暗い窓際の記憶
苦悩に満ちた顔で佐弓は必死で自分の記憶を辿った。
人は混乱が極度に達したり、いや、極端にいうならば死に瀕したときは過去の記憶が走馬灯のように、しかも一瞬のうちに駆け巡るという。
佐弓は覚えている記憶を遡るとき、いつも突き当たる光景があった。
(そう幼稚園の頃…)
彼女は降りしきる雨の中で、いつもお山座りをして外を見つめていた。
そんな話をカウンセラーにすると、彼らは一様に哀れむような目で私の生育環境を聞いてきた。
しかし、彼女にとってはごく普通の親だという認識だった。
経済的にも中流以下だったろうが食べるものや着るものに不自由していたわけではなかった。愛情をかけてもらえなかったわけでもない。
(私を心配し、愛し、そして不自由なく育ててもらったと思う。)
彼女はそう本気で思っていた。
そして、彼女にとってなぜか印象深いのは、雨が降る度に繰り返した質問だった。
『おかあさん、あめってどうして灰色なの?』
彼女の母は少し困ったような顔をして、それから優しい笑顔で、
『雨は透明よ。これからたくさんの命を育てるために、どんな色にもなれるように、透明なの。』
そう答えた。
でも彼女には雨は灰色にしかみえなかった。
彼女の母がいうように、もし雨がどんな色にもなれるように透明だというなら、佐弓に見えている雨はどんな存在もくすんでしまうような邪魔な存在であるために灰色なのだろう。
幼い彼女は母の優しい言葉をそう曲解するに至った。
(いや、それよりも。)
佐弓は目の前の現実と、これまでの経緯を照合するために、必死にさらに記憶を辿る…。