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第3話

 再び兵士と官吏に監視されながら移送されたのは、先ほどの部屋から程近い、小さな一室だった。

 窓は大きいが、部屋向きの都合で光は入らず、調度品も卓と椅子が一揃いきり。客間などではなく、本当に人を待たせ、留めておく為だけの場所と見えた。

「命あるまで、この部屋から出られませんよう」

 そう言って、官吏は扉に鍵をかけて出て行った。

 出入りができそうな場所は、残念なことにその扉一つきりだ。窓は厚い玻璃が嵌め殺しになっており、破壊する以外の手段では、外には出られそうにない。隙を見て、せめて周囲の様子くらいは窺えないかと思っていたのだが……。

 これでは大人しく椅子に座っている以外に、できることもなさそうだ。調べたいことは山のようにあるが、それこそ急いては仕損じることになる。座面に滑らかな布地の張られた椅子は、腰をおろしてみると、居心地が悪くなるほどの柔らかさで体重を受け止めた。

 背もたれに寄り掛かり、竪琴を抱えたまま、一息吐く。その途端、ずしりと肩が重くなったような気がした。気心知れた仲間内や、良くも悪くも遠慮のない王ならばともかくも、今し方即席楽師を演じてきた相手は、個人的には縁も何もない隣国の王だ。緊張しない訳がなかった。

「はてさて、どのような目が出るやら……だな」

 どこで聞き耳を立てられているかも分からない以上、迂闊なことは言えない。当たり障りのない独り言をこぼしつつ、硬直した肩の筋肉を片手で揉みながら思い出すのは、あの芸人たちが押し込められた待合室で聞いた噂話だ。

 あの場では様々な話題が飛び交っていたが、ついぞ「絹のような黒髪に黄金の目の、えらく美人」だという姫の話は、他に出ずじまいだった。ターヘルの領主から話を聞きすぎた男でさえ、「そういや、全然聞かなかったな」などと嘯くに留まっていたのだ。今の俺には、それこそが最も欲しい情報だったというのに。

 その他にも、不穏な噂が多すぎる。元巡回神官の大臣が、新王を幽閉して政をほしいままにしていると? 冗談ではない。

 彼は古くから反王子――現新王――派に近い立場ではあったが、それは単に王子に疎まれている姫君を庇ってのことだった。事実、政変の勃発と共に我が王に向けて、姫君の亡命を求める密書を送りまでしていた。かつての王子は、妹姫を溺愛する父王と、とにかく仲が悪かった。大臣は父王が廃された後、兄王子によって姫君が不遇に貶められることを危惧していたのだ。

 もっとも、その密書も我が王が了承の返事を送った後、ぱたりと音信が途絶えてしまっている。そして、その後も連絡取れぬままに時が流れ、斜陽に思われたアウレィリヤは自ずから持ち直し、王に侍る楽師を募るなどということまで始めた。訳が分からない、というのが、我々セルギリドの正直な感想だった。

 しかし、我らが王は、今は先代となったイマード王と親しく、事あるごとに「我が身に異変が起こった時には、どうか娘を頼む」と託されていた経緯がある。まるで、この状況を予期していたかのように。

 アウレィリヤに尋常ならざることが起こっていることは、今や明白なように思われた。我らが王は、偏屈ではあるが薄情ではない。父王に反発していた王子とはともかく、聡明で溌剌とした姫君とも、彼女が幼少のみぎりから交流を得ていた。長年親しく付き合ってきた友の、最後の願いを叶えんと気炎を上げるであろうことは、王を知るものにとっては最早予想などではなく、近い未来の現実であった。

 かくして、俺は状況を訝しんだセルギリド王によって、真相を掴む為――姫君と大臣が何らかの事情によって行動を起こせずにいる場合の対処も念頭に置いた上で――にと、潜入任務を申し渡された訳だが。

 ひとまず、ここまでは及第点といったところだろう。問題は、次の演奏でどの程度気を引けるか。全くもって、即席楽師には荷が重いことだ。


 ひたすらに待ちぼうけを食らい、やっとお呼びが掛かったのは、とっぷりと日も暮れた夜のことだ。おざなりに出された夕食をとり、舌に残る香辛料の刺激に些か辟易などしていると、不意に扉が叩かれた。

 椅子から腰を上げて近寄っていってみれば、開いた扉の向こうにいたのは、これで四度顔を合わせたことになる、あの官吏だった。供の兵士は一人きりに減っている。「陛下がお呼びです」とだけ言って歩き出すので、慌てて部屋から出て追いかけた。

 再び訪れた王の在所は、昼間とは違い暗闇に沈んでいた。最低限に絞られた灯りは、未だ幾重にも垂らされたままの紗幕に一層濃い陰を落としている。今となっては、その奥に何があり、誰がいるのかは透かし見ることもできない。

 紗幕の前には、またあの侍女が立っていた。俺の姿を認めると、ただ一言「陛下のお心を慰める歌を」とだけ残し、薄絹の奥へと消えていく。相変わらず素っ気ないことだが、今は祖国に仕える騎士ならぬ無頼の楽師の身であれば、指示には従わねばならない。

 昼間とおおよそ同じ場所に腰を下ろし、膝の上に竪琴を乗せる。はてさて、今度はどんな物語を献じたものか。

「……では、折角の機会ゆえ、東方の幻想をもう一つ。黄金の都では、西に楽土ありと信じられていた。老いも痛みも苦しみもない、天上の国があると謳われていた。その楽園へと至るには、永劫をも思わせる長い長い絹の道を踏破せねばならぬという――」

 ろろろろ、と竪琴の絃を弾く。暗い室内に、音色に呼応して幻影が織り上げられてゆく様は、いつ見ても不思議なものだ。眺めるのではなく、奏でる身となった今でさえ。

 果たして、二呼吸の後に辺りに出現したのは、地平線に黄金の都を臨む夜の荒野だ。空には満天の星が輝き、緑や金の極光が彩りを添える。その空と地上の間に、揺らめく帯のようなものがたなびいていた。純白と呼ぶには柔らかい色合いで、遥か彼方へと続いてゆく。その白色を辿り、幻影は緩やかに景色を変え始めた。

 道行きの始まりを迎えるのは、一足駆ける度に星屑を舞い散らす一角獣。軽快な蹄跡が走り去れば、今度は道の傍らから子兎の群れが飛び出してくる。つぶらなまるい瞳は、星空の煌きをそのまま閉じ込めたかのようだ。跳ね回る兎を見送り進めば、やがて星の海に沈んでゆく竜骨の折れた船が見えてくる。船首に飾られた乙女の彫刻を掲げるように溺れる船の傍らを抜けると、道々輝くものが落ちていた。かつては眩く星々の光を集めた王冠、その残骸。それらを拾い上げながら、視点はひたすらに西へ。

 絹の道は果てしない。終端に至るまでの全てを語ろうとすると、一晩では到底足りるものではなかった。絹の道の道中譚は、最古の伝承においても八十八を数え、今なお多くの語り手によって新たな逸話が加えられてきている。

「絹路の旅は長く、果てしない。――ゆえに、今宵はここまでと。ご清聴感謝申し上げる」

 五つ目の、星空に擬態する蜥蜴の逸話を語り終えてから、俺はそう締めくくって手を止めた。あまり長時間にわたって奏でてもよくはあるまいと思ったこともあれば、露骨な引きで次回への関心を誘えればという打算もあってのことだ。琴の音を途切れさせれば、部屋いっぱいに敷き詰められた幻影も、ゆらゆらと解け始める。

 すると、ほう、と息を吐く音が聞こえた。あの愛想のない侍女だろうか? いや、あの隙も遊びもない佇まいを考えれば、仕える主の前でそのような仕草を見せるとは考えづらい。

 では、今の吐息の主こそが、未だ姿の窺えぬ王なのだろうか。頭の片隅で考えていると、未だ幻影の残滓で星空に染められた紗幕の向こうから、今し方頭に思い浮かべたばかりの侍女が姿を現すのが目に入った。その手には、金の鎖に吊るされた小さなメダイユが提げられている。

 侍女は未だ床に胡坐をかいたままの俺の目の前で立ち止まると、いかにも儀礼的な口調で「お見事でした」と告げた。塵ほどの感心もなさそうな顔つきをしながら言われても、と思わないではないが。

「陛下は、あなたの語りをお気に召したと仰せです。これ以後、陛下をお慰めするのは、あなたの役目となりましょう。こちらをお持ちになれば、街に出たとしても、王の許しをもって自由に王宮に上ることができます。王宮の内においても、ある程度は縛りなく過ごしていただけます」

 少しも事態を歓迎していないような、あっさりを通り越して無感動にすら聞こえる口振りで言いながら、侍女はメダイユを差し出した。

 俺はそれを竪琴を抱えて直し、空けた右の掌で受け取ったが、正直なところ呆気に取られてさえいた。しゃらりと細く軽い感触が手に載せられても、どこか現実味が薄い。ここでしくじれば全てが水泡に帰すという、この任務において最大の難関が、こうも容易い風で開かれるとは……。

「くれぐれも、紛失などなさいませんよう。そして、これなるは陛下が直々に、ご自身の手の中より選び出されたもの。そのご厚意を無下になさいますな」

「光栄に存ずる」

 頭を下げ、押し頂く。

 親指の半分ほどの大きさのメダイユは、滑らかな楕円形を描いていた。表面は磨き上げられた金色に輝き、この国を守り富ませてきた女神の似姿が彫り込まれている。

「ところで、一つお尋ねして宜しいか」

 メダイユを懐にしまいながら、ちらと侍女を見上げて問う。

「……何事です?」

 返る声音は、これまでにも増して素っ気無い。一瞬ではあれど明白に眉根を寄せた様を見るに、歓迎されてはいないようだが、拒否をされないのであればこちらのものだ。

「陛下は、紗幕の向こうにおわすと」

「それが何か」

「何故、俺をお選びになった?」

「それを知る権利が、ご自分にあると?」

「さて、それは俺の判断することでないゆえ、お答えしかねる。――が、心置きなく奏で語るには、やはり支えが必要ではあるまいか」

 肩をすくめてみせると、やはりまた一瞬、侍女は眉を寄せた。存外に感情を隠しきれない性質なのか、ただ単に楽師(おれ)を侮ってのことなのかまでは、分からないが。

「……陛下は、彼方の国々の物語を好まれます」

 答えは、それだけだった。

 本人からの回答はない。それどころか、この期に及んで姿はおろか指先一つさえ窺えていない。だが、得るものはあった。

「回答、感謝申し上げる。以後、お役目には全力を尽くす所存に」

 左様ですか、と答える侍女の声は、またひどく素っ気無かった。

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