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第9話

「人払いは済ませてある。半時ほどは、誰もここでの会話に聞き耳は立てられない」

 そう言って、悪戯を成功させた子供のような顔で笑う王――いや、姫は、俺に隣の椅子に座るよう示した。あまり長い時間は立っていられないのだ、と言う。すっかり体力が落ちてしまって、と苦笑する彼女は、体力以前に生気に欠けて見えるほどだった。

 記憶が確かならば、姫は俺よりも十ばかり若く、今年でやっと二十の歳を数えたばかりであるはず。だが、痩せ細って尚も美しさの衰えぬ面差しには、年齢不相応の諦念とも達観ともつかないものが滲んで見えた。王として日々激務に追われ、重責を一身に背負っているゆえだろうか。

「あまり驚いた様子がないな。私が騙っていることには、とうに気付いていた?」

 俺が椅子に腰を下ろすなり、姫は前置きもなく切り出した。単刀直入過ぎる会話に一瞬言葉を失い、何と応じたものやらと迷っていると、

「ああ、気楽に喋ってくれて構わない。私が許す。何より、その方が余計な時間を使わなくて済むからね」

「では、お言葉に甘えさせて頂きます。……私が芸を献じてきたお方が、おそらく姫であろうことは、早いうちから選択肢の一つとして想定しておりました。いかに立場により心根が変わったとしても、その嗜好まで変ずるとは考えにくい。彼方の国々の物語を好むのはジャラール王子ではなく、ネシャート姫、あなた様であると伺っております」

「うん、その通り。他には?」

「文字、ですな。手紙にしろ筆談にしろ、あの飾り文字を用いるのは、アウレィリヤの上流階級の女性であったはず。……生憎と、その飾り模様で家柄を判別できるほどの知識までは持ち合わせておりませんので、確信を得るには至りませんでしたが」

「サハルの代筆だという可能性は?」

「その可能性もなくはないと考えてはおりましたが、文面――綴られた文章に滲む感情の様子から、さほど高くはあるまいと」

 あの愛想のなさで、あの文章を書くとは思えない。それを婉曲に伝えると、姫はおかしそうに笑った。

「そうだな、サハルはあなたに随分と素っ気無かった。普段はあそこまでぶっきらほうではないのだけれど」

 さあ、続きは? 屈託なく促されては、言葉も切りづらい。続きか……。果たして、これはいつまで話せばいいのだろうか。

「確信を得たのは、離宮の様子を確認してからですので――」

「ん、あれはやはりあなただったか。昨日に警備の者から、もしかすれば離宮に侵入したものがあったやもしれないと報告は受けていた。……なるほど、そうしてあなたは真相に近づいていった訳だね。周囲に怪しまれることなく、着実に。随分と優秀なようだ」

 うんうん、と頷く姫の目顔は、どこか面白がる風でもある。

 皮肉でなく評価されているらしいのは、まあ、光栄ではある。仮にも一国の王、或いは姫たる立場で、そんな反応でいいのかと思わなくもないが――

「それでは、私も打ち明け話をするとしよう。あなたにばかり明かさせるのでは、不公平だからね」

 しかし、そう言われるや、思考は一瞬にして引き戻された。訳もなく、息を潜めてしまう。

 そんな俺の内情を知ってか知らずか、先刻のように椅子に身を預けて手を組む姫の姿は、どこまでも寛いだ様子だった。

「あなたの立場からすれば、自分から告白するのは難しいかな。だから、私が先に言ってしまうけれど――ヘイダル、ナーセル王は息災でいらっしゃる? 以前とお変わりなく、私を気遣ってくださるようだね」

 あっさりとした物言い。だからこそ、目を伏せずにはいられなかった。

 俺がある程度の状況を把握しているように、彼女もおおよその事態を理解しているのだろう。ここに至るまで、それなりに上手くやったつもりでいたが、情けないものだ。

「……我が王は、姫を案じておられます。書簡で亡命をお求めになったきり、音信が絶えてしまわれましたので」

「ありゃ、そうだった? おかしいな、ヴァファーにお断りのお返事――お礼とお詫びを差し上げるように伝えておいたのだけれど。あれが忘れていたなんてことはないだろうし、何を考えているのやら……。ともかく、こちらの不手際でお騒がせして申し訳なかった。それで、ああ、順序が逆になってしまったけれど、あなたはナーセル王の使いで良いのだよな?」

「はい。ナーセル王が近衛騎士、ヘイダルと申します。我が王の勅命は、ネシャート姫の安否を確認し、必要によっては我が国へお連れすること。姫が王宮において、どのようなお立場にあるか推察致しかねましたゆえ、このような偽りをもってお目にかかる運びとなりました。離宮への侵入と併せ、お咎めは如何様にもお受け致します」

「ああ、それはいいんだ。私も、ヴァファーも、最初から分かっていたし、気にしていない」

「最初から?」

 まさか。思わず目を見開いて繰り返せば、そうとも、と姫は微笑む。

「あなたも知っているかな? 父上のお供で、私は過去にセルギリドの王宮を何度も訪れている。その度にナーセル王は私に宮廷楽師をつけて、様々な歌や物語を聞かせてくれたものだ。だから、今までにいろんな楽師の演奏を聞いて気付いたのだけれどね、セルギリドの宮廷楽師には楽を奏でる時に共通した癖があるんだ。あなたは見事にそれを踏襲していた。それで、ナーセル王の使いだと思ったんだよ」

「左様でございましたか。お恥ずかしい限りです」

 我が国の宮廷楽師に、そんな癖があったとは寡聞にして知らなかった。俺の師となった楽師がそれに対し無自覚であったのか否かは、些か気になるところではあるが……それよりも。

 何が「それなりに上手くやったつもり」だというのか。自分が上手い役者であるとは端から思ってはいないし、変装自体も上出来ではないと自覚していたつもりだ。だが、よもや初めから見抜かれていたなどと、まさに汗顔の至りだ。

「あ、もちろん、あなたの歌や演奏がよくなかったとか、そういう訳ではないよ。ナーセル王からの使いだからと、それだけを理由に滞在を求めたのなら、あんなに毎日必死にやりくりして時間を作ったりなんかしていない」

「……必死に?」

 更に思いがけない言葉が飛び出し、目が丸くなる。

 姫はそんな俺の様子を見ると、自分が何を言ったのか、遅れて気がついたようだった。これまで漂わせていた、ある種老成したような空気は消え失せ、童女のようにあわあわと口ごもる。暗褐色の頬までもが、それと分かるほどに紅潮していた。

「待った、今のはちょっと、聞き流しておいて。口が滑った」

「いいえ、ありがたく頂戴致します」

 なるべく平然とした顔を作って答えてみせれば、姫は唇を曲げて不満そうにする。そうした表情は、全くもって年頃の娘そのものだった。……多少どころでなく、不健康そうではあるが。

「ヘイダルは、意外と意地悪だな」

「意外、と評されるとは、私としましても意外ではございますが」

「……ああ、うむ、そうだったな。あなたは割と食えない御仁だった」

「恐縮でございます」

「そういうところだ、全く……。そうだ、水はどう? 喉が渇いているだろう」

 サハルが薄荷ミント水を作ってくれたんだ、と言いながら、身を起こした姫の細指が机の上に置かれた水差しに伸びる。

 厚い玻璃で曲線を描いて作られた器には並々と水が湛えられ、鮮やかな緑の葉と氷の塊が沈められていた。痩せ細った姫君の腕には、明らかに荷が勝ちすぎる代物だろう。

「姫、私が」

 言葉で制しつつ腰を上げ、先んじて水差しを取り上げる。水差しの下敷きにされていた赤い敷布には、玻璃の表面を伝って染みた水滴が円い輪郭を描いていた。

 水差しの傍らには、また玻璃の杯が二つ用意されている。伏せて置かれたそれを一つ引っくり返し、手早く水を注ぎ入れる。それを姫の前に差し出すと、

「ありがとう。気兼ねはいらないから、あなたも飲むといい」

 重ねて言われてしまえば、否やとも答えがたい。丁重に礼を述べ、相伴に与ることにした。しばし無言で、薄荷水で唇を湿す。

 さて、と先に口を開いたのは、やはり姫だった。

「あなたはきっと、いくつも訊きたいことがあるのだろう。私もナーセル王には、最終的には全てをお伝えする気でいる。それが、あの方への礼儀というものであろうから。――ただ、まだ全ては話せない。それでも良ければ、質問に応じるよ」

「……現時点では伏される情報は、我が国の脅威になるものではありますまいか」

 少し考えてから訊ねると、姫は真剣な面持ちで、ゆるりと頭を振った。

「絶対に、とまでは言えないけれど、あなたの国の脅威にはならないだろう。それらは既に、終わってしまったことだから」

「左様でございますか。……であれば、いくつかお伺いさせていただいても?」

「構わない」

「ご寛容に感謝申し上げます。――まず、我が王にお求めになった亡命の願いについて。こちらは取り下げられると?」

「ああ。悪戯に騒がせて、本当に申し訳ないことをしてしまった。あの時とは状況が変わって、もう逃げ出している場合ではなくなったんだ」

 逃げ出している場合ではなくなった。つまり、王の代わりとして政に関わっているからか?

「それは『陛下』と呼ばれるお立場ゆえのこと、と解釈して宜しゅうございますか」

「まあ、そうかな。同じようなことだ」

 同じようなこと。すなわち、同じではない。……何かあるな。

 ほとんど確信的にそう感じたが、あからさまな濁しようからするに「話せない」類の内容であるのだろうとも察しがついた。仕方なしに、次の問いを選び出す。

「ジャラール王子は、いずこに?」

 王子の名前を出した瞬間、姫の黄金の眼が揺れた。悲しげに、痛ましげに。

「それは、言えない」

「イマード王は」

「それも、言えない。……すまないな」

 力なく答える姫は、どこか打ちひしがれて見えた。

 その姿だけで一つの答えになっているような気もしたが、本人が「答えられない」と伏せるのであれば、今はまだその回答で呑み込んでおくべきなのだろう。後々全てが開示されるというのであれば、現時点でそこまで急く必要はない。

 しかし、姫には随分と答えられないことが多いらしい。質問に応じてもらえるといっても、これでは答えをもらえる問いを探すだけで一苦労だ。

「何故『陛下』と呼ばれ、今のようなお立場に?」

 次は何を問うか。数呼吸分の沈黙の間だけ悩み、口に出す。

「もう私しか、役目を果たせる者がいないからだ」

 対する返事は、ほとんど間髪容れずに。厳然として告げる姫の眼には、強い光が潜む。

 王族の――いや、王としての矜持が、そこに宿っていた。己の立場と担う重責をよくよく理解し、その上で受け入れた者の威厳に満ちた眼差しだった。自然と膝を折り、頭を垂れたくなるような。

 なるほど、と思う。確かに、彼女は既に「王」だ。

「他に質問は?」

「いえ、結構でございます。逆に、陛下からナーセル王にお伝えすることは、何かございますか。使いの者が城下におります。そ奴に託せば、お言葉をお届けできますかと」

「そうだったのか。でも、今はまだ、何も……いや、一つ。一つだけあった」

 姫はおもむろに言葉を切ると、俺を正面からじっと見据えた。

 黄金の眼光に射られる。その輝かしい色彩から、どうしてか目を離すことができない。背筋が粟立つにも似た感覚に巻かれる。

「ヘイダル、あなたを今しばらく借り受けたいとお伝えしてくれ。そう長いことではないと思う。代わりに、あなたが去る時には、この国に起こった全てを教えて持ち帰らせると約束する。――当代のアウレィリヤ国王として、請け負おう」

「お伝え致します」

 凛とした響きで告げられた言葉に、俺はやっとのことでそれだけを答えた。

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