懐かしの故郷、狭い町
あの町にあの町以外の住民とマスクなしで話した経験がある人はいなかった。マスクはあの町に存在した唯一の他人との交流機械だった。しかし、交流することなどほとんどなかった。あの町に人々はみな、あの町以外のことを知りたくなかったからだ。あの町ほどストレスがなく、暮らしやすいところはないと皆口を揃えていった。なぜならあの町では平和だけが決まりだったからだ。平和が憲法であったといっても過言ではない。人に寛容であること、思いやりを持つこと、そんな人の感情の半分を消すような人権を奪うような決まりを皆は必ず守っていた。私はそれがどうも納得いかず、この街に引っ越したわけであるが、確かにあの町のほうがよかったかもしれないと今更後悔した。でも、この街にきて大して時間がたっていない。私はここに一年は住むと決めたのだ。それにしても、初めのほうはずいぶん楽な生活だと思っていた。なぜなら、誰にも気を使わない生活を送ることができるからだ。誰も私に興味がないのだから当たり前である。関わる人が少なければ少ないほど人に気を使うことはない。「人の悩みはすべて人間関係に通じる」と、いつか聞いたのをふと思い出した。楽だと感じるのもそのせいである。悩みなどなかった。悩みといえば、夕飯何にしようかとか、トイレに行くのがめんどくさいな、なんて、平和すぎる悩みである。あの平和な町よりも平和。はるかに平和である。いや、この状態を平和というのは少しおかしいだろうか?人がいての平和なのであるから、私個人だけの世界で平和と称するのはおかしいかもしれない。そう感じるのも一人の世界で人間関係問題が起きないのが当たり前であると私の無意識が勝手に理解しているからだと思う。ただ、一人で暮らしてみると、どうしてもあのマスクを日常において用いなければならない。それは、自ら人間関係を求めなければならないということだ。人は一人では生きていけないということは耳が痛くなるほどよく聞かされたものだ。しかし、正解であるということは一人になってから気が付くものだった。その場では理解しても、それはあくまでも想像であって、隙あれば一人でも生きていけるなどと思ってしまうものなのだ。寂しさや虚しさは心の問題であって、軽く見る者もいるだろう。しかし、それは私にとってはかなりストレスを与えた。私は話すことが好きだった。と言っても、家出と言ってもいいようなこの引越しをする前には話すことに恐怖を感じていたため本音など言えなかった。しかし、人との会話はいくらうわべであれど楽しいもので、気が付くと私の気を晴らしてくれたことも多々あった。他人は、ストレスを与えることがあっても、何らかの形で晴らしてくれた。勿論、晴らしてくれないようなものはたくさんあった。しかし、そういったものはたいてい、自分だけの力で解決してしまう。いや、自分の力も必要とするというほうが正しい。自分だけの力でなんとかできたものなどあっただろうか?振り返って考えてみると何もない。でも、いまはどうだ?自分の力で生きてやろうと思った今は。十分、大人になっていると思っていた。
なにしろ、小さいころから大人っぽく、非の打ち所がないような人と言われていたのだから。
定期的な更新をしようと思います。少なくとも1週間に一度の更新を目指します。