第13話 範栖の場合
「ひどい顔だな……」
鏡に映る男に向かって厭味ったらしく言ってみせる。僕の言葉に合わせて、壮年の男性が鏡の向こうでニヒルに口端を吊り上げていた。
数十年この顔で生き続けてきたが、ついぞ慣れなかった。朝、鏡に映る自分を見て、何度ギョッとしたことか。
異世界転生して三十年余り。
この世界は元勇者である僕に対してあまり関心がないようで、勇者と称えることもしなければ、壮大な偉業を期待することもなかった。それが、僕にはむしろ心地よかった。
騎士団長としての重責も、勇者としての義務もなく、僕はただ漫然と好きな小説や映画を見て人生を楽しんでいた。今まで勇者という生き方では味わうことがなかった自分本位の生き方を、僕は異なる世界で初めて味わうことが出来ない。
もっとも、この情報さえ見えなければ完璧だったんだけど。
「ステータスオープン」
そう唱えると、突如虚空にメッセージウィンドウが出現する。
ロールプレイングゲームでよく見る、あのステータスウィンドウだ。初めて出現したときは、それはもう驚いた。
この能力が何のためにあるのか、どうして僕に授けられたのかはよく分からなかった。もしかしたら、死ぬ間際に自分が何者であるのか知りたいと強く願ったことに起因するのかもしれない。
死に際の強い願望が、異世界転生することによって特異な能力として付与されるもの、と僕は勝手に結論付けた。
ステータスウィンドウには攻撃力とか防御力とか、まるで無意味な数値が羅列されている。それらの数値は、興味のないスポーツのスコアボードのように無味乾燥としている。
ただ、その無意味な情報の中に価値のある情報が一つだけ。『備考欄』と書かれた欄には、僕についてこう記されていた。
『範栖。元勇者ハンスにして、元勇者ヨハンにして、元勇者イワンにして……』と、僕も知らないプロフィールがウィンドウ狭しと並んでいた。
僕は勇者だった。ハンスとしての生を受ける前からずっと、ずっとずぅっと昔から。黒髪の、自分をドラゴンと名乗っていた少女の言ったとおりのことが書いてあった。
つまり僕は、あの世界では常に勇者として生まれ、そして勇者として魔王と相打ちになって死に続けていたことになる。
「う、えぇぇぇぇ……!」
過去を思い出しただけで、また吐き気が込み上げてきた。
ただ、悪いことばかりでもない。このステータスウィンドウは自分だけでなく他人のも見える。攻撃力とか防御力はどうでもいいが、備考欄には実に面白い情報が載っている。口に出すのも憚られる秘密を持った人間は存外多い。社会に影響力を持つ人間はなおさらその傾向が強い。そんな彼らを説得するのに、この異能は実に便利だった。
この能力のお陰で、僕はあるものを手に入れることが出来た。
悪心を必死に噛みしめながら、涙でぼやける視界にはっきりとした銀色が映りこむ。
それは、NASAで研究されていた反物質爆弾の原料。僕はこの薬のことを能力を有意義に行使する中で知り、こうしてくすねてきた。
研究者たちは核爆弾に変わる新たな大量破壊兵器の原料程度にしか受け止めていないようだけど、僕はこの薬の真の効力を知っている。なにせこの薬と同じもので殺され、こうしてこの世界にやってきたのだから。
この薬は、魂を別の世界へと転生させる薬だ。これを飲めば、僕はまたあの世界に還ることができる。
「どうして……、こんなことになったんだろうな……」
また吐き気がぶり返してきた。
「何故僕がこの薬を飲まねばならないんだ? この世界では、大好きな小説や映画を見て人生を楽しく浪費することが出来るのに、何故それを捨てて僕を摩耗させるだけの世界に還らなくちゃならないんだ!?」
昂った感情のまま叫ぶが、勿論誰も答えられる者はいない。僕の苦悩を知る者は、この世に誰一人としていない。
僕は、この世界が大好きだ。僕に期待せず、僕を楽しませてくれる娯楽に溢れたこの世界が。このままこの世界に骨を埋めたいと、どれほど切望しただろうか。
だが、それは出来ない。そんなことをしてはいけないんだ。
「運命……、いや運命の轍は、異世界転生したくらいじゃ乗り越えることはできないってことか」
最初のきっかけは、僕が子供の頃に起きた大地震だった。
早朝、不穏な空気を感じ取り目を覚ますと、ニュース番組はいつもと違って騒然としていた。都市部を襲った大規模な直下型地震。死者は数千人にも及んだ。未だに人々の記憶にまざまざと残り続けている、空前の大災害だった。
当時の僕は、そのニュースにさして関心を示さなかった。被災地から遠く離れ、親類や関係者も被災しなかった僕にとっては、救助を求める人々の中継を見ても、可哀そうだな、としか思わなかった。
あの地震が僕に関係していただなんて、その時は露ほども考えていなかったせいでもある。
それからしばらくして、僕は小学校の夏休みを利用して魔術の研究をしてみた。
勿論、クラスで発表するためのものではなく、あくまで趣味としてだ。提出用には当たり障りのないものを選んでいたよ。何故わざわざ自由研究のテーマに魔術を選んだのか、気まぐれ以上の理由はないけど、戦争が終わったら魔術研究に専念したいと考えていたくせに、いざ人魔の戦争のないこの世界に来た後でも、娯楽にうつつを抜かして随分とサボっていたから、申し訳ないという気持ちも手伝ったからだと思う。
今にして思えば、そんなことをしなければ良かったと後悔している。魔術の研究成果は、僕に絶望の事実を突きつけたからだ。
僕の魂が、この世界に良くない影響を与えているということが分かった。この世界にはマナは存在しないが、マナに代替するものがある。それが僕の魂と干渉すると歪みが発生し、限界を超えると不幸な出来事……、つまりは自然災害などの形で現出することになると判明した。
災害……、というキーワードから、僕は幼い頃に起こった大地震のことを思い出す。思い出しはしても、その時点では自分とあの大災害を結びつける根拠としては弱い、と僕は思い込もうとしていた。昨今、大きな災害が発生していないこともあり、僕は自分の仮説を考え過ぎだと笑い飛ばし、そしてしばらくの間すっかり忘れることに成功した。
そんな僕の過ちを咎めたのは、それから十数年後に発生した大津波だった。
初報を聞いたのは、会社で仕事している最中だった。震源地から遠く離れた場所でさえ、気分が悪くなるほど大きな揺れを感じた。ほどなく社内では大騒ぎになり、仕事中にもかかわらず皆はインターネットでニュースを見て騒然としていた。
死者、行方不明者を合わせて万を超える人々が犠牲になった、本当に痛ましい大災害だった。
実際に被害に遭わなかった人々も沈痛な面持ちでニュースを見、日々被災地から送られてくる悲惨な被災風景に心を痛めたことだろう。僕の心は痛みを飛び越え、バラバラに引き裂かれるのではないかと思った。
……あの大津波は僕のせいだ。僕が、のうのうとこの世界を生きているせいで、僕の魂が生んだ穢れが歪みとして災害が発生させたのだ。…………僕がこの世界に生きているのがいけないんだ。
この地震を転機に、僕は自分の世界へ還る決断をした。だが還ってどうする? この世界は救われるが、僕の魂は永遠に勇者という刑に服することになる。おまけにあの世界で再び死ねば、今度は記憶すら失い自分が何者なのかもわからず延々に魔王と殺し合いを続ける無間地獄に囚われ続けることになる。
僕は、不幸とは観測されて初めて不幸だと認識するものだと思っていた。たとえ大当たりした宝クジを紛失してしまっても、そのクジが当たりだと知らなければ当人にとっては不幸ではない、と思っていた。
実際は違う。真に不幸なことは、不幸だと知らないことの方だ。当たりくじを紛失してしまったと気付くのは不幸ではあるが、その不幸を教訓に自らを正すことは出来る。不幸は経験であり、挽回する余地を与えてくれる。だが自らが不幸だと知らなければ、何度でも同じ過ちを繰り返すことになる。それこそ轍に囚われるようにだ。
目の前の手紙に、視線を落とす。手紙には、無機質な字でこう書かれていた。
"これを飲めば、あなたは自分が望むあなたに生まれ変わることができる。希望のない世界を諦めますか?"
僕は思わず自嘲していた。
自分で書いたとはいえ、これほど悪意の篭もった文章をよくもまぁ思いつくものだと呆れた。
あの世界は……、僕を勇者に仕立て上げ、僕の命全てを使い潰すあの世界には、どこにも希望なんてありはしない。戦争が終わったら魔術の研究に専念する、戦争が終わったらミリアと挙式して、戦争が終わったら……、戦争が終わったら……、束の間抱いた夢は全て泡と消えた。英雄という名の磔刑が待ち受ける世界なぞ見捨てずにいられるわけがない。
自棄気味に銀の薬の入った瓶を掴むと、僕は思い切り栓を開け、乱暴に中身を流し込む。
そして、三千世界を越えて、あの無責任な世界にも轟くように大声を張り上げて宣言する。
「僕は、僕を磨り潰すあの世界を滅ぼしてやる! 何の希望もないあの世界を、僕の方が諦めてやるっ!」
僕の意識は急速に沈み込む。二度目になるが、この感覚は本当に耐えがたい。
こうして僕の魂は、元の場所に戻っていく。もう二度と生まれ変わるものかと、固く決意を抱いて。
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王都が遷都しても、相変わらず光の聖堂は都の一番目立つところに建立されているし、中の意匠もさして変わらない。つくづく進歩のない世界だと嘆息しながら、僕は前々世と同じように、主の像の前で膝を折り、見せ掛けだけの祈りを捧げた。
僕は生まれ変わった。この世界でも腹立たしいことにハンスの名を継いだまま。それを嫌って、僕は年端もいかぬうちに故郷と名前を捨てた。二回分の人生経験が、盗賊やモンスターが跋扈するこの世界でも子供一人でも生き抜く支えになったのは、言うまでもないことだ。
そして、僕は今再びこの場所に舞い戻ってきた。あの少女に会うために。
「居もしねぇ神に祈るのは楽しいか?」
高い場所から、天啓のように声が降って来る。
僕は祈るふりを止め、天井を通る梁にふてぶてしく座る黒髪の少女を見上げた。
「神ならいるだろう。そして、祈りも通じた」
僕に合わせて、少女も冷笑する。
「で、何しに来たんだ?」
「君にだけは断りを入れておこうと思ってね。僕に真実を教えてくれた義理もあるし」
「断り?」
「僕はこの世界を滅ぼす」
「…………」
てっきり、彼女は驚いてくれると思った。しかし意地の悪いにやけ面は止まらず、却って悪化するほどだった。
「……そうかそうか、なるほどね」
何かを得心したように、しきりに頷く。その間も含みのある笑みをずっと浮かべたままだ。
「最近この世界に生まれた不浄な魂の存在は、テメェの仕業だったというわけだ。奴らがこのままこの世界に居座れば、やがて世界は滅ぶと?」
「やがてじゃない。君たちが思うよりずっと早く滅ぼす。その為の計画も、既に始まっているのさ」
「なら、俺様にも一枚噛ませろよ」
「なにっ?」
このドラゴンという存在は、掴みどころがない。自らを世界を司る神と嘯きながら、反面世界滅亡に軽々に乗ってくる。無論、断られたからといって止めるつもりはなかったが。
「この世界の神なんだろ? それでいいのか?」
「テメェが想像できねぇくらい、俺様たちドラゴンは生き過ぎててな。正直飽いてきたのさ、テメェのお祈りと同じようにな」
「……ふふ、それは心強い。早速だが、協力して欲しいことがあるんだ」
「ほぉ?」
爬虫類が獲物を捕食する時のように、目を細めて少女は笑った。
「ある子爵議員を事故に見せかけて殺して欲しい。そして殺した後はその子爵に化けて、彼の社会的地位を利用する」
「おいおい、甘い言葉を言った端から遠慮がねぇな……」
「だが、これから楽しいことが起こるのは請け合いだ。悠久の退屈を吹き飛ばすほどの、ね」
僕たちは相性がいい。そう思わせるように、彼女は僕と同じように邪悪な笑みを浮かべて肯う。「そりゃ、楽しみだなぁ」
こうして僕らは再び出会い世界を破滅させるための行動を開始した。
計画は驚くほど順調で、肩透かしを食らうほどだった。黒髪の少女……、闇のドラゴンはその手腕を遺憾なく発揮して子爵から公爵まで上り詰めた。僕は後々の手駒になるよう同じ異世界転生者のリューヤとラブを見つけ出した。そう、全ては順調に推移していた。あの男が現れるまでは。
それは、ユーリアム王子の誕生会での出来事だった。
「例の魔術アイテムの増産は、目途がついたのか?」
アロンデール公爵、に化けた闇のドラゴンが厳格な物言いで尋ねてきた。会場には人が多く、例え二人きりの会話でも盗み聞きされる恐れがあるため、演技を継続しているのだろう。如才なく公爵を演じる様も、ドラゴンのくせに抜かりがない。
「はい、閣下。ちょうど欲の皮の突っ張った貴族を見つけたところです。彼なら、こちらの美味い話に乗ってくれるでしょう」
「そうか、よしなに」
ふと、アロンデールが僕から視線を外した。その先にいたのは、娘のユミコだった。まさか、子煩悩な父親の演技まで心得ていると言うんじゃないだろうな?
ユミコは男性と楽しそうに話していた。長い赤髪を強引に後ろに撫でつけた、お里の知れる若い男性。なぜだが、その男を見た時、僕の身体が……、いや魂が震えた。
「……あの男が気になるのか?」
アロンデールの言葉に、ついつい僕の身体が跳ねた。
こちらの反応が可笑しかったのか、アロンデールは顔こそ公爵のままだったが、中身のドラゴンの性悪さが滲み出る嘲笑を浮かべていた。
そして動揺する僕の耳元で、こう囁いた。
「……奴は炎のドラゴンが作り出した、異世界転生者を狩るための道具だ。殲滅者と名付けていたかな」
「せ、殲滅者……?」
「殲滅者は死者の魂を利用して生み出された。誰の魂を使ったと思う?」
「ま、まさか……」
逸る動悸を必死に押し殺し、僕はあの男に狙いを定めて唱える。
「……ステータス、……オープン」
いつものように、ゲームに出てくるようなステータスウィンドウが虚空に出現する。
名前欄には何も記載されていなかった。攻撃力とか防御力とか、無意味な情報の羅列を読み飛ばし、本当に知りたい情報である備考欄へとスクロールする。
そこには、こう書かれていた。
『魔王ヴァルガナンは、炎のドラゴンの力によって殲滅者として蘇った。』
その時僕は、運命の車輪が僕に迫る音を聞いた気がした。運命とは環状する列車のレールのようなもので、僕はまたしてもそのレールの上に身を投げ出している状態だと悟った。
あの男を殺さなければならない。だが僕が手を出すわけにはいかない。勇者と魔王が戦えば、確実に両者が死ぬ。そうなれば、世界を滅ぼすことができない。
だから僕以外の誰かに、奴を殺してもらわなければならない。
僕の、長くもどかしい戦いが、こうして始まった。




