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秋の乾いた風が頬を撫で、アトリの長い金の髪とスカートの裾を揺らす。
アヴァルは四季折々の美しい光景を見られ、時季によって気温や湿度等の差はあるが、比較的一年中過ごしやすい気候と言える。水不足にならない程度に降水量はあるが、地形の影響で風が強い事が多く、激しい風雨に見舞われる事があるのが玉に瑕ではある。
今日も、午後に入ってから風が強い。
クィルターが朝から警察署を訪れた時には、まだそれ程ではなかった。空の色は綺麗な水色をしているが、遠くの方にちらほらと雲が浮かんでいるのが見える。
「天気崩れないといいんですけど――じゃなくて、『いいね』」
一度敬語で言ったのをわざわざ言い直して、クィルターは他の面々に話を振る。会話がない場の空気というのも気まずいものはあるが、根が真面目なクィルターが頭を捻った結果は、実にありきたりな話題だった。
「そ、そうですね」
そうとしか返せなかったジェーンは、僅かに困った表情を浮かべる。その先の言葉を考えている間に、隣を歩いていたキールが真剣な表情で口を開く。
「しかし、今日は本当にいい天気だ」
「? どこが? 確かに晴れてはいるけど……」
「ほら、あの前を歩く女の子を見てみなって」
ジェーンの疑問に、キールが小さく指を差す。
車道を挟んで反対側の歩道に、足が長くて綺麗な女子大生らしき子がいる。キール達と進む方向が同じなので、見えるのは殆ど後ろ姿だ。
その子の何を見ればいいのかと全員が見つめていると、
「――――ッ!」
足元を擽るような突風が吹いた。
すると、その女子の膝上丈のフレアスカートが、風に煽られた拍子にスカートの中身が見え――たと思った直後には、慌てた女子が裾を押さえていた。
赤くなったクィルターが口を押えて視線を逸らし、ジェーンが口をあんぐりとして無言になっているところに、キールが得意顔で振り返る。
「な?」
「いやいや、『な?』って言われても!」
「下着が見えるギリギリの、絶妙な風具合だったろ! あの女の子は、いい下着の趣味をしてそうだって思ったんだよな~。そして見た目恥じらいを持っていそうだから、すぐスカートを押さえると読んでいたけど、ドンピシャだったな!」
「何見せてんのよ! 特に子ども相手に!」
ジェーンがアトリの目を手で覆うが、今更やっても見てしまったのだから遅い。当のアトリは無表情でこれといって反応を見せない。
キールはキールで悪びれる様子はない。
「見たって言っても一瞬チラっとじゃん? モロになりそうだったら、わざわざそっち向かせないって。それに俺としても、見えるか見えないかの方が好きだし!」
「あんたの趣味は訊いてないわよ!」
「でもクィルターさんだって、今のでドキドキしたみたいだけど?」
「むぅ、それを言われると……クィ、クィルターさん! あなたもいつまで赤くなってるんですか! いい歳してウブ過ぎでしょ!」
「ご、ごめん!」
思わず謝ったクィルターは、更に顔を赤くしてしまった。真面目故に、こういう事には慣れていないのが見て取れる。
それを分かっていて、あえてキールはニヤニヤ笑いながら、クィルターの脇腹を肘で突く。
「クィルターさんも、案外むっつりスケベなんですね~」
「そ、そそそそんな事は……! キールくん、ご、誤解だよ!? 違うよ、本当!」
手と頭を必死に横に振りまくり、クィルターは慌てた様子で否定した。それを図星と取ったのか、はたまた不憫と見たのか、ジェーンが眉根を寄せる。
「男って馬鹿よねぇ……。良くも悪くも、正直だったり単純だったり……」
その呟きを間近で聞いたアトリは、自身の目を覆っているジェーンの手をそっと外し、呆れたように溜め息を吐くジェーンを見上げる。
「それは、キールの事も言ってる?」
「え? ええ、まぁ……」
「確かにキールは馬鹿だけど、表向きで判断するのは早計」
「?」
その言葉の意味を確かめるように、アトリの視線の先を辿る。ジェーンの目には、ただキールがクィルターをからかっているようにしか見えない。
それを気配で察してか、アトリが説明するように言葉を付け足す。
「クィルターさん。敬語じゃなくなったね」
「あ」
言われて初めて気づき、ジェーンは目と口を開く。そしてもう一度、弾かれたように二人を見る。
クィルターはあわあわと口を震わせ「もう……からかわないでよ」と、困った顔でキールに訴えている。それを聞いても、キールは頭の後ろで両手を組み、「あははは」とケロッとした顔で笑っている。
ジェーンは僅かな時間、黙ってその様子を見ていたが、クィルターを見て仕方ないといった溜め息を吐く。さっき責めてしまった事に対する罪悪感からか、単にからかわれている様が少し可哀想になってきてか、どちらにしろクィルターに助け船を出す。
「子持ちの人相手に言ってもなんでしょ。とにかく、キール。あんたが明るいエロ男なのは分かったわ」
「エロ男とは失礼な。本当にエロい奴だったら、『下着は穿いててなんぼ』なんて思わないんじゃ? 俺は、穿いてないより穿いてる姿の方がグッとくる!」
「………………やっぱ馬鹿だわ」
死んだ魚のような目になったジェーンが、アトリの肩をそっと押しながら、スタスタと二人で先に歩いていってしまう。
早歩きで追いつくキールとクィルターを背後に感じつつ、ジェーンは首だけ振り向く。
「それで? 『ツイてる』って、ああいうさっきの事も? そもそも、そのツイてるってなんなのよ」
「あー、その話? 俺は、幸運の女神に愛されてるんだよね」
「笑いの神の間違いじゃなく? それかツイてるはツイてるでも、幽霊が憑いてるとかじゃないの?」
「まぁ愛されてるって言うのは、流石に良く言い過ぎかもな~。幸運の女神に気に入られているとは感じるけど。……色んな意味で」
「色んな意味?」
ジェーンの疑問に答えるように、アトリが僅かに嘲笑を滲ませた声色で言う。
「キールは、強運の持ち主って事」
「それって良いんじゃないの? ラッキーボーイって事よね?」
「幸運ではなく強運。運を引きつける力は強いけど、それが幸せとは限らない。キールは、幸運の女神に弄ばれてる節がある」
「も、弄ばれ……?」
アトリの口からそんな言葉が出ると思っていなかったのだろう。クィルターが頬を赤くして苦笑する。
アトリはと言えば、顔色一つ変えず話を続ける。
「例えば、前にあった話だと。キールが気紛れでたまたま買った宝くじが当たった。そこそこ高額当選だったから、リスクを考えて周りの人間にも秘密にし、宝くじはうちではキール以外誰も触らない、ゴシップ誌のページの間に隠して保管していた。ところが因果な事に、当選発表の後換金に行くまでの一日の間に、掃除に来てくれたキールの友人の手でゴシップ誌は勝手に処分された」
「うわぁ……」
ジェーンは、当事者を気の毒な目で見る。そのキールは力ない表情で俯く。
「その雑誌が古いものだったから、いらないと思ったんだとさ……。いいグラビアページもあったってのに……」
「…………うわぁ」
今度はさっきとは違い、残念なものを見る目を向けた。
続きを話していいか目で問うてから、アトリが先を進める。
「でもそこで終わらないのが、キールのキールたる所以。その友人がたまたまゴミの分別を間違えて、ビル横の回収所のダストビンにその雑誌が入ってるのを発見された」
「うちのビルのオーナーが気づいて取り出してくれたんだ。俺の持ち物だってのも記憶にあったみたいで持って来てくれたんだけど、俺が出したんじゃないのに怒られたんだよな~。結局当たったお金も、お詫びに食事ご馳走して結構減っちゃったし……」
その時の事を思い出したようで、キールは肩を落とす。
キールの様子に、クィルターが労わるように微笑む。
「そ、それは何と言うか……災難だったね」
「けど、それは人災でしょ? 誰かのミスで被害に遭うなんて、割とある事だと思うわよ?」
「ただその頻度が異常に多いから不気味。今のはまだ笑える話。天災バージョンはもっと悲惨なのも多い」
「あ~。最近だと、雷雨の交通事故の話とか酷かったな~。よくあれで人死にが出なかったよなって、今でも肝が冷えるってもんだよ」
「……聞く?」
「ええっと…………遠慮しておきます」
ただならぬ空気を感じてか、ジェーンの頬が引き攣っていた。
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