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第14話

 日に日に王宮の庭園は涸れてゆく。

 聞けば、ついに国内各地で渇きに耐えかねた民による暴動が本格化し、反乱軍が組織され始めているのだという。三将軍のうちの一人マフディ将軍自らが軍を率いて対処に乗り出しているが、軍の中でも反乱軍に寝返るものがちらほら出つつある。

 一連の情報を打ち明け、度し難いことだ、と俺の前で忌々しげに吐き捨てたのは、まさかの大臣ヴァファーだった。突然に部屋を訪ねてきたかと思えば、人の困惑もお構いなしにそんな話の始めるので、一体何事かと思ったものだ。

 王宮の異変は、おそらく国内各地の異変とも直結している。女神の恩寵を真っ先に受け取る王宮が涸れているのならば、国土の末端がどうなっているかなど、推して知れるというものだ。涸れ続ける国を支えるべく、激務に追われているのであろう大臣の佇まいにも、疲弊の色は少なからず窺える。しかし、彼の語り口自体は、これまでとさほど変わらずに確かなものだった。

「幸い、マフディはかつて陛下にも剣を教えた、王家に忠篤い男だ。他の誰が裏切ろうと、彼だけは裏切るまい。すすんで最後の壁と立ってくれることだろう」

「……それを、私にお話になる理由は?」

 情報をもらえるのは助かるが、果たして彼が俺に明かす理由は何か。王に忠実な男のことだ、彼女の不利となるようなことではないだろうが……。

「既に陛下をお守りする兵は少ない。サハルの他には、貴君が最も近く侍る人員だ。この上ナーセル王の厚意に甘えるのは情けないが、万が一の際には陛下をお守りしてくれまいか。……今更、陛下を見捨てたりなどすまい?」

 そう言って、大臣は携えていた剣を差し出した。王の手にあったものとは異なる、無骨でひたすらに戦うためのものとして作られた意匠のそれを。

 一瞬目を見開いた俺を、大臣はじっと見据えていた。答えを口にするまでは、更に数呼吸分の間が空いてしまったが――

「謹んで、承ります」

 膝をつき、剣を押し頂く。躊躇いがないではなかったが、この期に及んでは考慮に値しなかった。

 水面下での鍛錬は欠かしていないが、剣の代わりに竪琴を持つようになってから、随分と経つ。一目につかぬ場所と時間を見計らって、勘を取り戻すようにしなければ。



 王宮の涸れようと比例するように、王の容態も悪化していった。もはや政務をこなすどころではなく、食事もほとんど喉を通らない。辛うじて粥を口に運ぶ程度で、ただでさえ痩せ細っていたものが、いよいよ骨と皮が如き様相を呈しつつあった。

 反乱軍の陣容も、日ごとに厚みを増しているそうだ。城下の街でも、王宮の中でも、明確にその名と脅威が噂されるようになった。王都から遠く離れた街ほど水は乏しく、人心は離れて反乱軍に組する例が増えているとか。俺のような余所者とは比べ物にならぬほど、この国の人々は国の変化を如実に感じ取っているはずだ。

 どこもかしこも、浮ついたような空気が流れている。いつどこで何が起こってもおかしくない、と捨て鉢にも似た明朗さで振舞う人々は、下手に陰鬱になっているよりも、よほど寒々しかった。王宮の中でさえ、端々で不安げな表情や言動が垣間見える。

 こうなっては、認めざるを得まい。限界は目前であり――否、今こそがその時であるのだ、と。

「姫」

 いつも通りに王の許で竪琴を奏でていた、ある夜。

 ひとしきり幻影を描いた後、俺は合間を見計らって声を上げた。人払いのなされた王の寝室に聞き耳を立てるものも居るまいが、自然と声をひそめてしまう。

「何?」

 掠れた声は、ひどく聞き取りにくい。無礼は承知の上で、竪琴を置いて寝台に近寄った。

 すぐ傍に跪いても、薄絹の奥にいるはずの人影は見えづらい。王は既に身を起こしていることすらも稀となり、今も横になっているはずだからだ。夜闇に目を凝らし、見えにくい輪郭を探す。

 同時に、ひそりと息を吐き出した。緊張、に似た感慨が胸郭を圧迫している。とんでもないことを進言しようとしている自覚は、少なからずあった。

「今ならば、まだ間に合いましょう。お逃げなさいませ。その為の全ては、私がご用意致します。必ずや、我が王の許へ送り届けましょう」

 意を決して投げた言葉に、すぐには答えは返らなかった。

 痛いほどの沈黙の後、ほんのわずか衣擦れにも紛うほどの小さな笑声が上がる。ふふ、と笑ったにしては、あまりにもささやかな。

「ありがとう、ヘイダル。私の我が儘を聞いてくれて、身を案じてくれて。ナーセル王にも、この落日に手を差し伸べてくださり、感謝申し上げると、あなたの口からお伝えしておくれ」

 じくりと、心臓が痛んだ気がした。丁重な感謝の言葉は、丁寧な拒絶に他ならない。

 また、この王は俺の手を拒むのだ。それが他国に対する遠慮なのか、一国の王の矜持によるものなのかは分からない。ただ、今の俺にはもどかしく思えてならないことだけが、確かな事実だった。

「私は、王の子として生まれた。私を育んだ国が滅びようとしている時に、ひとり逃げ出す訳にはゆかない」

「……かしこまりました」

 吐き出した声音に滲むのは、もはや隠しもできない諦念だった。おそらく、誰が何を言っても、彼女に翻意させることはできまい。

 彼女は偽りの王だが、確かにこの国の王なのだ。


 嘆きを飲み込み、再び竪琴を奏でていると、程なくして王は寝付いた。努めて気配を殺し、幻影の残滓の残る、静まり返った寝室を辞す。すると、部屋の外にはまるで幽鬼のような女が待ち構えていた。

 ――サハルである。

 王の世話を一手に担う侍女は、大臣に曰くネシャート姫が幼少のみぎりから仕えてきた腹心であるという。それだけ主への情も深く、主の容態の悪化に伴い、ここのところは自身の憔悴も隠せぬまでになっていた。

「俺に、何か用が?」

 一瞬ぎくりとした内情を押し隠し、平静を装って問い掛ける。サハルは隈の濃い琥珀の目で俺を見上げると、ややあってから口を開いた。

「姫様をお連れして、逃げてはくださいませんか」

 思わぬ――そして何より、つい先刻に自分が口に出した言葉の焼き直しのような内容に、俺は咄嗟には答えられず目を見開いた。サハルはそんな俺の様子にも構う素振りを見せず、暗い目で淡々と続ける。

「姫様は人柱なのです。もうご存知やもしれませんが」

「……陛下から、お聞きした」

「左様ですか。であれば、ご理解いただけましょう。姫様は、もう持ちません。既に残滓となった女神の恩寵を、無理に引き出しているのです。今や肉や麦では供物として足りず、姫様は王の身分に成り代わってから後、常に我が身を供物と捧げていらっしゃった」

 語られる言葉に、背筋が冷えた。彼女は文字通り、国を支える為に命を削っていたという訳か。これ以上に「人柱」という語の相応しい状況もあるまい。

「今なら、まだ間に合うことでしょう。――どうか」

 サハルは、じっと俺を見据えて目を逸らさない。それだけ王の身を案じているのだろう。

 だが、俺は頭を振る。振らねばならなかった。

「先ほど、同じことを陛下に提案した。だが、『ひとり逃げ出す訳にはゆかない』と拒まれた。陛下がそれを望まれぬのであれば、俺にできることはない」

 左様でございますか、とサハルは沈んだ声で呟く。

 何かと俺には対応の辛い侍女ではあったが、ひたすらに王に忠実であり、王の為によく働いていたことは、これまでの日々で俺も分かっている。それだけに、このような姿には同情を禁じえなかった。


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