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第2話

 不穏極まりない会話が交わされる内にも、時間は刻一刻と過ぎていく。

 割り振られた順番の通りに楽師たちは部屋から連れ出され、その度に遠く楽の音が聞こえてきた。音の響き具合から推し量るに、芸を披露する場所は近場でこそないが、極端に離れてもいないらしい。そして、音が外に伝わる程度には開放的な状態でもあるようだ。あまり意識したいことでもないが、万が一のことを考えるならば、余裕はあるに越したことはない。

 俺の番が来たのは、ひたすら待たされている間に昼を過ぎ、三時を回りかけた時刻のことだ。

 楽師がこの部屋を出る時には、決まってあの城門で硬貨を配っていた官吏が呼びに来る。その際に呼ばれた番号に従って、一人ないし一組ずつ演奏に向かうのだ。官吏の口から待ちに待った番号が告げられ、部屋の隅に置かれていた椅子に陣取っていた腰を上げる。

 扉を開けるだけ開け、廊下から呼び掛けていた官吏の許に向かうと、すっと手が差し出される。

「硬貨を」

 なるほど、申告の虚偽がないかどうか確かめようというのだろう。

 手にしていた硬貨を、向けられた掌の上に落とす。官吏は文官らしく細い指でそれを摘み上げると、その表面に浮かんだ数字を確認し、一歩後ろに引いた。

「陛下の御前にお連れします」

 それだけ言うと、官吏は歩き出した。気の早いことだ。

 廊下に出てみれば、当然ながら他にも人員がいた。装備こそ軽装であるものの、剣を携えた兵士が二人。不審なところがあれば実力行使も辞さないとばかりの、あからさまに威圧する目顔であるのは、流浪の楽師などという肩書のものを相手にしているからだろう。俺が彼らの立場であれば、間違いなく似たような態度取る自信があった。

 何はともあれ、背後のことなどお構いなしに進む官吏の後ろを、剣呑な佇まいの兵士に挟まれて続く。歩き出してからしばらくしても、周囲はやけに静かだった。他にすれ違う官吏の一人もいない。――いや、静かと言うよりは、そもそも気配が薄い。

 政変にあたり、粛清などが断行されたとは聞かなかったが……とまで考え、自分が王宮の内部にあっては、まず縁遠い心持でいることを自覚した。それこそ、戦場にいるような。

 身分を偽って潜入せんとしている以上、周囲を憚ることは確かではあるが、それにしても俺の知る王宮との様子が違いすぎる。国柄の差などという陳腐な言葉だけでは、到底説明できそうにない。どうにも神経がささくれ立つ。

「王宮というものは、もっと華やかな場所かと思っていましたがね」

 さりげない風を装って、軽口を叩いてみるが、前後の兵士はひたすらに無言。数歩先を歩く官吏が、ややあってから、こちらをちらとも見ずに淡々とした声で答えた。

「風聞と現実は違うということでしょう」

 ぴんと伸びた官吏の背中は、明らかに会話を拒んでいる様子だった。迂闊に詮索しすぎて、芸を披露する前から印象を悪くするのもまずい。

 左様で、と相槌を打つだけに留め、後は黙々と歩みを進めるに徹した。



 どの方向から来たかも分からなくなるほど右に左にと頻繁に通路を曲がり、随分と奥まで来てしまったのでは、と一抹の警戒が胸に過り始めると、おもむろに官吏が一つの扉の前で足を止めた。

 磨き上げられた飴色の木目に、瀟洒な花模様の金細工が施された両開きの扉。訪問を知らせる叩き金(ノッカー)ですら細かな彫刻が施され、艶やかな光沢を放っている。

 官吏が叩き金を鳴らし、「次の方をお連れ致しました」と述べると、短い間の後に内側から引き開けられた。軋む音もなく、滑らかに。無言のまま官吏が開いた扉の脇に下がり、前後を固めていた兵士もまた道を開ける。

 進め、ということなのだと解釈して、足を踏み出した。硬くなり過ぎぬよう、細く息を吐きながら、美しい造りの扉をくぐる。一歩二歩と歩んでいくと、すぐに背中の向こうで、音はなくとも扉の閉まる気配を感じた。そのことに怯みなどしないが、少し気は引き締まる心持はする。

 ひそやかに息を吐き、室内を窺う。正面の壁に大きな窓がいくつも取られているお陰で、部屋の中は明るい。窓の外には、青々とした緑の庭園を臨むことができた。

 部屋の中はそこまで広くはなかったが、それは単に天井から幾重にも垂らされた薄絹で区切られていた為に、そう思えただけのことやもしれない。紗幕は部屋の内をざっくりと半分、あちらとこちらに分かつ境界そのものだった。

 その境界の前に、一人の若い女が立っていた。歳の頃は二十半ばほどか、装いを見るに侍女の類だろう。黒い髪を結い上げ、眉をひそめる一歩手前の目つきで俺を見据えている。

 そんなに信用ならない風体だろうか、と刹那に考え、無理もないかと内心で嘆息が堪えきれなかった。

 普段短く刈り上げるのがお決まりの髪は、多少なりとも楽師に見えるようにと二月伸ばしてみたが、軟派にもならない半端と評された有様であるし、口を酸っぱくして直すように言われたやぶ睨みも未だ改善途中。挙句の果てには、「髪の砂色も、目の灰緑もパッとしない」とまで言われた始末だ。

 ……今更過ぎるが、そんな酷評ばかりだったくせに、結局は俺にこの任務から外しもしなかった陛下の正気を疑いたい。

「お名前を」

 平淡な声音が聞こえ、思考が引き戻される。小脇に抱えていた竪琴を持ち直し、成る丈ざっくばらんに頭を下げてみせた。

「ヘイダルと申す。無頼の流浪者ゆえ、無礼にはご容赦願いたい」

「承知の上です。芸は何を?」

「楽は竪琴を。歌うは、遥か彼方の地の物語を」

 述べると、紗幕の向こうでカタリと小さな音がした。

 目を向けてみると、うっすら卓と長椅子が置かれているらしき様子が見て取れる。そして、その長椅子に横になった人影らしきものも。――あれが、王か? 気にはなったが、視線をやりすぎて咎められるのも馬鹿馬鹿しい。そっと、なるべく自然な素振りで視線を外す。

 侍女は、そんな俺の素振りをじっと眺めていた。何かを見定めんとしているかのように。そして、変わらぬ感情の乏しい声で告げた。

「では、この場にて芸の披露を。陛下は紗の奥よりご覧になります」

「承知した」

 再び歩みを進め、ちょうど長椅子の前にあたるであろう辺りで床に腰を下ろす。紗幕とは相応の、楽を聞かせるに問題がないだけの距離を取った。無理に近付く必要はない。王の様子を窺うよりも、あちら方に警戒されないことの方が、今はよほど重要だった。

 床に胡坐をかき、膝の上に竪琴を乗せる。まずは軽く爪弾いてみると、きちんと音色に即した色合いの陽炎が立ち昇った。幻謡琴サラーブ・クィッタは、奏でる楽と語る話に呼応した幻を見せる魔術器だ。きちんと稼動しているようで何よりである。

「それでは、僭越ながら」

 ろろん、と絃を弾く。すっかり指の覚えた通りに音色を紡いでゆけば、周囲に燦然と黄金に光り輝く街並みの幻影が浮かび上がった。紺青の夜空を背景に、一層眩い城の威容がそびえる。

「此度拝聴願うは、遥か東の果てに謳われる黄金の都の物語。絢爛なりし城に招かれた、一人の王子と王女の――」


 墨を流したような漆黒の夜空に、艶かしく薄緑の極光が踊る。妖しく煌く黄金の城で、男と女の影絵が惑う。物語は緩急をつけて進行し、次第に佳境に入りつつあった。

 主役となるのは、黄金の城に招かれた異国の王子であり、長らく不遇の身であった庶子の王女だ。衝突し、反発し、それを乗り越え親しくなった二人に降りかかるのは、王子と王女……ではなく、その異母姉の婚約という悲嘆。更には、王女は姉の下女として嫁ぎ先に同行するが定めであるという。

 髪を振り乱して嘆く王女の肩を抱き、王子は語る。――逃げよう、ふたりで。西の果てへ続くという絹の道、それをどこまでもふたりで逃げてゆこう。

 涙に濡れた目で、王女は王子を見つめて答える。――ええ、あなたに手を取っていただけるのなら。どこへでも、どこまでも。

「……極光の解け、朝日の差し始めた城に、もう二人の姿はなく。ただ西へ、西へと続く足跡が二つ、伸びているばかりであったという」

 語りに乗せて最後に一節爪弾き、そこで物語は終わる。

 音色の余韻と共に、辺りに揺らめいていた幻影も消えてゆく。地平線から白んでゆく明けの空も、二人の若者が捨てていった輝ける城も、いずこへとも知れぬ方角へと連なっていく足跡も。全てが輪郭を崩し、煙のように形を失っていった。

 再び、室内に明るさが取り戻される。窓から差し込む陽光が、夜の幻影に慣れた目には少しきつい。だが、今は無事に一つ語り終えたという安堵の方が強かった。ほ、と吐き出しかけた息を辛うじて飲み込み、彼我を分断する紗幕を見やる。

 既にその前に、あの侍女の姿はなかった。王の傍に侍る為、奥に戻ったのだろう。目を凝らしてみれば、薄絹を透かしてかすかに動くものの影が見えた。痛いほどの静寂が、耳を突く。

「……!」

 そして、不意に乾いた音が上がった。

 それが手を叩いて発されたものであるということに、数秒遅れて気付く。随分と響きの抑えられた、小さな――或いは、上品な――拍手は短い間続き、途切れると薄絹の合間から侍女が姿を現した。

 これまでと変わらぬ、淡々とした表情で俺を見下ろすと、どこまでも無感動な顔つきのまま口を開く。

「陛下よりお言葉を賜っております。見事であった、と」

「恐悦至極に」

 座ったまま、頭を下げた。見事と評されるのも結構なことではあるが、それだけで終わっては困る。伏せた顔を、そのまま上げずにいると、

「陛下は、もう一曲を、とご所望です。ですが、また後に控える楽師がいるのでしたね。そちらを蔑にもできないと仰せです。楽師ヘイダル、別室にて待機を申し渡しても?」

「喜んで」

 そう答えるに、迷いなど微塵もなかった。

 どうにか一曲だけ奏でてお払い箱、という最悪の事態は回避できたらしい。まだ明確に告げられた訳でもなければ、首の皮一枚繋がった程度であるのやもしれないが。

 それでも、今度こそ深々とした息を吐くのを抑え切れなかった。

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