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知らない世界の歩き方  作者: ハンスシュミット
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第03話 雅史の場合

椅子取りゲームを知ってるだろうか。小学校の時にレクリエーションでやったあれのことだ。少ない椅子を大人数で奪い合う、ゲーム性の乏しい幼稚な遊びだ。俺は、あのゲームが大嫌いだった。


子供のころから体が貧相で運動神経の鈍かった俺は、図体だけ立派で脳みそ空っぽの同級生たちに揉みくちゃにされて、いつも椅子を取ることができなかった。所詮、こんな低能な遊びは小学生までだと嫌々ながらに付き合っていたが、それは大きな勘違いだと最近気づいた。この世は椅子取りゲームなのだ。ただ、ルールと様式が変わるだけで。


そして、今俺がやっている椅子取りゲームはこれだ。この左手に握った紙切れに書いてある番号が、掲示板に貼り出された番号と一致したら椅子をゲットできるゲームだ。暦の上では春とはいえ、未だダウンジャケットが手放せない寒空の下、紙きれを握る俺の手は汗ばんでいた。


266…269…270……275。あ、ない。


日本で知らない人間はいないほど有名な某大学の校門を、俺は絶望を背負いながら潜る。今年も、椅子に座ることが出来なかった。帰路の途中、俺とは違い椅子を勝ち取ったやつらが思い思いに喜んでいるのを見ると、言い知れぬ黒い感情が心の底から零れてくる。なぜああやって喜んでいるのが自分じゃないのか。


電車に揺られ、今後の事を考える。不合格の報告を親へ…はいいか。二度目の受験失敗で見限られ、家を追い出された身だ。彼らにとって、俺はもう死んだも同然の身であり、今更不合格を伝えたところで何にもならない。


予備校への報告も…気が進まない。今頃はきっと合格者たちが一年の浪人生活を振り返りつつ、人生の勝利を喜んでいる頃だろう。四浪が確定したこんなオッサンが行ったところで、空気を悪くするだけだ。そもそも、浪人などという等しく負け組の中でさえ先輩風を吹かす俺は、彼らへの心証があまりよろしくない。行けば冷笑を浴びるだけだ。


そんな事をボーっと考えていると、気付けば停車駅をすっかり乗り過ごしていた。まぁいいか。余裕があるわけでもないのに、本来あるべき自尊心や未来への希望が欠落した心は、なぜだかその空白に余裕があると誤認する。どうせ乗っていればまた同じ駅に着く。俺の受験勉強と一緒で延々と同じところを回り続けるんだから。電車も俺も見えないゴールを目指して必死に同じところを走り続ける。


いくら環状しているとはいえ、さすがに乗り過ごしすぎた。午前中に家を出たというのに、帰宅する頃には夕焼けの残滓が西空に留まっている時間となっていた。築うん十年の朽ちかけの階段を上り、部屋に到着。着衣のまま万年床にダイブする。


携帯を確認すると、着信履歴が何件も残っていた。そうか、そういえば午後からバイトのシフトが入っていたんだ。合格したらいの一番にバイト連中に自慢するつもりだったのに計画がパアだ。バイトの連中は嫌なやつらばかりだった。脳みそではなく筋肉で物事を考えるような単細胞どもが、何を根拠にしているのか知らんが俺を馬鹿にする。あいつらに学歴の威光を知らしめたかったのに。考えると、涙が溢れてくる。


この世の中、俺より努力していない人間はごまんといるし、頭が悪い人間はそれ以上に多い。しかし、俺より優秀な人間もかなりの数いるせいで、俺は自分の有能さをひけらかすことも誇示することもできない。この世の人間が俺より劣った人間ばかりならいいのに。そう願わずにはいられなかった。俺は、俺以外の皆が弱くなれば椅子取りゲームで勝てるはずだと思っていた。


居たたまれなくなって俺は体を起こす。机に置いてあるパソコンを起動し、いつもの手順でサイトを開く。


受験勉強とバイトに忙殺される俺を癒してくれる憩いの場が二つほどあった。それは、グループチャットとネット小説だ。


ある日、まるで導かれるように入室したチャットルーム、そこで俺は彼らと運命的な出会いを遂げた。『Haec Incarnatus』と名付けられたチャットルームには、広い世界を感じさせる優秀な人たちが集っていた。新進気鋭のIT会社社長やジュニアユースのサッカー選手など眩しくなるような経歴の面々である。


かくいう俺も、そのチャットルームの中では相応の肩書を使っている。だって、親に勘当された浪人生だなんて言えるわけがないだろう。だから俺は、某有名国立大学生を名乗っている。俺を蹴落とした連中の名を騙るのは嫉妬心で気が狂いそうだったが。


このチャットルームでは日々多種多様な話題が取り沙汰されている。政治、経済はもちろん芸能や下世話な噂話まで枚挙に暇がない。昨今の教育体制が議題となった時は、口角泡を飛ばす勢いで議論してしまった。今日は、異世界転生について話し合っていた。最近、そのネタを用いた小説が非常に注目されている。流行に敏な俺たちも、話題にせずにはいられなかった。


チャットルームの主が、「異世界転生したらどうなりたい?」と話題を振ったので、みな思い思いに語っていた。


「俺は文明の未発達な異世界に行って、自分の知識で開拓したいぜ」


「デュフフ、某はキャワイイ女の子侍らせて、剣に魔法に大活躍する勇者になりたいでふ」


俺の書き込みの後にアキヒロがキモいコメントを書いてきた。こいつ、ぜってーIT会社社長じゃなくて引きこもりのニートだろうな。とは思っていたが、この場の空気を壊しかねないのでいつも黙っている。


異世界転生してなりたい姿、それについて俺は具体的なイメージを持っていた。それは、もう一つハマっているネット小説に関係している。


ネット上に小説を投稿したり閲覧したりできるサイト『異世界へ行こう』という小説サイトに掲載されている小説、タイトルは『現代知識を使って未開世界無双』という。


その小説の主人公は、まるで俺を生き写ししたかのような境遇と性格だった。そんな主人公がある日交通事故に遭い、異世界に転生するという話。しかも、転生した世界は文明が未発達で、現代の知識があればそれだけで国王になれるほどの幼稚な世界だった。そんなレベルの低い世界で好き勝手やるストーリーに俺は強く惹かれた。


「『海水を熱して煮詰めた後濾過すれば、ほら万能調味料の塩が完成さ!』『す、すごい! 料理の味が引き締まり、体も元気になったぞ!』『このような奇跡の食材を作れるなんて、君のその素晴らしい知識を使い、我らの国を治めてくれないか』」


更新された『現代知識を使って未開世界無双』の最新話を読みながら、小説の中の主人公と自分を重ね合わせる。俺だって周りが俺より頭悪ければ、こんだけラクに生きてこられたのに。そんな事を考えていても、結局この世界での俺は椅子を取られる側だった。


不合格のショックから未だ立ち直れず、バイトもクビになり、いよいよ生活が立ち行かなくなった頃、俺に荷物が届いた。インターホンと呼ぶのも憚られる、壊れたドアベルが不快な音を立てたので玄関口まで出てみれば、そこには見慣れない小包が置いてあった。


小包の中身にまるで心当たりがない。通販で何かを頼んだ覚えもないし、もしや実家からの仕送りか?とも思ったが、まぁありえないだろう。しかし、小包の差出人を見てハッとした。『Haec Incarnatus』、そう書かれていた。


俺は慌てて小包を拾うと、ドアを閉めて万年床まで舞い戻った。俺は慌てた。『Haec Incarnatus』の誰が俺に荷物を送った? なぜ俺の住所がわかったんだ? それは、俺の醜い嫉妬から生まれた経歴がバレてしまった事を告げていた。


胃がキリキリ痛むのを耐えつつ、俺はとりあえず荷物の中身を確認した。


中には、ガラス製の小瓶に入った薬品?と手紙が入っていた。先に薬品の方を調べてみる。手のひらに収まるくらいの小さなガラスの小瓶に、銀色の液体が詰まっていた。銀色の液体は冷たく輝いていて、まるで抜き放たれた刀剣を思わせた。その不気味さに俺は戦慄く。大学受験で詰め込んだ化学の知識をフル動員したが、その薬が何かは見当もつかなかった。


次に、手紙を読み上げた。俺は、この荷物の送り主があのチャットルームの誰なのか、なぜこのようなものを送ってきたのかの理由が書いてあると期待していた。しかし、俺の予想に反してその手紙は簡潔に以下の内容しか書かれていなかった。


"これを飲めば、あなたは自分が望むあなたに生まれ変わることができる。希望のない世界を諦めますか?"


この手紙が何を言いたいのか理解できない。これでは送り主の真意がまるで読み取れない。ただ…。


この手紙の言葉が、妙に自分の頭の中で響く。『望むあなたに生まれ変わることができる』、そのフレーズは俺を幻惑する。


俺が望む俺、それは『現代知識を使って未開世界無双』の主人公のようになること。俺より馬鹿なやつらを相手取り、自分の知識をひけらかし優越感に浸ること。


ガラス瓶の薬品に視線を落とす。銀色の液体が、なぜか俺には椅子の脚に見えた。やっと俺の前に現れた空いている椅子。ここで手放したらまた他の奴に奪われ、俺は座れなくなってしまう。


希望のない世界を諦めますか? そうだ、この世界に俺の座れる椅子はない。だったら。


「希望のない世界を…俺は…」


頭の中にいろいろな情景が思い浮かぶ。小学生の頃の椅子取りゲームで負けている自分、高校受験まで順風満帆で親の寵愛を一身に受けていた自分、二度目の大学受験に失敗し勘当された自分、予備校で馬鹿にされバイトでも馬鹿にされる惨めな自分。誰も、俺より先を行くんじゃねえよ。


左手に握られた小瓶が、冷ややかな感触を俺に返す。そして決心がついた。


「こんな世界、諦めてやるっ」そう言い、ガラス瓶の中の液体を一気に飲み干した。


途端に、俺の視界は布団の中に沈んだ。自分がうつ伏せに倒れたということに一瞬気付かなかった。急速に、自分の体から力が抜けるのを感じる。怖い、冷たい、もしかしてこれが死ぬって感覚? 死の恐怖に怯えるのも束の間、俺の意識は遠い遠いどこかへと連れていかれていくようだった。



□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■



結果だけを言うのなら、俺はあの薬を飲むことで自分の願いを叶えることができた。気が付いた俺は、自分があのツマラナイ現実とは異なる世界に生まれ変わったことを知った。その世界は科学が発達した前世とは比べ物にならないほど文明が未熟な世界だった。中世ヨーロッパ程度の文明だろう、よくファンタジー小説に出てくるあの世界観まんまだった。


文明の未発達な世界、加えて俺よりも頭の悪い人間しかいない。俺の転生前の願望は悉く叶った。この世界では、俺は惨めに椅子を取られる側ではなく、椅子を取る側になれる。素晴らしいじゃないか。ただ、確かに望んだ世界ではあるが、ちょっと違うんだよ。俺の想像してた世界とは。


「畑を耕すってどうやるのー?」


「わかんなーい」


子供の会話に聞こえるだろう。違うんだよ、今のはこの世界の大人の会話だ。そう、確かにこの世界の人間は俺より知能が低い。ただ、低すぎるんだ。


俺は小さな農村の子供としてこの世界に転生した。大人たちは農業で生計を立てていたみたいだが、あのボンクラ共を見ていると今まで生活できていたことが不思議でしょうがない。


農工具はあるのに、なぜかその使い方が分からない。整備された畑はあるのに収穫の仕方が分からない。まるで、卵というプロセスも踏まず鶏になったような奴らだ。


イライラしながら無能な大人たちを眺めていると、俺の目の前でバケツを持った村人がこけた。こけた拍子にバケツはひっくり返り、中に溜めていた水は盛大にぶちまけられた。


「ああー」


転んだ男が残念そうに嘆く。他の大人たちが寄ってくる。助け起こすのかと思ったら、なんと零れてできた水溜まりで泥遊びを始めた。


さすがにもう限界だ。これほどの無能共を放置するのは俺の良識に反する。今はまだ子供だからと口出しせずにいたがもう止めだ。俺は使えない大人たちの前に立ち、こう宣言した。


「馬鹿共、俺が知恵を授けてやる。ってそこ、泥遊びを止めろ!」


俺の啖呵を無視して泥遊びに興じる大人たちを叱咤し、自分に注目させる。


俺の傍でこけた大人、コイツは水田に水を溜めるためにバケツで川の水を運んでいた。だが、そんな非効率的な労働は低学歴のすることだ。


俺には前世で培った知識がある。農業に関して専門的な知識は持ち合わせてはいないが、それでも教養として知っていることもある。水田に水を引くためには水路を作ればいい事。そして水を行き渡らせるために揚水用の水車を作ればいいという事を。そうすれば、わざわざバケツに水を汲んで運ぶ必要はない。


俺はだらしない大人たちに代わって作業に取り掛かる。前世で得た知識(尤もテレビとかで聞きかじっただけだが)を駆使し、水路を引き、そして揚水水車を作った。


そう言えば。全然関係ないだろうがこの世界には水車に似たガラクタが水田の至る所に放置されていたな。おまけに変な紋様が描かれていたし。揚水の機能を有しているようには見えないし、おそらくてるてる坊主のような呪術的な意味の飾りだろう。


そんな物に頼って農作をしていたのかと思うと、本当に呆れる。文明が未発達な世界の人間は原始人と変わらないな。


こうして、多大な苦労と時間を要して水路と揚水水車は完成した。川の水を汲み上げ、田んぼに水が流れ込む様を見た時、村の大人たちはそれこそ奇跡を目撃したかのように騒いでいた。


とはいえ多大な犠牲を払ってしまった。基礎知識もなく村に引いた水路は適当で、気付けば川は荒れ、村の半分は水没した。水車作りも難航し、失敗するたびに材木を消費したせいで、いつしか村の周りの木々は全て伐採され、随分と見晴らしがよくなってしまった。


だが、そんなことは些細な問題だ。重要なことは俺のこの知識が異世界人の生活を豊かにしたということだ。


俺は、二度目の人生の指針をこの時決めた。俺は現代で培った豊富な知識を活用し、この未開の異世界をより豊かにすることを目標とした。鳥目な異世界人共に、知性の威光を見せつけてやるんだ。


この世界の俺は椅子を取る側ではない。無論、取られる側でもない。椅子取りゲームを支配する、先生の側の人間になる。


その後、無理に引いた水路のせいで川が氾濫し、村は川底に沈んでしまった。住処を失った俺は、知識の伝道者として旅に出た。そして、辿り着いた村でアイツに出会った。生意気そうな少女を連れた、頭の悪そうな冒険者センメツシャーに。

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