第10話 愛理華の場合
地球が自転する理由を知ってるかしら? 地球が生まれる前に衝突したエネルギーが未だ残り続けているからですって。
初めてそれを聞いたとき、アタシびっくりしちゃった。だって、地球はアタシが夜寝るとき眩しくないように太陽を隠すために回ってると思ってたもの。
この世の全ては、アタシを中心に回っている。大富豪の末娘として生まれたアタシの人生は、そうやって回ってきた。
自慢じゃないが、アタシは身の回りのことだって自分一人でしたことがない。世間知らずのお嬢様を描写するため、スプーンより重いものを持ったことがないなんて台詞を言わせたりするけど、アタシはスプーンすら持ったことがないわ。
食事だって、着替えだって、入浴だって、なんなら排泄だって、身の回りの世話は全てお抱えのメイドがやってくれた。アタシは指先一本動かさず、生きてきたんだから。
「愛理華ちゃんの話って、いつ聞いてもお伽話みたいだよねぇ」
グラスにシャンパンを注ぎながら、この店ナンバーワンホストのロキきゅんが、夢を紡ぐようにアタシに言った。アタシはというと、夢を見るようにそんなロキきゅんを見つめていた。
ロキきゅんが傾けてくれたグラスに口をつけ、アタシはシャンパンを呷る。
メンド臭がりなアタシが唯一自発的にする行動、それはホストクラブ『アースガルズ』のロキきゅんに会うこと。
「愛理華がお伽話ならぁ、ロキきゅんは神話だよねぇ。アタシたちって、絶対相性いいじゃん!」
甘えるようにロキきゅんの肩に頭を乗せると、彼は優しく抱き寄せてくれた。耳に触れるロキきゅんの吐息がこそばゆい。
「じゃあさじゃあさ、前話した結婚の事、考えてくれた?」
結婚。その言葉はアタシを夢から覚めさせ、白けた気分にさせる。
最近会う度この話題になるため、いい加減うんざりしていた。
「……んーとね、アタシも結婚したいんだけどぉ、パパが許してくれなくてぇ」
と、アタシははぐらかす。
アタシは生まれてこの方、何不自由ない怠惰な生活を続けてこれた。生まれの幸福もあるが、ひとえに父に逆らわなかったおかげである。
そんな父が、世間体の悪いホストとの結婚を認めていないことは知っている。だからこそ、メンドーだけどこの件は慎重にならざるを得ないってわけ。
アタシの心労を察してくれたのか、ロキきゅんはそれ以上追及しなかった。代わりに、アタシを優しく抱きしめ、さらに夢見心地にさせるよう呟いた。
「もうすぐシフト明けるからさ、一緒にミズガルズに堕ちようぜ」
意訳すれば、それはアフターのお誘い。
勿論ロキきゅんにベタ惚れのアタシは、その誘いを断ることはしない。浮かれ気分で承諾した。
今思えば、全てはトリックスターであるロキきゅんの思惑通りだったわ。彼はアタシとの結婚を急いていた。そりゃそうよね、莫大な資産が手に入るんだから。だから既成事実を作って、なし崩し的に婚約を結ぼうとしていた。
そうとは知らず逢瀬を重ねていく内、アタシはついにフリッグのリンゴを授かることになったわ。
意訳すると、子供がデキちゃったってこと。
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「ではこちらに、ご両親のお名前とお子様のお名前をご記入ください」
お堅そうな職員が、用紙と鉛筆をこちらに渡してくるが、アタシは受け取ろうとはしなかった。見かねたのか、隣に座るロキきゅんがアタシの代わりに受け取る。
職員はこう思ったかもしれない。片手に『重り』を抱えているから、この人は鉛筆を受け取らなかったんだろうな、って。残念だけど、生まれてこの方人に催促されて自分の名前を書いたことのないアタシにとって、促されて鉛筆を握るという考えはないのよ。
ロキきゅんがトリックスターらしからぬ実直さで用紙に必要事項を記入している。アタシはというと、左腕に抱いている『重り』がモゾモゾ動くのを不快に思いながら、ぼけっと外を眺めていた。
こんなはずじゃなかったのに。
かつての生活を名残惜しむように、空を眺める。赤ん坊なんて生むつもりなかったのに。赤子と言う名の重りが、自己主張するように蠢く。
経緯を説明するのがメンドーだから要約するけど、アタシは妊娠し、親に勘当された。父は幾ばくかの手切れ金をアタシに押し付け、家から追い出した。幾ばくと言うが一般人からしたら相当な額らしく、ロキきゅんは遺産が相続できなくてもこれで十分だと言っていたが、アタシは納得していない。
何不自由ない怠惰な生活を失うには、あまりにも割に合わない。
「ほら愛理華ちゃん。ここに名前を書いて」
ロキきゅんがアタシに無理やり鉛筆を握らせて、言った。
「嫌よ。ロキきゅんが書いてよ」
それか本名順平って人が書けばいいよ。用紙の父親欄に書かれた名前を見て、アタシは初めてロキきゅんの本名を知った。トリックスター順平ってギャグかよ。
「いや、でも、本人の直筆じゃないと……」
頼りない声を出さないでよ。メンドくさかったけど、しょうがないから名前を書くことにした。えぇと"愛"……、
「あっ」
今度は職員が茶々を入れる。
「何よ?」
「そこはお子さんの名前を記入する場所です」
言われて用紙を見てみると、確かにそう書いてあった。
もしかして書き直し? そんなメンドーなことアタシ大っ嫌いなんだけど。だからアタシはこう提案した。
「もうこれでいいんじゃない? コイツの名前」
そう言ってアタシは愚図りかけている赤ん坊を指す。
アタシの適当な提案に職員は難色を示したが、順平の方は乗り気だった。
「いいねぇ。せっかくだしアイって名前は平凡過ぎるからラブって名前はどーよ?」
「それチョーいいじゃん。んじゃ、けってー」
こうして役所への必要書類を提出し、アタシたちは帰路に着く。豪華で広大な屋敷とは比較にならない、みすぼらしい集合住宅へ。
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アタシたちの生活は、それなりに上手く行っていた。
家事も子育ても全く協力的でないアタシを、まるで介護するかのように順平は献身的に世話してくれた。
愛ゆえにと思っていたが、それは思い違いだった。順平が愛していたのはアタシでも、ましてや愛なんて滑稽な名前がついてる赤ん坊でもなく、結局は金だった。
だから、金の切れ目が縁の切れ目と言わんばかりに順平はある日忽然と姿を消した。アタシの口座にたんまり入っていた手切れ金と一緒に、羽を生やして神界へと飛び立ってしまったかのように。
何不自由ない怠惰な生活、愛しの彼氏。今までのアタシの人生は、夢だったのかと思えてしまうほど、綺麗さっぱり無くなった。後に残されたのは過酷な現実と、赤ん坊だけ。
「ふあああああああああ!」
赤ん坊が泣きだす。アタシはそれをボケ~と眺めていた。
おしめを替えて欲しいのかな? それともミルクが欲しいのかな?
だったら自分でやればいいじゃん、アタシはそう思った。なんで泣いてアタシに懇願するのよ。それはアタシの役目なのよ。何でもかんでも周りが片付けてくれて赤ん坊のように食っちゃ寝するだけの人生を送るのが、本当のアタシの人生なのに!
赤ん坊の泣き声は、いよいよ最高潮に達しようとしていた。安普請のガラス戸が泣き声で壊れそうなほど震えると、ひと際大きく撓んだ。
「煩いから黙りなさいよ!!!」
アタシのヒステリックな怒鳴り声を前に、赤ん坊は自らの欲求を取り下げた。
静かになった部屋は、余計にアタシの心をささくれさせる。「泣きたいのはこっちなんだよ」
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それからの人生は地獄だった。
大富豪の娘という事実だけを担保に金を借りては遊び惚ける毎日。酒に溺れ男に溺れ、だけど満足する時は訪れず、ズブズブと泥沼に浸かっていくような生活を続けていた。
家に帰ることはほとんどなかった。だってそうでしょ。アタシから幸せを奪ったあの子の顔なんて見たくないもの。
現実逃避の一環として、アタシはあるチャットサイトに頻繁にアクセスするようになる。皆悩みの種類こそ異なるが、今の人生を辞めたがっているのがひしひしと感じられて、少しだけ気持ちが救われた。
ある日、チャットサイトにアクセスしたのだが誰もいないことに気付く。履歴を見てもここ数日誰もログインしていないことになっている。そしてふと、別の事にも気付く。そういえば最近家に帰っていない。
アタシは慌てて自宅へと帰った。あの子が飢えて死んでいるのではないか、と。決してあの子を心配しての事ではない。アタシは自分の保身しか考えていなかった。
結果的に、あの子は餓死していなかった。変な薬を飲んで、冷たく床の上に転がってはいたけど。
「はぁ? なんなのこれ?」
何故かアタシは笑っていた。
笑いながら、この世で一番面倒だと思われることをした。死体の処理だ。無精が極まるとこんな面倒事にまで巻き込まれるなんて、思わず笑っちゃうわよ!
生前のこの子は割と聞き分けがよく手のかからない子供だったが、まさか死体を袋詰めされるためにこんなに痩せ細ってたのかしら。そう思うと、また笑いが込み上げてきた。
深夜、自宅前のゴミ集積所に死体の入ったゴミ袋を放る。外からは見えない不透明のゴミ袋に詰めたから、きっと死体とは分からないはず。
今にして思えば、なぜあれだけの工作で死体を処理出来たと安心していたのか不思議でしょうがない。ただ怠惰で無計画なアタシの工作なんて、簡単に露見するのは自明の理だった。とはいえ、あんなに早くバレるのも運が悪かったのだけど。
自宅に帰ろうとした時、通りから人影がこちらに来るのに気付き慌てて身を隠した。
人影は、こちらの存在に気付かぬまま、アタシの捨てたゴミ袋を開けようとする。
マズい……! そう思ったときにはその女を後ろから羽交い絞めにしていた。
「え、な……!?」
三十代前後のOL女性は当惑した声を出す。
「どうしてアタシの人生ってこう上手くいかないのよ。このクソガキは死んだ後もアタシの邪魔しかしないのね」
よく見ると非常に地味な女で、こんな女に人生破滅させられるのかと思うと、余計に腹が立った。
「見られたからにはアンタも道連れよ。アンタも、アタシと一緒にこの希望のない世界を諦めなさい」
アタシは懐から銀の薬が入った瓶を取り出す。証拠隠滅の為に持ってきていたのが幸いした。あの子の足元に転がっていたこの薬、きっと毒に違いないものを無理やり女に飲ませた。
程なく女は眠るように倒れ、ピクリとも動かなくなる。
残されたアタシは、少量しか残っていない銀の薬を見つめる。月の光の下、銀色の液体は冷たく輝いていて、まるで抜き放たれた刀剣を思わせた。
その光を見つめていると、不思議と飲まずにはいられない衝動に駆られる。これを飲めばメンドーなことから解放される。そう思うと、瓶を傾ける手を押さえられなかった。
あるフレーズが頭を過る。銀の薬と共にラブちゃんの足元にあった紙に書かれた言葉。
"これを飲めば、あなたは自分が望むあなたに生まれ変わることができる。希望のない世界を諦めますか?"
はん、端からこんな希望のない世界に執着なんてしてないわよ。
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「エリカ、ぼさっとしてないで机を拭いてちょうだい。それにお客さんのオーダーもちゃんと取るのよ」
口煩くアタシに指示を出すのは、サキュバスのネルサリィ。いちおー、この世界ではアタシの母親ってことになってる人。
ここは魔界のフェアリー国と呼ばれている国、そんな国の場末にこじんまりとしたバーを構えているのがネルサリィで、アタシの実家なわけ。
人一倍メンドくさがりのアタシが、何の因果か生まれ変わったら一番就きたくない飲食業をやらされてるなんて、笑えないギャグにも程がある。おまけにここは異世界で、アタシは魔族で、そのうえ前世の記憶まで持ってるときた。
「エリカ、まだ机拭き終わらないの!?」
ゆっくり回想に耽る暇もない。
アタシは渋々机を拭……くのもメンドーだから、布巾でさっと撫でるだけに留める。
「で、アンタらはいつも通りのメニューでいいわよね」
注文を取りに行くというより、押しつけに行くために、ドワーフたちの元に行く。
何が楽しいのか、コイツラ毎日うちの店に飲みに来てるのよ。だけど憶えるのもメンドくさいから、ドワーフ一体一体の名前は憶えていない。みんな似たような顔だし。
「今日は奮発して、ウィル・オ・ウィスキでも頼もうかなぁ」
たしかヂム? がメンドーなことを言い出した。
「ざけんじゃないわよ。変な色気出して注文変えないでよ」
「コラ、エリカ!」
横柄な接客をしていると、すぐさまネルサリィが叱咤しに来る。
「ゴメンね、うちの娘は愛想がなくて。これはサービスしとくよ」
と言ってネルサリィはツマミを客に出す。
ホント、メンドくさい。アタシは嫌気が差していた。
出来ることなら、今すぐにでもこんな場所から逃げ出したかった。しかし魔族の少女が考えもなしに出奔したところで、行き倒れるのがせいぜいだ。どうすれば楽して現状から逃げ出せるか、毎日そんなことばかり考えていた。
そんなある日、転機が訪れた。
客の一人が、モンスターを連れて入店してきた。なんでもサーカス用に芸を仕込んでいるとかで、生傷の絶えない姿を見ていると苦労のほどは伺える。
「……暴れ出したりしないんだろうね?」
ネルサリィが怯えたように、客に訊ねる。
トカゲみたいなモンスターで、ドワーフを頭からガブリと食らいつくくらいには大きいため、他の客も遠巻きに傍観していた。どうやらネルサリィとしては、稼ぐよりも追い出した方がいい手合いだと考えているようだった。
客は、引き連れているモンスターよりは幾分か紳士的だった。
「そう怯えなさんなって。これでもプロだからね、人様に迷惑をかける商品をわざわざ見せびらかしには来ないよ」
「……だといいんだけどね」
迷惑だ、ときっぱり言えないのは客商売のメンドくさいところよね。
かくいうアタシも面倒事に巻き込まれたくなくて、例の客からそれとなく距離を置いていた。だが、却って不自然に見えたのか、客がアタシを呼んだ。
「お嬢ちゃん、どうだい? モンスターに触ってみたくないかい?」
客なりの厚意だろうが、こっちからしたら有難迷惑だった。無下に断るとまたネルサリィが煩い、どうしたものかと悩んでいるとモンスターの方から近寄ってきたではないか。
「モンスターもお嬢ちゃんが気に入ったようだ。頭を撫でてごらんよ」
もう断る方がメンドくさいと思ったアタシは、観念して頭を撫でた。モンスターは最初からそう命じられたかのように静々と頭を下げ、アタシの手を迎え入れる。
一瞬、転生前の豪勢な生活をしていた頃を思い出した。アタシが何かを言うでもなく身の回りの世話をしていたメイドたちに、少しだけ重なる部分があったのかもしれない。
「こんなに聞き分けがいいんなら、机拭きでも手伝って欲しいくらい」
だから、アタシは深く考えもせずに言った。だけどコイツ――、モンスターはそれを命令と受け取った。
突如、あれほど大人しかったモンスターが機敏に動き出し、ネルサリィのいるカウンターへ飛び込んだ。
突然モンスターが暴れ出したと勘違いした店内は騒然となる。ネルサリィは無様に叫ぶわ、ドワーフどもは酒を飲み零して床を汚すわ、モンスターを連れてきた客も制御の効かないペットに大慌てだった。
そんな喧騒など露とも知らず、モンスターは布巾を口に咥えたままカウンターから出てきた。そして、何をするのかと傍観しているとアタシの目の前で机を拭き始めたのだ。
そのとき、アタシは初めて自分に備わった素敵なアビリティ『"か弱いアタシを守って(テンダー・テンプテーション)"』の存在を知った。
ほどなくアタシはネルサリィの庇護から抜け出し、誰にも知られず虎視眈々と準備をしてきた。全ては怠惰な生活を送るため、アタシはこの世界の全てを跪かせ、アタシが楽を出来る世界を作ることに邁進した。




