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第13話

 苛酷な夏は、未だ和らぐ気配を見せない。砂漠の王国は日に日に渇き、いよいよ水を求める民と水を支配する神殿との間で衝突も起こり始めているという。お陰で、ただでさえ半死半生の王の疲労は、加速度的に増加していった。もはや執務室にも移動できず、寝台の上に持ちこんで仕事をしている始末である。

 我が身を磨り減らしてまで成すべきことを成す王の姿を間近に見ながら、俺は歯痒い思いを禁じえなかった。何か手を貸せるものならば貸したい。与えられた任務からは逸脱するやもしれないが、現状を見て見ぬ振りするのは、騎士としてあるまじきことだろう。

 だが、そう申し出たところで、当の王がそれを拒んだ。

「あなたにはあなたの役目があるだろう、それを果たすがいい」

 微笑みと共に告げられた言葉は優しかったが、明確な拒絶だった。

 ネシャート姫と対面を果たしてすぐに俺は本国へ報告を送り、我が王からは正式にアウレィリヤの王宮に滞在する許可を得ている。しかし、新たな任務として与えられた名目は「ネシャート姫の望む通りに可能な限り振舞え」というものであり、彼女が望まないのであれば手を出すことはできない。結局、俺にできるのは夜毎彼女の為に竪琴を奏でる程度のものだった。

 もっとも、ここのところはほとんど竪琴の音を添え物に、ただ話をするだけのことが多くなっていた。彼女は俺の故郷や、セルギリドの街々のことを聞きたがった。俺は日々それに応えて語り、時に癒しの歌を歌った。

 俺が宮廷楽師ジアーに習ったのは、遠い異国の幻想譚がほとんどだ。癒しや眠りをもたらす魔術謡はごくわずか、今更に書物を取り寄せて覚えようと試みてなどいるものの、幻影を描く歌とはまた違った難しさがある。王からの呼び出しのかからない日中に練習を重ねてはいるが、御前で披露する出来には程遠い。

 なのに、俺が新しい歌を得ようと四苦八苦していると知った彼女は、それを聞いてみたいなどと言うのである。これには、ほとほと参った。習得途中ゆえご容赦願いたい、と何度申し立てても、頑として引き下がらない。

「そもそも本職でない偽者の、更に未熟をご所望とは、おかしなことをおっしゃる」

「ところで、あなたも四六時中そんな堅苦しい喋り方をする訳じゃないのだろ? もっと、こう、友人とまでは言わないけれど、知り合いとか――対等に話すように喋ってもらえないものかな」

「ところで、人の話を聞いていらっしゃますかな」

 何を言っているのか、この姫は。思わずぞんざいな口調になって返せば、ふふ、と小さく笑う気配。

 姫の話す声自体は気丈だが、やはり消耗は激しいのだろう。近頃では、声を上げて笑うことさえ稀になっていた。毎日のように御前に参ずるからこそ、細かな変化が一層に目に付く。だからこそ、こうした無茶な要望も、中々切り捨てがたく感じられてしまう。

 些かどころでなく、のめり込みすぎている自覚はあった。……だが、それでも。

「聞いているとも。要するに、私はあなたの声がとても好きなのだと思うな。だから、言葉であれ歌であれ、聞くことができれば嬉しい。どうしても嫌だというのなら無理強いはしないけれど、許してもらえるのなら、いろんなものを聞いてみたい。少しは親しげにしてもらえたら、尚のこと喜ばしいと思うよ」

 姫は、どこまでも真摯な口振りで言うのだ。ここまで言われては、その望みを叶えるよう命じられた立場としては、否やとは応えられまい。

 大きく息を吐いて、「かしこまりました」と言い返す。このような素振りも、本来であれば王の前で取ることなど許されようはずもない。大分――いや、大いに毒されてしまった。

「習得途中のものでありますゆえ、お耳汚しとは存じますが」

「ヘイダル」

「……今度は何事でございましょう?」

「もう一つ、私はあなたに願ったのだけれど」

 わずかに揶揄するような音色に、危うくため息を吐き出すところだった。

 やはり一国の「王」ともなれば、容易に騙されてはくれないらしい。どさくさに紛れて、うやむやにしてしまいたかったものを。

「了解した。そのように振舞えと命ぜられれば、従うのが俺の役目だ。余人の同席しない場に限り、その命に従うものとする」

「まだ少し余所余所しいな」

「あなたは俺に何を求めているのか……」

 いよいよ呑み込めなくなった嘆息が口を突いて出た。

 しかし、姫は頓着する風を見せない。「何、かあ」と呑気な声を上げている。

「何、と言われると難しいな。あなたは――あなたがくれるものは、崩れ落ちそうな私の皹をを埋めて、どうにか立たせ続けてくれる。だから、そこにいて、声を聞かせて欲しい。私が最期まで王であり続ける為に。……でも、欲を言えば、あなたのことももっと知りたいとも思うな。どんな場所で生きてきたのか、どんな風に過ごしてきたのか。好きなこと、嫌いなこと、得意なこと、苦手なこと、そういう些細なことでも何でも」

 そう語るのは微睡むような、夢見るような声だった。ふわりふわりと漂う泡を思い描かせる。

 その泡が、不意にぱちんと弾けた。あ、と短く跳ねる声。

「これはまるで、あなたに恋をしているみたいだ!」

 あの痩せこけて尚美しい(かんばせ)に、満面の笑みが浮かんでいるのが目に浮かぶようだった。

 今度こそ、俺は瞑目した。深々とため息を吐く。もう我慢する気にもならなかった。何を言っているのか、この姫は。本当に――何を、言っているのか。

「……反応に困ることを言うのは、止めてもらいたいのだが」

「おや、つれない」

「大人しく釣られては、仕事にならないのでね」

「真面目だこと」

「不真面目な騎士など、役に立たないだろう」

「あなたは十二分に働いているよ。もう少し力を抜いて良いと思うけれど」

「王の御前にあって気を抜けとは、無茶を言う」

「私とあなたの仲じゃないか」

「どんな仲だ……」

 何故こんな話になっているのか、何故こんな話をしているのか。もはや呻く態である。ええい、話を変えねば。

「お喋りが長引いているが、歌はいいのか。俺はそれでも構わないが」

「ああ、駄目、私が構う。余計なお喋りをしてすまない、聞かせて」

「……承知した」

 すっかり脇役に追いやられていた竪琴を膝の上に置き直し、指先を絃に乗せる。まずは癒しの効果以前に、きちんと一曲つかえずに奏できれるかどうかが問題だ。

 竪琴を爪弾きながら、息を吸い込む。

「満月の夜に玻璃の小壜。命の水は鏡籠。揺れる水面を窓辺に置いて、欠けなしの――」


 癒しの歌は、往々にして短い。癒しが必要なものがそう長く歌を聞いていることに耐えられるはずもないからだというが、最初にその作風を定めた者はまさしく慧眼である。

 習得途中ながら辛うじて大過なく歌い終えると、かすかな拍手に重なって眠たげな声が聞こえた。

「やっぱり、あなたの歌は素敵だ。そんなに謙遜すること、ないのに」

「お休みになりますか。無理にお話にならずとも」

「ああ、ひどい。私が、眠いと思って」

「さて、私は陛下にお墨付きを頂戴するほど、真面目な騎士にございますので」

「ヘイダル」

「はい」

「こっち、きて。中に」

 今にも寝落ちそうな声が告げた、とんでもない要請に目が見開く。

「陛下」

「あなたは、私の望みを、叶えてくれる、のだろ」

 ほら、はやく。

 溶けて消えるような淡い響きのくせに、ひどく頑なな言葉。もはや頭痛がしてきそうだ。

 ため息を吐いて、腰を上げる。念の為、竪琴を持ったまま寝台の正面に回りこんだ。天蓋から垂らされた薄絹の合間から、薄闇を透かして寝台の最奥に座る人影の輪郭がぼんやりと映る。

「……失礼致します」

 意を決して、寝台に上がる。足の裏に感じる、さらりとした感触は何度踏んでも慣れない。そろりと歩みを進め、敷布の上にうねる黒髪を踏まぬよう留意しつつ、王の傍らに膝をつく。

 その時、彼女の膝に一振りの剣が置かれていることに気がついた。

「私は、あなたにもらうばかりで、何も返せない。だから、去る時にはこれを」

 細い手が剣を持ち上げ、俺に示してみせる。

 細身ではあるが、暗がりでも装飾の細やかさや、用いられた宝石の数の多いことは見て取れた。実用を意図したものではあるまい。おそらくは儀礼、鑑賞、それらの用途として作られたものだろう。

「そちらは?」

「以前に父上が下さった。父上は私を母上に似ているとして可愛がって下さったが、子供の頃、どうしてもそれが嫌になったことがあってね。周りに無理を言って、母上であれば絶対にしないようなことをしようとした」

「それが、その剣であると」

「そう。将軍に剣を習ってね、一端のものになったと褒められた時に、父上が下さったんだ」

「そんな大切なものを」

「大切だから、あなたに渡したいんだ。持っていてくれなくてもいい、売り払ってくれてもいい。あなたの役に立つのならば」

 闇の中で俺を見上げる黄金の眼が、濡れたように光る。俺はその眼差しを直視していることができず、ずるりと後ろに下がり、頭を垂れた。

「過分なお気遣いにございます。ご容赦を」

 それだけを答えて、返事を待たずに寝台を降りる。掠れた声が俺の名前を呼ぶのが聞こえたが、敢えて留まることはしなかった。

「また明晩、参ります」

 他に、どんな言葉が言えようか。

 その時の俺は、差し出された剣が――まるで形見分けのように思えて、空恐ろしくてならなかった。

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