第4話
宮廷楽師という肩書きを見ると、人はただ王の前で楽を披露すればいい、気楽なものだと考えがちだ。
しかし、意外にも――いや、意外などと言っては失礼だが、アウレィリヤの新王は勤勉だった。我が王から知らされていた情報から想像していた新王の人となりは、まさしく噂通りの「乱暴者」であり、ひたすら父に反発する「未熟者」であるという域を出ない。以前楽師達の間で囁かれていた通り、「王宮の奥に閉じこもり、大臣が代わりに政務を行っている」という噂も市井には出回っていた。
それがどうしたことか、現実の新王は居室から外に出はしないものの、政務については積極的に行っているらしい様子が窺える。どうも昨今は体調を崩しがちであり、政務をこなす間にも頻繁に休養を挟まねばならないらしいのだが、それでも日夜多くの官吏が部屋を訪ね、噂の大臣も日参していると聞く。体調を崩しがちだというのも、激務が祟ってのことかもしれないと、大真面目に考えさせられるほどの多忙ぶりだった。
あの紗幕で分断された部屋も、実は王の執務室であったらしい。集った楽師たちの演奏も聞いていたのも、政務の合間の休憩時間を用いてのことだったというのだから、何ともはや筋金入りだ。何かと待たされる時間が長かったのにも納得である。過去には、あの硬貨を与えられてから、実際の演奏に漕ぎ着けるまで数日かかることもあったそうだ。それを考えれば、あれで俺も運が良かったのだろう。
そんな状況であるからして、三度目の演奏の予定は、未だ立っていない。要するに、政務と対極線上にあるような、娯楽の権化たる宮廷楽師なぞ、新王の忙しない日々に入り込みようがないのである。
俺は王宮の一隅に部屋を与えられ、たったの二度芸を披露しただけにしては多すぎる報酬を得てもいたが、お陰でほとんど食客の有様であった。暇を持て余して庭師の手伝いをするだとか、厨で雑用をするだとか、果たして俺は何の為にここにいるのかと自問したくなるような日々を過ごす羽目に陥っている。
……言い訳をするのならば、その辺りでしか情報収集ができそうになかったのだ。
現状、王宮に楽師として滞在しているのは、俺一人きりだ。俺が滞在し始めてからは、そもそも募ることさえ止めたのか、砂糖に群がる蟻の如く集っていた芸人たちも、ぱったりと訪れなくなった。たった一人の楽師ともなれば、嫌でも人の目は向きやすい。
それ以前に、当初抱いた印象の通り、王宮の内部はセルギリドと比べ、驚くほどに閑散としているのだ。そのことに、どうしても違和感が拭えない。任務を果たす為には、まず王宮の状況を把握することが先決のように思われた。
明くる日、厨の裏口の外で歳若い下男の一人と芋の皮むきをしながら、何の気ない風で「王宮というのだから、もっと賑やかな場所かと思っていた」とこぼしてみた。すると、彼はアウレィリヤの民らしく褐色の、日に焼けた顔に苦笑を浮かべて言ったのだ。
「仕方がありませんよ、国の為です」
「国の為?」
「ええ、陛下と大臣がお決めになったんです。ヘイダルさんは知らないかな、少し前まで、この国は水不足に悩まされていたんです。原因がどうのこうのって、いろんな噂は流れたけど、俺たちのような下々の人間には、結局のところ何がなんだか分からない。ただ、王子だったジャラール様が起って、王だったイマード様が王位をお譲りになって、水は元に戻った。それから、大臣は同じことが再び起こることのないようにって、国中に人をやったんです。王宮は女神アウラの恩寵が一番濃いところだから、どうしても涸れるのは最後になる。その時に気付いたのでは遅いから、って」
「なるほどな。しかし、わざわざ王宮から人を? 確か、この国には巡回神官とかいうのがいるんじゃなかったか」
「あれ、よく知ってますね」
「この前、一緒に王宮に上がった楽師連中が噂していた」
「あー、芸人さんたち、情報通ですもんねえ」
それなりにな、と相槌を打ってから、「それで?」と先を促す。下男はきょろきょろと周囲を見回し、人の気配がないことを確かめてから、低く押し殺した声で「秘密ですけどね」と囁いた。
「神殿は、もう駄目だってことらしいです」
「何?」
「腐ってしまってるんだって、この前サーデグの街の神殿を調査に行った人が言ってました。神殿は女神アウラを奉じ、仕えるのがお役目のはずでした。それが女神の恩寵である水源を独占し、高圧的に振舞うことも少なくない。陛下と大臣は、それを変えようとしてるんだそうです」
「新王と、大臣が?」
敢えて短く訊き返すと、下男は小さく笑った。
「もしかして、また噂で聞いたんですか? 大臣が陛下を幽閉してるっていう奴でしょう」
からからと笑う姿は、少なくとも表向き屈託なく見える。そんな「噂」など、考えるに値しないとばかりに。
「そんなの、嘘ですよ。陛下は最近お身体を悪くされてお姿が見えなくなりましたけど、大臣はいつも陛下を気にしていらっしゃるし。陛下もお父上から重責を譲り受けられて、考えが変わられたんじゃないかな」
「前は随分な乱暴者だったらしいな」
「まあ、否定はできませんよね。でも、今はこんなにも政務に励んでいらっしゃって、水も戻ってきたんだから、そういうことなんだろうって皆思ってます」
「ふむ、そういうものか」
「まあ、これも噂じゃないかって言われたら、そうなんですけど。もしかしたら、ネシャート姫が二人の間に入ってくれたのかも」
「姫が?」
「姫様は、昔から大臣と仲が良かったんです。大臣は元々優秀な巡回神官で、姫様はお母上のロヤー様と同じで女神アウラと繋がりの深い方だから、きっと二人にしか分からないこととかもあったりしたんじゃないかな。陛下はロヤー様にはあまり似られなかったから、そちらの方面は詳しくないらしいですし」
「そういえば、ネシャート姫の姿は未だに見ていないな」
「姫様も、陛下や大臣に協力されていて、お忙しいそうですよ」
「……ふむ」
少し内実に迫れた気はするが、身分の弊害か、青年の言葉には事実と想像――そして何より、そうであると信じたいという願望が入り混じっているように思われた。信憑性の点で言えば、今一つ心許ない。もう少し多角的に情報を集める必要がありそうだ。
「いずれにしろ、もう少し俺も腕を振るう機会が得られればいいのだがな。これでは何でもって王宮に滞在しているのか分からなくなりそうだ」
ため息を吐いてみせると、下男はただただ人のよさそうな顔で「心配しすぎですよ、またすぐにお呼びがかかりますって!」と笑った。お気楽に言ってくれる。
「無責任なことを言う」
「そりゃあ、俺には陛下を信じることしかできないですからね!」
無責任な励ましが逆の効果を与えたとでもいうのか、王に近付く三度目の機会までは、それから実に五日も待たねばならなかった。あちこちをうろうろして雑用なぞしていたのが怪しまれたか、と今更に思わなくもなかったものの、以前と同じ部屋を訪ねてみれば、あの愛想のない侍女に曰く。
「陛下はお忙しく、これまで時間を割くことが叶いませんでした。あなたを蔑ろにする、または関心を失ったという訳ではないと、お言葉を賜っています」
「ご配慮痛み入る」
三度目もまた、二度目と同じく日の暮れた後。王からの要求はなく、侍女もまた「演奏を」と言うだけで他に言葉もない。それを空しいとは思わないが、何がしかの反応は欲しいものだ。そうでなくては、いつまでも情報、或いは手がかりが増えやしない。
ともかくも、乞われたのであれば、奏でねばならない。時間も時間であるので、前回――絹の道の続きを語ることにした。
割れ落ちた星の欠片を量る天秤。天秤から溢れた星は川となって流れ、そのほとりで一人の娘が長い髪を洗う。更に流れを下れば、川縁に列を作る蟹がぷくぷくと泡を吐いていた。膨らんで弾ける泡は、再び星となって空へ昇ってゆく。
この日も、他に二つばかり語り、四半時ほどで演奏を終えた。琴の音が途切れ、幻影が解けると共に、紗幕の向こうから小さな拍手が上がる。
「お見事でした」
そして、王の傍に戻っていた侍女が再び姿を現し、少しもそう思っていないような顔で述べる姿も、前回と同じだ。侍女が報酬として金貨の詰まった皮袋を差し出し、それを押し頂くまでも。
だが、俺は本来楽師でなければ、永遠にこの状況を続ける訳にもゆかない。少しでも現状を変えんと、試みなければならなかった。
「ところで、陛下のお加減は如何様で」
訊ねると、侍女はあからさまに眉根をひそめた。
いつも思うが、この侍女は俺に対して対応が厳しすぎやしないか。こんなにも真面目に楽師をしているというのに。いや、まあ、そもそも偽者ではあるが。
「……何です、藪から棒に」
「ここのところ、お身体の具合が優れぬと噂でお聞きした。あまり長く時間を取っては、体調に障りは出まいか」
「不要な気遣いです。あなたは、ただ陛下のお求めに応えれば良いのです」
どこまでも突き放す寒々しさで、その言葉は告げられた。ここまではっきり言われてしまっては、さすがに引き下がらざるを得ない。
承知した、とだけ答え、重ねて追究はせずにおく代わり、演ずる曲に希望があれば気兼ねなく伝えてもらいたい旨を述べて腰を上げる。残念なことに――かつ、予想通りのことながら、侍女は最早答える素振りさえ見せなかったが。
そうしてあの美しい扉をくぐり、廊下に出るに至っても、侍女はおろか王の言葉の一つもないままだった。多額の報酬に加え、拍手までもらっている以上、評価されていない訳ではないのだろうが、少しくらい違った反応が欲しいものだ。隠密に探る騎士としてだけではなく、王に芸を献ずる楽師としても。
何か反応がもらえれば、それに即した変化をつけることができる。それさえないというのは、かえってどこか空恐ろしいようにも感じられえた。本当にこれでいいのか、という漠然とした不安が拭えない。
ゆえに、「何か希望があれば」と申し出たのは、王の反応を引き出す苦肉の試みでもあった。
――だが、まさか翌日に王の印璽の推された封書が届くとまでは、さすがに想像していなかった。