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Blond's and X  作者: 川咲弐号
3章  本気を教えてあげようじゃないか
25/37

7

 アイアンズの空になったカップに新しい紅茶を淹れたアトリが、ティーポットをテーブルに置いた音だった。もっとも置いたと言うには激しく、ティーポットが割れてアトリの手は残りの紅茶と傷口から出た血で濡れていた。

 誰も、何も言葉が出ない。

 当のアトリは無表情でいつも通り淡々と言葉を紡ぐ。


「これだからポリ公は。融通が利かず、いつも後手後手。ポリ公でなくエテ公と改めるべき。……否、これなら猿の方が利口かと」

「アトリ・グレニスター!! 警察を侮辱するか!!」


 ヘリングがソファから立ち上がり、テーブルを強く叩き激昂した。

 一方アトリは顔色一つ変えず、年不相応の冷めた眼差しを向ける。


「力不足は否めない。あまつさえ人手不足ときている。言い訳の仕様がないんじゃ?」

「しかし僕等には正当性がある! アトラント市警に限らず、僕等アヴァルの警察官は、国王陛下の命を受け――」

「講釈はいらない」


 一瞬の出来事だった。

 アトリの不気味に濡れた左手が、ヘリングの口を押えつけた。身長差を物ともせず、気づいた時には、ヘリングはソファの背もたれに沈められていた。


「顔も知らない相手に追従する組織に、期待しろと言うのが無理な話。何も知らず、知ろうともしない人間は、その貴様の言う王の箱庭でも、ミニチュア人形以上の価値を得ない、パーツの域を出ない、そういう限界の見えたものでしかない。それに甘んじているのは、私には生の怠慢に思えてならない」


 口から手を放すと、ヘリングから視線を外して背も向ける。紅茶も血も滴ったまま腕を下ろし、スカートの裾を染めていく。


「警察に頼らなくとも、私がやる。――信ずるは己が血肉のみ」


 紫の瞳が細められる。

 捕食者の風格、猟人の鋭気とでも言うのか。少女らしからぬ射抜くような眼光は、ここにはいない者に向けられているが、この場にいる者の呼吸を一瞬忘れさせるだけの迫力がある。

 そんな中でも、臆せず近づける者もいる。

 淡く冷たい金属のような頭髪の天辺にポンと手を乗せると、部下で相棒で家族とも言える少女にキールは言う。


「『信ずるは己が血肉のみ』、グレニスターの家訓だっけか。自分の体と、そして身内だけが真に信じられる存在って、俺も悪くない言葉だって思うけどね。――でもアトリ。ここはグレニスター家じゃない。アトラント民間総合相談所だって事を忘れちゃ駄目だ」

「それは……」

「君の保護者がどうして君をここに連れてきたか、その思いを汲んでやらなきゃ駄目だ。アトリが警察を敵視する気持ちがなかなか抜けないのも、それは仕方ない事かもしれないけど、アイアンズさんはハリソンも信頼してた人だし、ヘリングくんだってそのアイアンズさんが期待してる人だ。だからアトリも信じろ、とは言わない。ただ俺達は俺達のする事をすればいいし、俺達だけじゃ足りない部分は他に任せればいい。それが相談所の社訓とでも思ってなって」


 言って最後に、キールは晴れ晴れと笑った。

 アトリはじっとその笑顔を見ていたが、ばつが悪くなったのか顔を逸らし、黙って静かに頷いた。その瞬間に、部屋に張り詰めていた緊張感が霧散したように思えた。

 お代わりも冷めてしまったカップを手に取り、一気に飲み干すとアイアンズが一つ咳き込む。


「部下の非礼を詫びはしないからな。それだけの事を、そちらも充分しただろう」

「それでいいですよ。うちも、子どものした事だからって言い訳しませんしね。これでイーブン!」


 五分五分であると手振りで大袈裟に表現するキールを、アイアンズは口髭を弄りつつ呆れた目で見る。


「それに――ここからは本題でもあるが。ヘリングの言葉を借りて言えば、我々には正当性がある。相談屋、お前達は今後一切、神隠し事件に関わるな。今日はそれを言いに来た」

「あれま。そりゃまた急に……でもないですね。この前会った時も、俺が関わる事を良く思ってなかったみたいですしね」

「当たり前だ! 今までだって、毎回のようにそう言っているだろう! それなのにお前達ときたら、何度言っても聞きやしない……。そういう所が、あいつとそっくりで嫌になる……」

「なっはっは……。でも、うちも仕事なんで」

「仕事だろうがなんだろうが、民間が出しゃばるな!」


 ぴしゃりと言い切ったアイアンズは、一際険しい顔つきになる。


「個人的にも文句を言いたいのも事実だが、ただ今回はそれだけじゃない。マンティス、セント・ティルナ孤児院だけではなく、第一、第二の被害者の関係者にも会いに行っただろう」

「昨日の日中行きましたけど、アイアンズさんよく知ってますね~」

「苦情が来たんだ! 周辺を嗅ぎ回っている怪しい奴がいるってな! 関係者しか知り得ない事を知っていて、警察の捜査情報が筒抜けとはどうなっているのかと、お陰で被害者家族からの警察の信用は落ち、捜査がやり辛くなったじゃないか!」

「ん~、俺は被害に遭った子のパーソナルデータと、神隠しに遭う前の様子を知りたかっただけなんですけどね」

「それが余計な首を突っ込んでいると言っているんだ! どんな依頼かは知らないが、今後一切周囲をうろつくのは止めて貰おうか!」


 テーブルに叩くように片手をつき身を乗り出し、もう一方の手で横からキールの頭を鷲掴みすると、


「――これは警告なんて生温いものじゃない。イエローカードではなくレッドカードだ、相談屋」


 アイアンズは間近で、キールの琥珀色の瞳を睨みつけた。低く落とした声が、その本気さを伝えていた。

 それを受けるキールの顔からも笑顔が消えている。

 困っても、怒っても、焦っても、悲しんでもいない――あるいは、そのどれもなのかもしれない。その表情から反応を窺い知れない。感情が見えない。

 キールの変化に、以前から付き合いのあるアトリとアイアンズは別としても、初めて目の当たりにするジェーンと二度目のヘリングは固唾を呑む。普段明るく笑ったり困ったように笑ったり表情豊かな人間の無表情は、この上なく空虚に感じさせる。

 真正面から対しているアイアンズが、キールの金髪に指を食い込ませる。


「無言を了承と取りたい所だが、その目は反抗と取るべきか?」

「……今引くと口先だけで言っても、どうせ騙されてはくれないでしょうね」


 琥珀色の瞳を逸らす事なく一歩も引かないキールに、アイアンズも負けじとより一層睨みを利かせる。

 ピリピリした空気の中。

 それを破るかのように、ドアベルが鳴った。


「――何、二人して睨め付け合ってるんだ?」


 部屋にいた五人全員、声のした方を振り向いた。


「しばらく振りですね、警部殿」


 入って来た男は、笑い掛けながらアイアンズに向かって片手を上げる。

 ジェーンとヘリングの顔には誰だと言いたげな色が見えるが、他の三人はそれぞれ反応が異なった。キールはいつもの気の抜けた表情に戻り、アトリは注意して見ないと気づかない程度にほんの少し嬉しそうな顔をし、そしてアイアンズは過去最大級に顔を顰める。

 そんな上司の様子に気づき、ヘリングが耳打ちする。


「アイアンズ警部。あの男は何者ですか?」

「お前も名前ぐらいは聞いた事あるだろう。ハリソン・ガーディニアだ」

「ガーディニア……。あっ、英雄と呼ばれたという、あの名刑事……!」

「そんなものは過去の栄光だ。忌々しい事に今はこのビルのオーナーで、雇われ所長のマンティスを雇っている張本人だ」


 ヘリングは僅かに色めき立つが、アイアンズは変わらず嫌そうな顔でいる。


「ハリソンって――あの人が、ハリソンさん」


 二人の会話が耳に入って来たジェーンは、男の姿をまじまじと見る。

 ダークブラウンの髪に無精髭の中年。キールよりも更に長身で且つ厚みのある、ガタイのいい大男、というのが第一印象として来る。

 世界的に禁煙ムードの昨今には珍しく口に煙草を咥え、少し草臥れたワイシャツを着ているが、不思議とだらしなさは感じず、寧ろ様になっている。この場にいるアトリとジェーン以外は大人だが、若いキールやヘリングと比べては当然としても、年上であろうアイアンズとも同程度には大人の落ち着きが見える。

 これがアトリの保護責任者――そしてこの相談所のオーナーだと分かり、ジェーンは自然と背筋が伸びる。

 ハリソンは皆を見渡せる、少し距離の離れた所で立ち止まった。

 そこにアトリが、てこてことハリソンに駆け寄る。


「ハリソン」

「おお、アトリ。元気にしてたか?」


 その太い腕を掴み、寄り掛かるように抱きつく。ハリソンの方もそれを普通に受け入れている。

 その様子に、ジェーンは少なからず驚く。あのアトリが、誰かに甘えるような姿を見せるのは初めてだったのだから無理もない。


「それで、どういう状況だったんだ? 何か不穏な空気をしてたが」


 ハリソンは皆を見回すが、ただただ気まずい沈黙が流れる。

 くいくいと、アトリがハリソンの袖口を引く。


「依頼については、キールから報告してた通りとして。その件で、キールが調べてた事が原因で、警察から手を引くように言われた」

「調べてた事って、あれか。――キール。お前はどうしたいんだ?」


 ハリソンはキールの方を向く。


「えー、あー……」


 キールは曖昧な声を上げながらも視線で、まだ頭を掴んだままのアイアンズと、その横にいるヘリングを気にする素振りを見せる。

 意図を察したハリソンが、アイアンズに声を掛ける。


「警部殿、少しの間でいいので耳塞いで貰えませんか? そこの君も」

「……まあいいだろう」


 ハリソンの言葉で意味を理解したようで、割と素直にアイアンズは従う事を決める。キールから手を放すと距離を取り、同様にヘリングにも促す。

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