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第15話

 王宮の庭園が涸れ果てた頃、王はついに覚醒している時間よりも、眠っている時間の方が長くなった。

 日に日に瞼の開かない時間が増えてゆき、王の世話を一手に引き受けるサハルの憔悴も、目に見えて濃くなってゆく。俺の前では辛辣なほどに毅然としていた彼女が、やつれた顔で「姫様のお姿は、もう見るに耐えません」とこぼすほどであるのだから、その心労はどれほどのことか。

 反乱軍もいよいよ王都へ向けた進軍を開始しており、王国軍からも相当数の離反者が出ているばかりか、逃げ出したその足で反乱軍に加わる例も少なくないという。もはや王が軍の動きに采配を振るえない以上、他の誰かが代行するよりない。そして、今現在この国でそれを成し得るのは、大臣ヴァファー以外になかった。

 王の傍に侍り、芸を献じるのが今の俺の仕事であろうとも、肝心の王が臥せったきりでは意味がない。自然と、俺は王ではなく大臣の元へ足を向けることが多くなった。

 国の全てを双肩に担うこととなった大臣も、事ここに至っては平静を装いきれなくなったらしい。落ち窪んだ眼窩、土気色の面差し。いつかのサハルを髣髴とされる、死人にも似た有様と化していた。いつ倒れてもおかしくはない。官吏の中にさえ、ちらほらと姿を消すものが出ているという噂も聞く。

 国の終焉など往々にしてそういうものだ、と識者は語るやも知れないが、俺から見れば忌々しい以外の何物でもない。にもかかわらず、奇妙なことに、大臣は別段それを気にした風もなかった。大臣の振る舞いのおかしなことといえば、他にもある。

 王や大臣には許可を得た上で、俺はナーセル王に逐次報告書を送っていた。その結果、我が王は隣国を支援すべしと決断され、その旨を大臣に親書をもって伝えられた――それを届けたのは、他でもない俺だ――が、何故か彼は申し出を断ったのだ。ありがたいが結構だ、と一言で切り捨てた。

 それどころか、俺が何か手伝えることがあれば、と声をかけても、頑として首を縦に振らない。これもまた「結構だ」の一点張りである。一体、それは何故(なにゆえ)のことなのか。このままでは国が滅びてしまうではないか、と問うてみれば、大臣は痩せこけた頬に皮肉げな笑みを浮かべた。

「私は、この国を守りたいのではないのだよ」

 思わぬ言葉に目を見開く俺を一瞥すると、大臣は書面に走らせていた筆を置く。

 片付ける暇も、片付ける者もいないのか、大臣の執務室は雑然としていた。棚や机はおろか、床にも書類や本が積み重なっている。数日前だったか、この期に及んで独り普段通りの仕事を続ける意味はあるのか、と問うたところ、あっさりと「それが私の役目だ」と返されたことを思い出す。

「では、何の為に。何故、あなたは身を粉にしておられるのか」

「知れたこと、あの方の為に。それ以外の何かでもあるものか。――私は、ただあの方が『そうあれ』と望む通りに動いているに過ぎない」

 そう言って言葉を切り、男は嘆息する。一度閉ざされた唇が再び開かれた時、そこには未だかつてない感情が滲んでいた。

 それを、俺は初め怒りだと思った。だが、言葉を聞くにつれて、己の判断に誤りに気がつく。大臣ヴァファーの、その言葉に満ち溢れているのは、紛れもない憎悪だった。

「狂った父、愚かな兄、盲目にして硬直した国の有様。あの方は、もう十分にそれらの為に身を削られた。あの方の生命と引き換えに終わりを先延ばしにしたとて、この国は何も変わらぬ。力及ばぬ私も、食い潰すだけの国も、もはやあの方の(・・・・)為に(・・)ならない(・・・・)。ゆえに、ここで幕を引く」

 迷いなく断言する声に、俺はただただ絶句していた。

 自らの生きる国よりも、自らの仕える王を選ぶ。大臣はそう告げたに他ならないというのに、何故と問う言葉も、愚かなと弾じる言葉も、俺の口からは出てこなかった。

 気圧された、といえば、それもそうなのだろう。男の眼には抜き身の刃のような冷ややかさと、同時に底知れぬ苛烈さが揺らめいていた。

「貴君の力を借りることは何もない、ヘイダル卿。終わりは近い」



 王国の失陥。その足音が現実の物として聞こえてきたのは、夏の酷暑が少しも和らぐ兆しを見せないまま迎えた、秋の初めのことだ。

 比喩でない、文字通りの足音である。国内各地で蜂起した反乱軍が、いよいよ王都を包囲したのだ。マフディ将軍を始めとした三将軍は、残る兵士と共に城を枕に戦い抜く腹積もりであるらしいが、王国軍の末端にいけばいくほど士気は低くなっている。日夜脱走兵が絶えないが、それを取り締まり、追うこともままならぬと聞く。

 その一方で、余所者の俺が本国から再三発せられた帰還命令に素知らぬ振りをし、今日まで留まっているのだから、なんともはや皮肉なものだ。

 戦端が開かれたのは、明くる日の朝早く。どこで、などとは考えるだけ無駄だろう。王都は完全に包囲されていた。どこからでも衝突は起こり得る。朝焼けの下で戦いは始まり、日が昇るにつれて、その騒音と鬨の声は大きくなっていった。

 王宮の最奥、王の寝所前で警護していても、けたたましいまでのそれが聞こえてくる。その状況下にありながら、未だ王は目覚めぬままだが、今日もサハルが近くに控えている。心配はあるまい。いざとなれば、彼女たち二人を担いで逃げるくらいの悪あがきはして見せよう。

「……と、腹を括ったところで、緊張が解ける訳でもなし」

 これでもセルギリド王国近衛騎士の端くれ、生半な相手に遅れを取ることはないと自負している。だが、しばらく竪琴を奏でてばかりいた手と、使い慣れぬ剣との条件が重なれば、自然と気は張り詰めた。

 王に心配はあるまい、と胸中で独言するのも状況の分析ではなく、実のところ己に言い聞かせる側面の方が強いことは、俺自身よく分かっている。吐き出した息は、ひたすらに苦く、重い。

「――!」

 その時だ、凄まじいまでの地響きが上がったのは。

 城門が破られたぞ、と怒号じみた叫びが響く。ついにそこまで攻め込まれたか、と背筋が粟立った。腰に提げた剣に、何とはなしに手を伸ばす。

「姫様!?」

 瞬間、今度は背にしていた扉の中――王の寝所から悲鳴が上がった。一体何事か、と振り返れば、俺が手を伸ばすよりも早く扉が内側から開かれる。

 扉を開け放ったのは、ただでさえ憔悴の激しい面差しを一層に青褪めさせたサハルだった。俺の姿をみとめると、彼女は掴みかからんばかりの剣幕で叫ぶ。

「姫様がいない! 姫様は! おまえがどこかへやったのですか!」

「待て、落ち着け。俺はここで番をしていた。誰も入れていないし、誰も出していない。君こそ、陛下の様子を見ていたのではないのか」

 努めて冷静な口調を保って答えると、サハルはハッとした様子で口を閉じた。ややあってから、緩く頭を振る。

「私は、姫様のお傍に控えておりました。ですが、先ほどの地響きの瞬間、ごく短い間だけ、姫様から意識を逸らしてしまったのです。その後、再び寝台を窺った時には、もう姫様の姿はありませんでした」

「抜け道の類は?」

「使われた形跡はありません。そもそも、今の姫様のお身体で、あれを使うなど無理です。扉を開けることさえ叶わないでしょう」

 では、何だというのか。腹の中でくゆりかけた苛立ちを、努めて押し殺す。このような場合でこそ、感情に振り回されてはならない。

「それに――」

「それに?」

「剣が、ないのです」

「剣? ……かつて、イマード王から下賜されたという?」

 そうです、と頷くサハルの声は細い。

 あれほど責任感の強い王のことだ、いずこかで自決など図りはすまいが、単純に行方が知れないということ自体が大いに問題だ。

「仕方がない、急ぎ大臣に連絡を」

「ヴァファー様に?」

「我々には分からぬことでも、彼の御仁であれば知り得ていることもあろう」

 ようやっとサハルも落ち着きを取り戻してきたのか、表情は青褪めたままながらも「そうでございますね」と頷いてみせる。

「ヴァファー様とお話することのできる、遠話の宝玉があったはず。すぐに取って参ります」

「頼む」

 頷き返すと、サハルは自らの開け放った扉の中に取って返そうとする。――しかし、驚くべき事態というものは、連続するものであるらしい。

「……貴君らは、そこで何をしているのだ」

 不意に聞こえてきた声は、王宮の表へと続く廊下から。

 その声音を、誰が聞き間違えようものか。今まさに連絡を取ろうとしていた人物。サハルが部屋の中に戻ろうとした足を止め、声の主を振り向いて叫ぶ。

「ヴァファー様!」

 大臣ヴァファーが、そこにいた。

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