。俺の目の前に、見覚えのあるカードが配られる。


「ルール説明はなしだ。やりながら憶えな」


根性曲がりめ、ゲーム名みたいに正々堂々勝負することもできないのか。


心の中で粋がってみたものの、それは勝負の結果にはまるで結びつかなかった。連戦連敗、俺の負け分は既に俺が必死こいて貯めた貯蓄分をかなり上回っていた。


せっかく生まれ変わったというのに、俺の人生はまたしても借金まみれになってしまうのか。


博打に負けて激昂していた男が、へらへらほくそ笑む。俺は、それがどうしても許せなかった。そんな時、あの男の言葉が脳裏に浮かび上がった。


なりたい自分になれる。希望のない世界を諦める。


そうだ、俺はあの薬を飲んでギャンブルもまともに勝てないつまらない世界を諦めたんだ。だったら、俺はこの世界で勝てるはずだ。あの男のように。


「ふっ、アンタの戦い方は美しくない。勝負の女神ってのはギャンブルの矜持を持つ者にこそ微笑むものなのさ」


俺は、あの男の口調を真似てみた。これが縁担ぎ以上の意味を持っていないことは俺が一番よく知っている。というか自分でも言ってる言葉の意味は理解していない。けど、やるんだ。なりたい自分のふりをするんだ。


「負けすぎて頭がおかしくなったのか」


「運命の女神は面食いさ。サル顔の似非人間など相手にしないだろうな」


「なんだとこのガキ!」


男が凄む。こ、怖い。でも動揺を見せるな。伊達男を貫け。


「博打の場において威勢のいい鳴き声はいらないよ。語るのはカードで十分さ」


「大負けしているくせにエラソーな口を叩くな。だったら身売りするしかなくなるまでボロ負けさせてやる」


そうして再開した勝負に、俺はあっさりと勝った。


「へ?」


男は間抜けな面でそう言った。俺も、心の中では同じ感想だった。あまりにもあっけなく、そして簡単に勝ってしまったのだ。あの男のふりをしただけだというのに。


「ど、どうせマグレだ。ほら次」


勝った。勝った。勝った。また勝った。連戦連勝、さきほどの負け分は全て帳消しになり、かわりに俺の貯蓄は倍数倍に膨らむこととなった。


「あ、ははは。坊主、遊びはこれくらいにしておいてやるよ。今日はもう帰るぜ」


男が、何事もなかったかのように席を立とうとした。無論、そんなことは許されない。俺は厳しく追及する。


「待ちなよ。博打の約束を違えるのは男がやっちゃいけないことだぜ。これ以上勝負の女神の顰蹙を買いたくなけりゃ、大人しく金を払いな」


「まさか本気にしてたのか。こんなボロい酒場でやり取りするような金じゃねぇよ。ほら、もうたくさん遊んだんだから仕事に戻りな」


「お客さん、うちの坊主のいう通りだ。ギャンブルを冗談でしたで済ませられると思ってるのかい」


言葉を発したのは店主だった。彼は丹念に磨いていたコップを置き、なにやら銃に似た魔術アイテムを取り出し、それを男に向けていた。


「マ、マスター…」


「ここはカーマリオファミリーが仕切っている酒場だ。博打の不正を見過ごせると思ってるのか」


カーマリオファミリー、がどういうものなのかその時の俺は知らなかったが、その殺し文句は男に効果覿面だったようだ。蒼白な顔をしつつ、男は土下座を始めた。


「す、すいません。今手持ちがないんです。このお金は人攫ってでも工面しますから、今は見逃してくだせぇ」


あれだけ威勢のよかった男が泣きながら土下座する姿はなんとも滑稽で痛快だった。後藤は土下座に価値はないといったが、こんな面白い見世物なら銅貨1枚くらいは恵んでやってもいいと思えた。


この時、俺は二度目の人生の目標を決めた。廃ビルで遭遇したあの男、『Haec Incarnatus』の管理人のような男になろうと。そして成功し、成功し、コイツのような力を誇示するしか能のない馬鹿どもに土下座をさせてやるんだ。

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