誰もいない朝
小鳥の鳴き声が聞こえた。朝の目覚ましの声である。私は動物と話せるような特殊能力など持ち合わせていないので朝には必ず「朝だよ。おはよう!」なんて言っているように聞こえるのだ。きっと私に向けたものでもないから、「朝ごはんどうする?」とか、そんな会話をしているかもしれない。何しろ小鳥て早起きなのだ。私を起こすこともなければ、ほかの小鳥を起こすこともないだろう。私はふと時計を見るが、二日前から変わっていない針を思い出すと、ふわりと閉ざされた淡い水色の布からしっかりと、まっすぐに伸びる光のまぶしさを初めて感動を覚えた。朝日はどうも苦手だったが、この瞬間に覚えた感動に思わず「明日からはこんな布、いっそはいでしまおうか」と考え、勢いよく両側によせると、あまりのまぶしさに世界が虹色に代わった。途端に目が覚めた私は、どうも冷静になれた。
「……今日の予定……ん。ないかな。」
そんな独り言を言いながら、私は「いつもないか」何て寂しいことを思い直してはもう、慣れてきてしまった私に苦笑いしかできなかった。朝は必ず走るのだ。冷たい風をきって、この街を、悪夢を消し去るように走っていく。ただ、その全てに変わったことはなく、見覚えのないものはなかった。すがすがしい朝が私を迎え、小鳥のさえずりなどはまるで打ち消されている。『静かな朝』何てこの街には来ないのだ。いつも賑やかで、日が昇ったときには誰かしらの歌声が聞こえるのだ。基本的にはそれが目覚ましのようであるのだけれど、その声は二度寝タイプの私にはどうも意味がないのだ。小鳥のような高音くらいしか私を起こすことはできない。私の部屋の外でまで寝ている私を冷やかすように「ピーピー」なんて高音で私を起こしてくれるのだ。実際助かっている。どんな思いで「ピーピー」鳴いてようが私には関係ない。家の窓際に小鳥が巣を作りやすそうなスペースを作って正解であったとあらためて思う。私はそんなうるさい街を走っているわけだが、通り過ぎる人は皆それぞれのことをやっていて、お互い見向きもしない。私も大衆として道行く人を見ていくけれど、この街はどうも冷たすぎると思う。大きな街ではないけれど、私が前にいた町はここより明らかに小さかった。人だって多くなかった。でも、私はここよりもいろいろな人に会っていた。話していた。いろいろな刺激を与えあってあった人には必ずと言っていいほど挨拶をしていた。この街も挨拶を無視することなくとも、挨拶をするものなら「頭のおかしな人」のような目で見られるのだ。どうも知り合いの作りづらいこの街は何故だか私以外で人間関係は立派に構成されていて、一人で歩いている人が少ない。人は多いわけではないが、煩いと感じるほどにはそれぞれ騒いでいた。だからと言ってフレンドリーではない。協調性はあるが、個性はない。一つの人間を見ているような、それとも孤独なような、塊でバラバラなのだ。ある意味、どんな人も一人という印象を受ける。そう考えればこの街に友達関係を築いている人などいないのかもしれない。どんな人も枠から外れることを嫌って、個性を殺して、笑顔になったり、怒ったり、感情を出すのは必ず雰囲気を読んでから。まるで操り人形でも見ているかのよう。つまらない。そう思うと声をかけることすら嫌になる。だって、人形に声をかける人ほど頭のおかしな人はいないだろう。いや、純粋な人か。もう子供ではなくなった。考えも偏り、頑固になって行き、子供のころのような想像力などなくなった。その分、わかることも多くなり、生きづらくなった。だからと言って知らんぷりをすれば、いつの間にかこんなになっている。しかし、何か問題を起こしたものならいつの間に大きな恥になっている。なんと生きにくい街なのだろう。そう考えた時期もあった。今はもう、諦めた。寛容な人は私の周りにはいない。だから私はいつだって自分ではない。それだけは前と何も変わっていないけれど。