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第6話

 結果として、何が功を奏したのかは分からない。だが、王に少し近づくことはできたのだろう。

 七度目の演奏の翌日にも王からの手紙は届き、八度目の機会にも筆談は行われた。律儀にも一通りの演奏が終わり、幻影の消えた後を見計らって、中空に文字が光る。昼であろうと夜であろうと、王は決して口を開くことはなく、あの光をもって紡がれる文章によってのみ、己の言葉を発した。

 王の言葉を描く文字は、一貫してあの感情に直結したか如き書き振りの手癖で統一されていた。華やかな飾りの、女文字。その文章でもって王は言葉を述べ、俺はそれに答えて喋る。侍女は稀に口を挟むこともあったが、ほとんどが黙して主のするがままにさせていた。

『あなたは遠くの国の物語が得意なのだな』

「得意、と言うよりは、師の影響であろうかと。我が師は遥か彼方の国々の歌をよく語るゆえ、その徒弟として学んだやつがれの芸風も似通ったまで」

『好きではない?』

「さて、如何とも。――ただ、近隣の国であれば、己が眼で見て回ればよい。己の眼の届かぬ彼方であればこそ、幻影に描くも一興では」

『なるほど、一理ある』

 回を重ねるにつれて、王との対話の時間も延びていった。

 王はその日演じた物語についてああでもないこうでもないと述べることもあれば、俺の故郷の話を聞きたがることもあった。国の外にはあまり出たことがないので、他所の国のことを知りたいのだという。

 これには、内心で困った。王の求めるような話など、俺にはできようはずがない。

 近衛騎士とは、王の傍に控えて警護するからこそ近衛という。元々外向きの役目ではないのだ。加えて、セルギリドは長らく周辺諸国と平穏な関係を保っており、最後の外征となれば百余年前にまで遡る。外交の一環で近隣諸国に赴く陛下に護衛として同行したことはあるが、観光目的ではないだけに、市井の様子を詳細に見聞してきたとは言えない。

 ただ、他国を訪問するには、当然短からぬ旅路を行くことになる。王の行脚に同行した際に見聞きしたことを語り、どうにか場を繋いだ。

『あなたのように旅慣れていても、やはり故郷に思い入れが深いものなのだな』

 不意にそんな言葉を投げかけられた時には、多分に冷や汗の出る思いがしたが。

「……何故、そのように?」

『あなたのセルギリドを語る声は、他のどの国を語る時よりも誇らしげに聞こえる。私も、また訪ねてみたいものだ』

「過去にお越しになったことが?」

『父上が健在であった頃、連れて行ってもらったことがある』

 公式には、ジャラール王子はセルギリドを訪ねたことはない。先王は我が国を訪れる際には、必ずネシャート姫を伴ったからだ。――姫、一人だけを。

「そう言えば、先王陛下は」

 抱いた感情を水面下に押し隠し、さりげない風を装って問うてみる。

 王子が起ったことにより廃された、とは聞いているが、先王のその後の動向までは我が国でも掴めていなかった。市井では王宮のどこかにいるだの、別の都市に移っただの、好き勝手に噂されており、事実の片鱗が混じっているのか否かさえも不明だ。

 そして、肝心の王宮では、先王の気配は微塵も窺えない。それどころか誰もが憚るように口を噤み、あの厨の下男でさえ、それとなく水を向けても決して話そうとはしなかった。

 ネシャート姫の周囲の様子もおかしいが、先王に関する人々の態度も、同等かそれ以上の異常だ。ますますもって、この王宮の中で何が起こっているのか怪しまれる。

『父上は、母上の墓所近くの別荘で静養しておられる』

 ややあって空中に記された文字は、どこか素っ気無い。

 直感的に、嘘だと感じた。



 日々は粛々と、或いは緩慢に過ぎてゆく。

 これまで何度か遠目に姿を目にしただけの大臣と、直接顔を合わせる機会に恵まれたのは、十一度目の召喚の際のことだ。天候は明朗そのものの晴天、時刻は昼下がり。

 この頃になると、王の許を訪ねるのは、およそ三日に一度ほどになっていた。一度の時間は少し短くなるが、その分回を増やすことにした――とは、何度目かの召喚の際、筆談ではなく侍女の口から伝えられた。予定の変更は事前に相談してもらいたいところだが、今は仕方あるまい。

 ともあれ、大臣は我が任務における最重要人物の一人である。

 アウレィリヤの先王と、その娘のネシャート姫は、過去に何度か我が国を訪問している。しかし、そこに大臣が同行することはなく、ゆえに俺は今この時まで彼の顔を知らなかった。

 一目見た印象は、およそ今まで陛下から聞き知っていた情報から想像していたものと、大差なかったように思う。ただ、年齢だけは想定よりやや若いか。隙のない、如何にも怜悧といった面差しは、おそらく四十路前後。文官らしく、官服を纏う体躯はやや細身だが、華奢ではない。乱れなく撫で付けられた黒髪に、切れ長の榛の眼が険を滲ませる。

 その男は、演奏の最中に扉を叩くだけ叩いて、返事も待たずに入ってきた。驚いて俺が手を止めると、侍女サハルが足早に紗幕の奥から姿を現す。大臣が近づいてきた侍女に申し付ける言葉を聞くに、何やら火急の案件であるという。侍女は神妙な面持ちで大臣の持参した書類を受け取り、紗幕の奥へ持ち帰っていった。

 大臣は無言でその背を見送る。立ち去る気配はない。どうやら、この場で待つつもりであるらしかった。

 竪琴を爪弾く手は急遽止められる形となったが、幻影は未だ維持している。演奏を再開すれば、すぐにでも本来の彩と変化を引き続き描き出すことができるが、文字通り一時停止したまま待機するのは、それはそれで骨が折れるものだ。

 紗幕の向こうからは、サハルが王に何事か伝えている声がかすかに聞こえる。その邪魔にならぬ程度に、軽く息を吐くと、

「すまないな」

 思いがけない言葉が耳に飛び込み、再び驚く。はたと振り向けば、扉のすぐ傍に佇んだままの大臣が、厳しい顔つきのまま俺を見つめていた。

「陛下は近頃、貴君との時間を楽しみにしておられる。その邪魔をしたくはなかったが、何分火急の案件ゆえ、容赦してもらいたい」

 声音は淡々としていたが、その態度には王への配慮がありありと窺える。王の姿を覆い隠す紗幕へと転じられた眼差しには、確かな気遣いの色が浮かんでいた。

 なるほど、厨の下男が「大臣はいつも陛下を気にしていらっしゃる」と断言するのも納得である。事前情報からすれば些か奇妙な事態ではあるが、大臣が王を丁重に扱っているという評価は、およそ間違いがないものと思える。

 しかし、近頃城下では以前の「新王は大臣に全てを任せ王宮の奥にこもっている」というものではなく、「大臣は王を蔑ろにしている」「王は大臣により不遇の身にある」などという噂が、より一層に実しやかなものとして囁かれているらしい。

 これはつい先日、王宮に青果や酒類を納める出入りの商人などから世間話を装い聞きだした話なので、情報の鮮度については、ある程度信用して良いだろう。そして、極め付けが「女神を廃し、この国を牛耳ろうとしている」とかいう馬鹿馬鹿しい文言の流布だという。

 それを口にした商人は、「馬鹿馬鹿しい噂ですがね」などと笑っていたが、俺に言わせれば笑えない噂どころの話ではない。考えるまでもなく、その流言は昨今対立が深まっているという神殿の差し金だろう。

 王宮で多少なりとも内実に触れているのならば、それを「馬鹿馬鹿しい」と切り捨てることができる。だが、王宮の内情が届かぬ市井では、そうもいかない。

 俺がこの王都に足を踏み入れたばかりの頃は、民にとって大臣は「新王と共に国を立て直した」として、評価する向きが強かった。だが、その下地があったはずにも関わらず、今では悪評が広がっている。このまま、万が一にも大臣が排されるようなことになれば、国の浮沈にすら直結しかねないのではないか。

 もしかすれば、この国は既にかなり危うい状態にあるのやもしれなかった。表層を薄皮一枚で繋ぎ留めはいるものの、その内実はどれほど膿んでいるやら計り知れない。だからこそ、体調を崩して尚も新王は休むこともままならず、政務に追われ続けているのでは。

 空恐ろしい想像に寒気を感じながら、「否」と言葉を返す。

「楽を奏で、夢幻を語るならば、機会は如何様にも。過分な気遣いにて」

 そうか、と大臣は短く相槌を打つ。多弁な性質でもないのだろう。ややあってから再び姿を現した侍女から書類を受け取ると、王に向けて挨拶を述べるだけ述べ、あっさりと退室していった。

『待たせてすまない。続きを』

 大臣が去ると、また王が宙に文字を描いて促す。

 次から次に懸念事項が出てくるとは、全くもってこの王宮は俺を休ませてくれる気がないらしい。ため息は飲み込み、竪琴の絃にかけたままだった指を再び動かす。

 ろん、と琴が鳴り、幻影が揺らめく。

「では、続きを――」

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