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第11話

 懺悔。

 その言葉が発されたのは、じきに日付も変わろうかという夜更けのことだった。世界は暗く沈み、王の寝所はかつての階段の場となったものとは別の庭に面していたが、虫の声一つ響かない。息を潜めたような静寂の中、儚い声音で告げられた。

「懺悔、でございますか」

 ややあってから問い返すと、寝台の上で身を起こした王が頷く所作が目に入る。天蓋をなす薄絹の守りは夜の闇と相俟って尚のこと厚く、おそらくはそうしたのであろう、という推測ではあったが。

「もう、この先に話せる機会がないかもしれないから」

 絶句する俺を他所に、密やかな声は暗がりの奥から忍び寄る。

「この国が女神アウラの恩寵により永らえてきたことは、あなたも知っているだろう?」

「……はい、存じております」

「遥かな過去――祖となった初代の王は、いずこの土地からか、この砂漠へ逃げてきたのだという。そして女神と出会い、その寵愛を受けて砂漠に国を築いた。少しずつ街を増やし、人を増やし、国を広げてきた。……でも、永い月日をかけて広げすぎたということなのかもしれないな」

 女神は消えてしまった。

 疲れ果てた声がこぼすに至り、俺は再び言葉を失った。

「それを人と同じ『死』と呼んでいいのかは分からない。最初にその兆候に気付いたのは、母上だった。私が生まれて間もなく、どこか『薄くなっている』ことに気がついた」

「女神が、でございますか」

「そう。女神の存在そのものが、希薄化している。けれど、それが分かっても、どうすればいいのかは、誰にも分からなかった。幾千年も続いてきた……そこにあること、これからもあり続けることを何ら疑わずにいたものに、重大な異変が起きているのだとしても。前例なんてどこにもない。何も分からない」

 語る言葉は、もはや空虚ですらあった。かつて異変に気付いた人々の抱いたであろう感情は、おそらく俺が昨今抱いているもどかしさと近しい質のものだったに違いない。

 何が起きているかは分かる。何か手を打たなければいけないことも分かっている。だが、何をどうすればいいのか分からない。所詮は第三者である俺と違い、この国の人々にとって女神に起きた異変は、文字通り国の存亡に関わる重大事件だ。戸惑いや狼狽を通り越して、恐怖に近しくさえあったことだろう。

「いや、母上も父上も、手を打とうとはしたのだと思う。けれど、この国の全ては女神の恩寵の上に成り立っていて、そうでない国に作り変えるということは、国そのものを変えることだった。幾千年かけて作り上げられた国を、数年で変えられるはずもない。神殿の体制は硬直しきっていて、随分と前から独自の道を行き始めていたというし」

「街中で多少聞き耳を立てただけではございますが――中々、扱いの難しい組織であるかとお見受けします」

「うん。考えてみれば、もっと早くにそのこと……神殿との関係についても、手を打っておくべきだったのだと思う。厄介だと遠ざけるのではなくて。……きっと、皆胡坐をかいてしまっていたのだろうな。この国が、女神の加護が、永遠に続くのだと信じきってしまっていた」

「無理もないことではありましょう。神々は、我ら人とは異なる在り方のものですゆえ」

「そうかもしれない。でも、全て永遠に続くものなんてない。それを分かっていなければいけなかった。理想と語られるほど栄えた古の国々だって、一つとして滅びからは逃れられなかった。この国だけが、私たちだけが、それから逃れられるなんて都合のいい奇跡は起こり得ない。……だから、この国は一度破局を迎えた」

 そう告げた姫が、咳き込む。苦しげな様子に、つい「もうお休みになっては」と声を掛けずにはいられなかったが、彼女は頑として頷きはしなかった。

 話せるうちに話してしまわないと、とまるで避けざる何かを目前にしているかのような口振りで、更に続ける。

「破局……そう、破局だった。次第に存在を薄れさせた女神は、十年前のある日――ついに消失してしまった。供物と引き換えに水をもたらす女神が消えては、水は涸れる一方だ。街々もどれだけ長らえられるか、そもそも幾つ残ることができるのか、それすら読めない」

 しかし、一度破局を迎えたと言う割には、この国は現在に至るまで、多少の波乱は含みつつも存在し続けている。何らかの、少なくとも目前の滅亡を遠ざけられるような方策が見つかったのではないか。

 そう思いたい一方で、そうではないのだろうという確信めいたものもあった。石を飲み込まされでもしたようだ。胃が重い。

「十年前に瓦解するはずだった国を、母上が繋ぎ止めた。母上は、当時最も女神との縁深い人でいらっしゃったから。女神が消え、その残滓が残るだけとなった、涸れゆく宿命の国。その命運を留める楔となって、我が身を捧げられた」

 どうやって、と思い、反射的に問い掛けそうになって飲み込む。気にはなるが、問題の本旨はそこではない。今問うべきは、「何故」だ。

「十年前に遠ざけられたはずの滅びが、何故今再び……?」

 問い掛けると、天蓋の中で小さく笑う気配がした。簡単なことだよ、と囁く。

「あなた自身が言ったじゃないか。神と人は違う。人が神の真似事をしたとして、そう長くは続かない。……それだけのことなのだと、思う」

 つまり、ネシャート姫の母君――マリヘフ妃が我が身を犠牲に国を長らえさせられたが、それは一時の猶予を作るだけに過ぎなかった。今になって、十年前に訪れるはずであった滅びが近づこうとしている……ということか。

 そういえば、俺が初めて王宮を訪ねた際のことだ。多くの楽師や芸人が集う中で、噂話として聞いた覚えがある。今は先王と呼ばれる、かつてのイマード王。彼の人物が実は狂気の淵にあり、深く愛した妻マリヘフ妃を亡くしてから精神の均衡を崩していたとか何とか。

 それが事実か否かについて、俺は判断を下すことはできない。だが、イマード王はマリヘフ妃を喪ってから後も、ネシャート姫を伴い、何度も我が国を訪れている。少なくとも、その時には目立った変化は見られなかったはずだ。そのように聞いている。……もっとも、他国を訪ねている状況にあるがゆえ、表向きの姿を装われていた可能性は否定できないが。

「イマード王はマリヘフ妃がご逝去されてから後、大変に気落ちなさっていたと噂に聞いておりますが」

「そう言っても、間違いではないかな。父上は母上の決断を尊重されたものの、とても悲しまれた。それでも母上が命を捧げて守った国を、自らの手で守らんと決断された。――ただ」

「ただ?」

「これも噂で聞いているかもしれないな。父上が玉座から退くまでの数年、この国は度々水不足に陥っていた。その頃から、破綻は再び始まっていた。母上の引き伸ばした猶予が、終わりに近づいていたんだ。それで……父上は、お心を壊された」

 日頃の政務は滞りなく行う。ただ、時々ひどく塞ぎこみ、時には浴びるように酒を飲んだ。それで暴れるだの罵るだのをする訳ではなかったが、若くして玉座についてから堅実な治世を強いてきた王の変貌に、多くの官吏は愕然とした。

 そう語る姫の声は、ひどく乾いていた。音に乗せる感情さえ、擦り切れてしまっているかのようだった。

「マリヘフ妃の献身が、ついに使い切られようとしているがゆえ、でございますか」

「それもあり、また『次』の人柱の選定を考えねばならなくなったからでもある」

 次の人柱。さらりと発された語に、ぞっとした。

 マリヘフ妃は女神との縁が深いがゆえ、その身を捧げたという。ならば、その「次」は。王宮において、先王の妃と並んで女神との繋がりが深いと言われていたのは誰だったか。

「ネシャート姫」

「そう、私だ。父上は――ああ、これもまた、一つの問題であったのだろうけれど――兄上よりも、私を贔屓されることが多かった。顔形が母に似ていたからかもしれないし、私が母と同じように女神との縁深く生まれついたからかもしれないし……もっと、他の理由かもしれない。ともかく、父上は少し不公平なところがおありだった。兄上も、それはよく分かっていてね。何かと兄上を非難する向きもあるようだけれど、あれも、いくらかは無理もないことだったのだと思う」

 どこか遠く聞こえる声で、姫は述懐する。そうして、「そうだ、これは知っているかな」と不意に思い出したように切り出した。

「私と兄上は、眼の色が違うんだ」

「はい。ジャラール王子は銀色、ネシャート姫は金色と窺っております」

「それもね、兄上には不愉快だったのだろうと思う。母上と同じ金の眼は、女神との縁深い証なのだそうだよ。この国で金の眼を持って生まれた者は、皆子供の時分に神殿に迎えられることになっていてね。父上の手札――なんて言うのは失礼だろうけれど、父上の周囲で母上と同じ資質を持つ者は私以外になかった。だから、余計に悩まれた」

「あなた様を愛するがゆえに」

「いいや、私を王にしようとしていたが為に」

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